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一日一句(5936)

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  碗の翳卓にのこるや秋の夜

京都日誌(464)

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■9月23日、水曜日、曇り。 掃除のあと、身心調整をして、仕事をしようと思ったら、J:COMのシステム障害でネットに繋がらず、仕方がないので、今出川を東へ散歩に出た。 久しぶりに、御所を歩き、乾御門から入り、石薬師御門へ抜けて、清和御門の方へ南下。 梨木神社へ向かった。 途中、梨木神社の向かいの御所側の石垣に沿って、咲き乱れた紅い萩が何株も枝垂れているのに気が付いた(写真)。 萩の花は好きで、毎年、梨木神社に見に来ているが、この石垣の萩は、きょう初めて気が付いた。 今週末が、「萩まつり」ということで、まだ、梨木神社の萩は、満開ではなく6分咲きといったところだった。 白萩なども綺麗に咲いていた。 毎年、萩の枝に吊るされた俳句の短冊を見て、私も書きたいと思っていたが、どこに言って、書いたらいいのか、判らずにいた。 なにげなく、でっち羊羹を買ったとき、窓口にいた女性にその旨を話したら、あっさり、奥から何種類もの短冊を出してきてくれた。 短冊を1つ選び、そこからが大変であった。 俳句は、速い時には、1秒くらいで出てくるが、「俳句の推敲は一生」と言われるほど、実は奥が深い。 きょうは、一句なるのに、12、3分はかかったろうか。 大まかなイメージは、歩きながらすでにあっても、これである。 なんとか、書いて、一番奥のだれも吊るしていない枝にかけて、その写真をラインで妻に送ってから、受付に戻って、女性にも見せたところ、「いいところにかけましたね」と言ってくれた。 たしかに、そこは、梨木神社の秘所と言える場所なのである。 帰宅後、仕事に専念。今週末には、インタビュー部分を終わらせて、「訳者あとがき」に専念したい。 トランプ政権による UAPの第6回リリース や NAZA について、書きたいこともあるのだが、長くなるので、またの機会に。

一日一句(5935)

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  萩分けて何もなき奥佳かりけり

京都日誌(463)

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  ■9月21日、月曜日。曇り。 朝から、即、仕事。 昼過ぎに、一段落させて、京都大学へ向かう。 神戸・ユダヤ文化研究会の 第2回文化講座 「今ここにある未来――現代イスラエル/パレスチナ文学における近未来SF小説の系譜」に参加。 パレスチナという土地で生まれたSFの系譜の圧倒的なリアリティに非常に驚いた。 イスラエルの作家、イシャイ・サリドの『第三神殿』と、イスラエルの中のパレスチナ人作家(ヘブライ語で創作)のサイイド・カシューアの『朝が来た』を中心に、国立民族学博物館の赤尾光春氏と、東京外大の細田和江氏のお二方からレクチャーがあった。 ユダヤ人のアイデンティティが、19世紀のシオニズム運動を通じて、時間的なもの──誰の子か、という家系・血筋──から、空間的なもの──占有された土地へと変質するという、赤尾光春さんの、懇親会の「鳥貴族」まで歩きながら、うかがったお話は、とても印象的だった。 以下は、 赤尾光春さんや 細田和江さん、細見和之さん、ユダヤ史研究者さんから聞いた話に、私の理解を入れて、まとめたものである。 第二神殿が破壊され、ディアスポラによって、世界に散ったユダヤ人は、ラビによるトーラーの自由な解釈体系であるタルムードを中心として学ぶという、シナゴーグでの信仰のあり方が形成されてゆく。この意味では、持ち運びのできるテクスト自体が、ユダヤ人のアイデンティティにもなった。 同時に、土地を失ったユダヤ人は、そのアイデンティティを、ほかの民族のように土地(空間)ではなく、家系(時間)に求めるようになる。 神殿が破壊されディアスポラに至ったために、信仰とアイデンティティのあり方が、このように、変質する。 この意味で、ディアスポラ以降のユダヤ民族は、 時間と、(タルムードに書かれた)ヘブライ語 をアイデンティの基礎にした民族と言えるだろうか。 第二神殿の破壊以前のユダヤ人の信仰のあり方は、動物犠牲を伴う公的祭儀が信仰の中核だったようである。律法(トーラー)に反した場合、神殿に動物の生贄を捧げていたという。 祭儀を直接執行したのは、アロンの子孫とされた祭司達だった。 第二神殿の時代は、600年もあった。 そして、現実の問題として、破壊された第二神殿(70年に破壊、第一神殿の破壊は紀元前586年)の再建が政治目標として、テーマ化するのが、1967年の六日間戦争の...

一日一句(5934)

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  マルクスの髭より秋は深みけり

一日一句(5933)

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  一枝は短冊の萩萩の花

一日一句(5932)

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  雨風もうねれば萩の姿かな