■8月18日、火曜日、曇り。 午前中、身心調整、ルカーチの仕事。 午後から、六本木の仕事。 このところ、ルカーチと格闘しているが、その中で、いくつかの発見や理論的な前進があった。 私が考えている科学基礎論は、 目的論・因果論・偶然論を、反映論と表現論で結ぶ 、というものだが、きょうは、訳注に苦戦しながら、そのルカーチの反映論の理解がかなり深まった。 いわゆる反映論は、レーニンの『唯物論と経験批判論』を源に持つマルクス主義の反映論が有名で、かつ評判が悪い。 たとえば、レーニンは、同書の第2章第1節で、こう言っている。 「唯物論が、意識的にその基礎においている結論は、我々の外に、我々から独立して、対象、物、物体が存在し、我々の感覚は、外界の像である、ということである。これと逆のマッハの理論(物体は感覚の複合である)は、憐れむべき観念的たわ言である」(レーニン『唯物論と経験批判論』p.76、河出書房新社、1971 )。 ルカーチの反映論は、これよりはるかに深く、体系的に展開されている。 ここを突破することで、科学基礎論の基礎が見えてくると、私は確信している。 きょう気が付いたのは、ヴィトゲンシュタインの写像理論の欠点は、それが静態的であるところだということだった。つまり、 写像理論という反映論には、反映を媒介する実践が考慮されていない。 言い換えると、ヴィトゲンシュタインは、 写像を媒介する目的定立とそれに応じた選択的な因果系列の作動を見落としている。 ただ、写像理論は、反映論と表現論の形式化に有効なのではないか、という直感があり、並行して検討している。 きょうは、また、思わぬ副産物として、一般社会操作論を、社会操作類型論から、 社会操作過程論 へ移行し、それに伴って、情報操作・知識操作、感情操作、構造操作の、3類型を、 社会操作過程における3つのモメント と規定し直すアイディアを得た。 これによって、排他的だった3類型が 3つのモメントして、相互に媒介し、相互に浸透する社会操作過程全体を分析する視角 が開かれてくる。 つまり、 弁証法的に社会操作過程を捉えてゆく ことができる。 もう一つ、考えたいのは、 社会操作のエレメント である。 この議論は、今後、考える。 一般社会操作論の中間報告は、11月以降に、大阪哲学学校で行う。 このとき、靖國の具体的な分析と、...