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京都日誌(417)

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  ■6月17日、水曜日、快晴。 日曜日は、朝から、本の片づけ作業。午後、仕事を少し抜けて、上尾のビバホームへ、鉢の底石を買いに。ゴーヤのプランターと、オクラと大葉の鉢に使用。エプソンのプリンタ・カートリッジの「カメ」があったので、ついでに購入。ビバホームに、今夏のテーマである、「水中花」は置いてなかった。途中、寿広場の大銀杏の「南」と、青桐の切り株に挨拶。 懐かしい、北関東の時空のいろ。 このころ、物の反抗を受けている。 物が思い通りにならないのは、以前からだが、このところ、ますます、物の反乱に遭遇している。 2Lのペットボトルのブルーのキャップは、とんでもない後方へ飛んで行ってしまうし、季節はずれにも、水は机に広がるし、愛用のシャープペンシルは、すぐに隠れてしまう。 これらは、総じて、老化と括れるが、私が注目しているのは、主に、指の摩擦係数の低下である。 握力自体には、問題がないことは確認済であるが、よく指が滑る。 それは、長年の使用による指先の皮膚の摩耗だろうと思っている。それが、もっともよく現れるのは、食器を洗う時である。なので、ゴム手袋をしないと、手が滑って、食器を割ることになる。 火曜日の朝、近所を散歩した。1.5時間の散歩。かなり久しぶりで楽しかった。 寿広場から、榮屋菓子舗を通り、市の指定文化財になっている矢部家住宅の横のあぢさゐの細道を北へ。カー用品を扱うダイヤサービス株式会社という、古くて渋く不思議な形の、昭和のアパートのような、くすんだコンクリートの建物を見て、赤穂浪士の討ち入りの4年前に建立されたという、稲荷神社へ。 ここは、江戸時代、羽振りの良かった紅花商人たちが、立派な石灯篭を2基寄付している。 鳥居を南に向かい、いつもの竹藪の光を見て帰る。 この日、西脇順三郎の Edgeの番組 を視聴。面白かった。 西脇順三郎は、典型的な形而上学詩人のひとりだと思った。その形而上学学は、インテリエリートのそれで、庶民の素朴な形而上学とは異なっている。初期の教養主義的な形而上学は、戦後、日常的な形而上学へ変化する。 このとき、文学的記憶と、眼前の記憶が、一直線に並んだのだろうと思う。 諧謔は、俳句で言う、取り合わせの妙から来るが、俳句が、物自体に定位するのに対して、西脇のまなざしは、物以上を常に見ている。 西脇の散文的な詩に音楽を感じる向きもある...

一日一句(5951)

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  あぢさゐはきのふの聲のありどころ

一日一句(5950)

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  紫陽花や時々の初心といふことを

一日一句(5949)

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  あぢさゐや水の姿はいまここに

一日一句(5948)

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  あぢさゐやからだの中の水の音

一日一句(5947)

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  六月の此の頃思ふ雲に鳥

京都日誌(416)

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  ■6月13日、土曜日、積雲ある晴れ。 4ヶ月ぶりに埼玉へ戻って、いろいろ、やることが山積している。 その中でもっとも重要なのが、自室の本・資料の整理と京都への発送である。 ようやく、本の箱詰めに着手。まだ、1箱。 水曜日は、六本木の事務所へ出かける。Rさん、Hさんと会う。 この日、東京は寒かった。東京タワーを久しぶりに見た。外苑通沿いに出されたゴミに鴉はいなかった。 Wordに、自動目次作成機能があることを、Rさんに教えてもらった。これで、PDF版と紙版の2通りの本を作ることができる。 金曜日は、妻と買い物に行き、家族に夕食を作る。 デリッシュキッチンのレシピを使ったが、これは時短でいいのだが、そのトレードオフと言っていいと思うが、全般に出汁が弱い。 なので、味噌汁の出汁を少し借用。家族の評判は良かった。 土曜日は、夕方、運動に出かける。まだ、体調が本調子ではなく、25分で切り上げる。帰りに、県道164号沿いの古本市場で、『九条の大罪』第6巻を購入。 その後、家族と合流して、北上尾のがってん寿司へ。 ★ 5月31日付『ニューヨーク・タイムズ』 が興味深い記事を配信している。 ルース・グラハム記者が、「UFOファイルに、悪魔を見るキリスト者たち」というタイトルで、トランプ政権が、公開し始めたUAPファイルが、キリスト教神学に与えているインパクトについて述べている。 この記事を読むと、米国のトランプ支持層の中核で、 カルト宗教 と言っていい、 福音派=クリスチャン・シオニストたち の行動は、ちょうど、1633年に、天動説を唱えたガリレオにローマ異端審問所が、異端の疑いをかけ、地動説の放棄を強制した事件と同じ色彩を持っている。それは、聖書原理主義であり、ユダヤ人の聖書作者が、バビロン捕囚時代に、ペルシャ(イラン)のゾロアスター教から強い影響を受け、唯一神、終末論、最後の審判、善悪二元論、死者の復活、救世主思想を、ゾロアスター教から 取り入れて、書いた 聖書の世界解釈(イスラム教シーア派最大宗派である 十二イマーム派 における 第12代イマーム・ムハンマド・アル=マフディーの再臨による救済の思想も、ゾロアスター教の影響下にある)を、神の聖なる書だとして 社会的に絶対化 する危険性と同一のものである。 -------------------------------...