投稿

京都日誌(457)

イメージ
  ■9月10日、木曜日、積雲ある晴れ。 きょうは、時間に追われた一日だった。 洗濯、コインランドリー、身心調整の後、即、仕事に入る。 夜、仕事を終えて、天幕のジャードゥーガル「《第2幕》サファルに咲く薔薇」を 視聴 。 だんだん、悲劇的になってきた。 その後、仕事関係のYouTubeを2本視聴。 ★ ドイツのAfDが、9月6日の東部ザクセン・アンハルト州議会選挙で、圧勝した。 AfDのザクセン・アンハルト支部は、2023年10月に、ザクセン=アンハルト州憲法擁護局から極右過激派と 認定 されている。 「ザクセン=アンハルト州における極右過激主義政党の領域は、著しい拡大を経験した。この展開は、『ドイツのための選択肢』(AfD)ザクセン=アンハルト州支部ならびにその部門組織および下部組織が、 確実に極右過激主義的な活動 であると認定されたことに起因する」。 同党の一部は、ナチス関連のイメージやスローガンをスピーチで用いたりもする。 これは、一般ドイツ人には、タブーであるが、旧東独は、ナチスの自己批判が強くなく、教育においても旧西独地域ほど反ナチスが徹底されてこなかった。 なので、こうしたAfDのパフォーマンスの受け止め方は、その深刻度が、他の旧西独とは異なっている。 また、よく知られているように、AfDは反移民を党是としてずっと掲げてきた。 ドイツ公共放送連盟(ARD)のテレビニュース番組 『ターゲスシャウ』 は、9月7日付で、この選挙結果を、次のように分析している。 「AfDは2021年の得票率を2倍以上に伸ばし、44%弱に達した。同党は、2021年には投票に行かなかった人々から大規模に票を獲得することに成功した。 しかし、投票先の移動に関する最初の数字によれば、CDUからも多くの票を奪った。 AfDはすべての年齢層で第1党となっており、70歳を超える人々のあいだでのみ、CDUと並んでいる。 この成功は、ザクセン=アンハルト州では現在、ほぼすべての政策分野において、AfDが他の政党よりも高い能力をもつと評価されていることと大きく関係している。 これは、これまでAfDの重点分野とはみなされてこなかった重要な分野、たとえば経済政策にも当てはまる。 専門家からは、AfD政権が経済に悪影響を及ぼすだろうという警告が数多く出されていた。移民の受け入れに敵対的なその政...

一日一句(5923)

イメージ
  熊楠の目より零るる秋の海

一日一句(5922)

イメージ
  秋の聲熊野の石に残りけり

京都日誌(456)

イメージ
  ■9月9日、重陽、秋雨のち曇り。 身心調整、掃除。 その後、六本木の仕事へ入る。 臨時稼働だったが、意外に時間を要した。 エルブリッジ・コルビー 国防次官の戦略軍のシンポジウムでの、戦術核使用のハードルを下げる危険な 講演 資料を検討。 ゲーム理論を核抑止、軍備管理、交渉、紛争などの研究に応用した トーマス・シェリング (1921-2016)を知る。 ゲーム理論は、 写像理論に象徴されるスタティックで受動的な存在論を再帰的でダイナミックなPraxisspielへと組み替えたとき 、検討しなくてはならないものの一つになる予感がある。 ここで言う、 Praxisspiel(実践ゲーム)論 とは、ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論を 存在論的に止揚 したものである。 その中心をなすのは、人間が目的を定立し、環世界の因果的諸連関を認識・選択して、それを目的実現へ向けて組み替える 労働行為を原型とする社会的実践 である。これを ひとつのゲームとして見てみよう という発想である。 実践ゲームの規則は、言語的規約だけから生じるのではなく、人間の身体的・知覚的能力、環世界の客観的諸条件、ならびに歴史的・社会的関係との相互作用のなかで成立し変容する。 人間は、目的定立をともなう社会的実践(労働を含む)を通じて、環世界を変容させ、同時に、自らの能力・欲求・社会関係をも変容させ、その循環のなかで自己と社会を実践的に形成していく。 そういうイメージを、 Praxisspiel(実践ゲーム) に込めている。 夕方に仕事を終えて、運動へ往く。帰りに買い物。 帰宅後少し休んで、今度は、インターバル・ウォーキング+ジョギングへ、堀川まで。 かなり気分が良かった。夜は、だいぶ涼しくなった。 大垣書店で『九条の大罪』第11巻を購う。楽しみである。 夜、高橋和夫先生が、イスラム関連の考証を行ったアニメ、天幕のジャードゥーガル 第一話 を視聴。 かなり面白い。物語は、1213年のイラン東部の都市トゥースから始まる。 その後、ニコの仕事を少し行う。

京都日誌(455)

イメージ
  ■9月8日、火曜日、曇り、秋雨。 雨に降り込められて、気分が上がらない一日だった。 午前中、身心調整、『週刊現代』を読む。かなり面白い。 週刊誌を比較的読むようになったのは、ここ5、6年くらい。 六本木の仕事をするようになって、週刊誌の報じる内容の重要性に気が付いてから。 午後から、書評論文『シオニズムの現在形、あるいは社会操作としてのシオニズム』の執筆。 凡そ、2分の1を書き上げた。 ここで、もっとも重要なことは、 一極覇権から多極化へ という、世界構造の変化という 「地」 と、シオニズムの変化(あるいは可視化)という 「図」 の関係であると思っている。 まだ、この関係は、よく見えてこない。 夜、8時を回ると、眠くなり、ベッドでヴィトゲンシュタインを検討する。 めったに飲まない珈琲を飲むと、やおらスイッチが入った。 後期ヴィトゲンシュタインでは、 言語ゲーム論 と 家族的類似性 という革新的なアイディアが中心となり、言葉の向こうの事態や事物を前提にして、それを言語は模型化する、という 写像理論(存在論) は、言葉の使い方の一つにすぎないと自己批判されて、うち廃られていく。 後期の思想は、存在論や、それと関連する本質主義──物事にはそれを成り立たせている不変の本質がある──への根本的な批判となっている。 ここを、どう考えるかが、鍵になる。 言語ゲームは、たんに多種多様にあるというのではなく、ある場面や社会活動、構造の中で、その選択の範囲は、決まってくる。 ヴィトゲンシュタインは、 生活形式(生活の様式、生活の形) という概念で、その規定性を捉えている。 生活形式は、 文化 と言い換えてもいい。 これは、 目的定立を伴う社会的実践が行われる、地であり場であり空間 でもあるだろう。 前期ヴィトゲンシュタインの言語論に於ける写像理論は、スタティックで受動的ではあるものの、 存在を前提に している。言語の意味は、この存在が与えた。 逆に、後期の言語ゲーム論は、存在論、あるいは反映論からは離れているように見える。 言語ゲーム論では、言語の意味は、 「その言語がそのときその場でどう使用されるか」 という使い方で決まるとされる。 ここで、気が付くのは、ヴィトゲンシュタインの問題関心が、 言語とその意味 だということであり、存在論も論という名が付くことからわかるように、...

一日一句(5921)

イメージ
  追ふ男追はるる男銀河かな