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京都日誌(426)

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  ■7月16日、木曜日、積雲ある晴れ。 ブランシュによる2度目の短いツーリング、千本通を北上し、北大路通から東へ向かって、賀茂川まで。賀茂川のベンチで、しばらく、読書。 私の予想よりも、賀茂川まで時間を要した。千本から、23分強。 信号が多いためと思う。 また、バスの左側を抜けることはせず、バスが停車すると、その後に停車していたためもある。 走行中は、風に乗っているように心地よい。 二輪車専用レーンが、京都の大通りには確保されているので、それに従ってゆけばいい。 逆走は、車に向かう形になるのでNGになる。 帰りに、北大路新町で RABBIT BAGELS という、たいへん美味しそうなベーグルの店を見つけて、ベーグルを3つほど選んで、レジで会計をしようとしたところで、財布を忘れたことに気が付いた。 「しまった、財布忘れた!」と思わず言うと、レジの女の子が可笑しそうに笑っていた。 ブランシュには、籠がない。 したがって、リュックに本やら、携帯やら、鍵やら、ペンやら、カード(クレジットカードではなく、メモ用の白いカード)やら、ポカリやら、タオルやらを入れているが、財布を元のショルダーバックから移し忘れたのである。 目下、賀茂川のベンチで ユクスキュル の本を読むのが、楽しみとなってきた。 ★ 『 井筒俊彦の比較哲学 』などの著作のあるイラン人哲学者、 バフマン・ザギプール博士 と「アイデンティ研究会」を行うことに。 アイデンティティをめぐる両義的で幅広い問題圏を、テクストを一緒に読むことで、考えてみようという趣旨。 10月に第1回を東京で行う予定。 ★ 2026年7月10日、米国戦争省が、UAP(未確認異常現象)関連ファイルの 第4弾 を公開した。 今回公開された資料は、NASAの写真3点、1948年から2020年までの期間にわたる文書14点、軍のセンサーが捉えた映像19点、NASAの音声記録4点である。 このリリースについて、UAP科学諮問評議会議長のアヴィ・ローブ博士が レビュー している。 いくつか、興味深い資料があるが、ローブ博士自身が公開要請した、1949年2月のロスアラモス会議の 完全な議事録全25頁 が含まれている。 この1949年のロスアラモス会議を主催したのは、「水素爆弾の父」として広く知られるハンガリー系米国人の理論物理学者 エドワード・テラ...

一日一句(5967)

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  夕焼を見あぐるときの大我かな

京都日誌(425)

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  ■7月13日、月曜日。積乱雲ある晴れ。 朝から洗濯、掃除。 ロミー が入院中に書いたと言って、21編の詩編を送ってくれたので、そのうちの1つを選んで、コメント書いて、私の縁起の俳句の英訳と一緒に送る。 このコメントは刺さったようで、3時間で返信があった。 夕方、Kon's Cycleに自転車の空気を入れに行く。そのまま、千本通を全速力で北上して、北大路まで出て、また戻る。 この数ヶ月、もろもろ多忙で、5月18日(月)に、ブランシュと名づけた、この白いクロスバイクが納車されて、きょう初めて、少し乗ることが出来た。 乗ってみて、ブレーキやギアの切り替えの感覚、信号で停車したときの脚の位置の感覚などを覚えた。 京都の大通は、意外に、凹凸がある。また、バスとタクシーが、バイクの前に、突如現れて、突如停車するので、この2車種を巧くかわすことが、走行上のポイントになると思える。 普段は、歩くことしかしていないので、バイクだと、空間のあり方が、異なって現われ、なかなか、気分はいい。特に、千本通は、傾斜が北へ行くほどきつくなり、ギアを重くしておくと、完全に脚の筋トレになる。 帰りは、漕ぐ必要がまったくなく、今出川まで滑るように戻れる。かなりのスピードが出た。 ブランシュと一体化した時、身体がどのような形で拡張されるのか、そこに関心を持っている。 この身体の拡張にこそ、身体と、テクノロジーや巨大システムあるいはAIとの間に必然的に生じるインターフェースの問題が隠されており、事故の原因論として、運転員の操作ミスといった 単なるレッテル を張るだけで、十分な解明が繰り返しできない領域となっている。 実は、ここそが、 biosemioticsを応用した運転員の環世界の分析(生活世界の記述ではなく) が必要なところなのである。 現在、執筆中の『翁草』の原稿─社会操作の一般理論に向けて─の連載においては、靖国神社の分析を行うが、 靖国神社が知覚標識として存在する機能環を持つ環世界全体 の 批判的な分析 を試みる予定である。 帰宅すると、たいした時間、乗っていないのに、汗が吹き出し、そこそこ、自転車は、短時間でも、運動になることが判った。有酸素運動としても使えそうである。 ★ ロミー の詩は以下のような、なかなか、面白く、深いものだった。 der himmel aschrot im ...

一日一句(5966)

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  葉のゆれて縁起の動く夏木かな

京都日誌(424)

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  ■7月11日(土)曇り 午前中、仕事して、午後から西宮へでかける。大阪哲学学校の 「再考・メルロ=ポンティの身体性の哲学」 。 いろいろ、仕事が溜まっていて、きょう出かけるのは無理かもしれないと思っていたが、今朝6時に起きて、ひとつの仕事を一段落させたので、思い切ってでかけた。 非常に実り豊かだった。 私は、名ばかりの メルロ・ポンティ・サークル の会員なのだが、もうかれこれ、10年以上、メルロ=ポンティの哲学には、関心を寄せ続けている。 きょうは、改めて、メルロ=ポンティの哲学について、学び直す機会をいただけた。 もっとも、収穫になったのは、私のT-N-S Theoryの理論的な課題になっている、biosemioticsとジェルジ・ルカーチの社会基礎論を統合して、自然的存在まで射程に入れた時間空間理論の構築にとって、どうやら、このメルロ=ポンティ哲学と、その系譜が、このときの要になるという直感を得たことだった。 メルロ=ポンティ哲学は、こうも言えるのである。つまり、それは、ユクスキュルのUmwelt論の社会哲学的・現象学的表現だと。 田畑先生からは、メルロ=ポンティの身体論をドイツに輸入し、マルクスに則した身体論を展開したドイツの哲学者、 ベルンハルト・ヴァルデンフェルス への言及があり、今後の検討対象としてリストに入れた。 また、社会操作論としても、身体論は重要だという指摘が、田畑先生からあった。この点も宿題となった。 メルロ=ポンティは、身体論の他にも、初期の『行動の構造』(1941)におけるゲシュタルト論が重要で、これは、自然科学的思考の特徴である、「要素還元⇒全体総和」の思想と方法論では、対象全体を捉えられないことを端的に示している。 このときのゲシュタルト論の全体性の概念と探求方法を、ルカーチやマルクス、ヘーゲル、あるいはデュルケムのそれと比較することで、既存の自然科学的思考を止揚する可能性が開けるように感じた。 きょうは、私の方からは、身体⇒道具(巨大システム、AI)⇒対象の構図における、身体と道具のインターフェースの問題に、メルロ=ポンティの身体論は、ひとつの問題解決を提示するだろうという点。 また、三木清が『歴史哲学』の中で展開した「社会的身体」の概念を、上述の構図の中で、<身体⇒道具(巨大システム、AI)>(協同・分業的な空間=社会的...

一日一句(5965)

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  黒黴や隙といふものしづかなる