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京都日誌(448)

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  ■8月30日、日曜日、曇り。 朝から、洗濯、掃除、コインランドリー、身心調整。午後昼寝。 夜、堀川までインターバル・ウォーキング。 最初は、蒸し暑かったが、風が吹いて、気持ちよかった。帰りに買い物して帰る。 きのうの、細見さんの話から、大学のガバナンスは、民主主義の手続きではなく、企業経営の論理に従っていることが、はっきりしてきた。 学生の質も変化しており、リーダーに選出された人が一生懸命やっているのに、野党などは、その足を引っ張っていると認識するらしい。 小中学校の学級委員長に協力するときのような受け止めだという。 この社会においては、民主主義は、資本主義の枠内で機能するしかないので、民主主義は、必然的に、腐敗する。だから、たえざる民主主義の民主化が必要なのだが、現実の社会は、民主主義的独裁化の方へ進んでいる。その方が、市場での生き残りに有利だからだ。 京都大学の総長選挙のあり方は、ガバナンスにおける、企業経営的な独裁化の流れの中にあるとも言える。 こうしたときに、長いものに巻かれるか、長いものに抵抗するか、は、今後、大学ガバナンスの問題に限らず、切実な問題になってくるだろうと思う。 妻から、生野菜に蒸大豆をトッピングしたものを食べるように言われているので、レトルトのジャワカレーと、味噌汁と、このサラダを作って食べた。 夜、遅れているニコの仕事を行う。

京都日誌(447)

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  ■8月24日、土曜日、曇り。 午前中、身心調整。 その後、京都大学大学院の細見和之教授の 講演会 へ。 きょうの講演は、「近代と過剰なるもの」というテーマで、フランクフルト学派の第一世代、特に、アドルノとホルクハイマーの哲学の展開において重要で、一見、異質な三人──マルクス(剰余価値論)、ニーチェ(力への意志)、フロイト(リビード)の理論に、近代における過剰なるものを見て、フランクフルト学派から、今、何を学べるか?という問題意識に貫かれたものだった。 細見教授が強調していたことの一つは、マルクス(唯物史観に基づいてブルジョア思想を徹底批判)とフロイト(人間の夢や無意識を探求したブルジョア的な思想家)という、当時においては、水と油のように、異質な思想家と見られていた二人を、フランクフルト学派が、統合した点であった。 強権的な支配者に大衆が嬉々として従う問題の解明には、家庭におけるイデオロギー形成メカニズムを解明する必要があり、そのためには、フロイトの精神分析が必須だった、という。 ニーチェのフランクフルト学派への統合に於いても、ニーチェは、社会主義思想を弱者のルサンチマンに基づく「奴隷道徳」と批判し、人間の個性や卓越性が奪われた画一化された社会への批判──これらは、アドルノとホルクハイマーが亡命していた合衆国にもあてはまると考えた。 私が特に、面白かったのは、このマルクス・フロイト・ニーチェの 近代の過剰なるもの を、ジョルジュ・バタイユが、『呪われた部分』(1949)で、将来的に展開可能な形で提出している、という議論だった。 バタイユの唱えた 「普遍経済学」 は、生産と蓄積ではなく、消費と蕩尽に焦点を当てた試みであり、第一次大戦と第二次大戦は、この過剰なものの最悪の蕩尽形態だとする。 バタイユの議論においては、 人類史における過剰なるもの を根底で支えているのは、 太陽エネルギーである 。 要するに、バタイユの思想は、「生命=太陽エネルギーを内部に蓄える仕組み、地球で生じた生命体は降り注ぐ太陽エネルギーを糧として進化を遂げ、さまざまな動植物として発展してゆき、ついには人類が生じた、私たち自身が太陽のエネルギーの保存形式」ということになる。 過剰なるものの太陽エネルギー根源論 は、興味深いものであるが、バタイユ自身は、こう述べている。 「生命の最も普遍的な...

一日一句(5910)

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  みんみんの聲遠くなる真昼時

一日一句(5909)

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  ろんらんと歯根の疼く銀河かな

社会操作の一般理論に向けて(第5回)『おきな草』第60号

社会操作の一般理論に向けて(第5回) Toward a General Theory of Social Manipulation 尾内達也 In all affairs it’s a healthy thing now and then to hang a question mark on the things you have long taken for granted. あらゆる事柄において、長きにわたって自明と思われてきた事柄に、折に触れて、疑問符をつけることは健全なことである。 バートランド・ラッセル 8. 構造操作(structural manipulation) 8.1 構造操作(structural manipulation)の定義と分析方針   本連載の第3回において、構造操作に具体的に言及した。本稿では、改めて、この構造操作とは何かを考え、その定義を提示し、今後の分析方針を立ててみたい。  構造操作とは、何らかの社会的構造体を作り上げることで、人々を、特定の同一ベクトルを持った行動に駆り立てることを意味する。  この場合、この行動は、民主主義にとって良くない、と言う含意がある。  ここで、私が、構造操作として考えている具体的な事例は、たとえば、天皇制や靖国神社、日米安保条約であり、マーケットであり、米国のドル本位制であり──いぶかしく思う人もいると思うが、代議制民主主義制度、端的に言えば、多数決による意思決定システムであり、現在も不可視的に国内外で持続している植民地体制である。  ヤーコプ・フォン・ユクスキュル (※注1)は、 動物の本能 というミステリアスで万能の概念の代わりに、 自然の設計(Naturplan) という考え方を導入している。自然にあらかじめ書き込まれた設計図に、動物は従い、ここに逸脱や拒否はないという考え方である。  ユクスキュルは、こう述べている。すこし長いが、重要なので以下に引用する。  「主体の目的と自然の設計とを対比してみると、だれも正しい扱いができずにいる本能の問題を切り抜けることができる。  ドングリはカシワの木になるのに本能を必要としているだろうか。一群の骨形成細胞は、骨を作るために本能的に働いているだろうか。  もしそんなことはないと否定して、本能の代わりに自然の設計というも...

若宮日誌(446)

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  ■8月27日、木曜日、曇り。午後、激しい雨。 秋雨前線の北側に位置する関東は、 北東寄りの空気が入り、雲・雨で日射も抑えられたため、夕方から夜にかけて、気温がかなり下がった。 きょうは、朝から仕事。 就寝中のクーラーによる冷えで、めずらしく、夏風邪をひく。 夜、松本大洋の『ZERO』を読む。 昔、一度読んだ記憶があるが、2度目も楽しく読めた。 この人の絵は、様式性が強く、味がある。どこか、切り絵のような雰囲気もある。 ただ、個人的に不満なのは、リアリティに乏しい点。 そういうコミックとして読めばいいのだが… 『ちいかわ』 というのが、人気らしい。 あえて、説明はしない。 というか、シュールすぎて説明できない。 映画 も公開されている。 このアニメには、社会風刺もあるという向きもある。 ★ 8月6日付の 『ニューヨーク・タイムズ』 が、人工知能を使って新しい種類のウイルスを作り出すことに、科学者たちが初めて成功した、と報じている。 「8月6日に科学誌 『Science』 に掲載された新たな研究は、ウイルス遺伝子を複製するという段階をはるかに超えている。 スタンフォード大学と、カリフォルニア州パロアルトにある研究機関アーク研究所の科学者たちは、自然界に存在するDNA構造のパターンを認識し、そのデータを使ってまったく新しいウイルスの『レシピ』を書くよう、AIを訓練した。 研究者たちは、そのレシピに従ってDNA分子を作製し、それを細菌の中に挿入した。すると、改変された細菌は、自然界ではこれまで見つかったことのないウイルスを作り出した。それらのウイルスは別の細菌に感染することができ、それによって生存可能であることが実証されれた」。 「この新たな研究は、人工知能によって、致死性の毒物から阻止不能なパンデミックに至るまで、新世代の生物兵器を作り出せるようになるのではないかという、強まりつつある懸念に拍車をかけている。 今回の研究には参加していないジョンズ・ホプキンス健康安全保障センターの研究員、モーリッツ・ハンケ博士は、科学が急速に先へ進む一方で、致死性ウイルスの作製を阻止できるような安全策を整備することについて、政府や科学機関の対応は遅れていると述べた。 『そこには、とてつもなく大きな隔たりがあります』と彼は述べた」。 今後、パンデミックが起きた場合、AIを使って...