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京都日誌(441)

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  ■8月16日、日曜日、曇り。 きょうは、終日、曇りで、薄日が差す天気だった。 午前中、ヘーゲル読者会。午後から、ルカーチの仕事。夕方、運動。 ★ 天皇の『玉音放送』を フル で聴いてみた。 2015年8月1日付『毎日新聞』は、こう説明している。 「戦後70年(2015年)に当たり宮内庁は8月1日、終戦の日の昭和天皇の『玉音放送』を録音したレコードの原盤を初めて公表し、併せて音声を公開した。 『玉音放送』は、1945年8月15日正午からラジオ放送された昭和天皇による終戦詔書の朗読(約4分30秒)。前日の14日深夜、当時の宮内省内で録音された。昭和天皇はとり直しを希望して2回読み上げ、2種類の原盤が完成した。今回公表されるのは、実際に放送された2回目の録音の原盤」。 これを聞いて、正直、内容はよく判らなかった。繰り返し報じられる「 耐え難きを耐え、忍び難きを忍び… 」は判るが、あとは、一回では何を言っているのか判らない。 聲のトーンと質に注目すると、高いトーンと低いトーンが入り混じり、不安定な印象を与える。 詩や俳句の朗読を少しやる経験から言うと、この天皇の録音は、非常に緊張した状態で発聲しているのは間違いない。 驚くことに、ほとんどの国民は、このとき、初めて天皇の肉聲を聞いたのである。マスメディアは、新聞・ラジオしかなかった。 この「終戦の詔書」は誰が書いたのか? 後に、GHQとして日本を占領・管理することになる米国人集団が書いたという 人 もゐる。 国立公文書館 によれば、文案確定に至るまで、9つの文案が閣議に記録されている。 文案作成では迫水久常内閣書記官長や漢学者の川田瑞穂らが中心的役割を担い、安岡正篤らも修正に関与したとされる。ただし、起草者や各人の関与の範囲については、証言や研究の間に相違がある。 これについては、ドクター中松の興味深い 証言 がある。 2021年8月15日の 『ハフポスト』 が『終戦の詔書』全文の現代語訳を掲載している。 この中で、目についたのは、以下の点である。 「 そもそもわが国民が健やかに、安らかに生活できるよう心がけ、世界の国々とともに栄えその喜びを共有することは、歴代天皇が手本として残してきた教えで、私も常に念じてきたところでもある。したがって、さきに、アメリカとイギリスの二国に宣戦布告した理由もまた実に、わが国の自存...

一日一句(5898)

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  不穏なる葉一枚の揺れ颱風来

京都日誌(440)

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  ■8月14日、金曜日、積乱雲ある晴れ。 午前中、洗濯。 午後から、ルカーチの仕事。 夕方、スギ薬局とイズミヤへ買い物に行く。 明日の8月15日の敗戦忌を前に、国立公文書館 アジア歴史資料センター が、 「昭和100年インターネット特別展」 第2回を公開した。 きょう公開されたのは 第2回「日本とアジア諸国の戦後」 であるが、第1回は、 「『写真週報』にみる昭和戦時下の日本とアジア」 である。 『写真週報』 というのは、内閣情報部(のち内閣情報局)により刊行された週刊のグラフ雑誌のことで、発行部数は、昭和16年(1941年)3月時点では約20万部だった(当時グラフ誌で最も部数の多かった『アサヒグラフ』でも数万部に過ぎなかった)。 読者の多くは男性・青少年であった。読者の男女別比は男性約62%、女性約38%、同じく年齢別比は25歳までが65.6%、26歳から60歳までが30.3%、61歳以上が2.1%。 つまり、皇軍兵士として、すぐに戦場に出る徴兵年齢の若者が読む写真週刊誌だった。この雑誌は、その意味で、現実の戦場の報道ではなく、戦争プロパガンダの最前線を担っていたと言っていいだろう。 アジア歴史資料センターは、貴重な一次資料を、この他にも、多数公開している。 たとえば、 大東亜共栄圏 という小トピックで紹介されている一次資料に、昭和16年(1941年)8月15日付の『部報』という雑誌(台湾総督府臨時情報部発行)がある。 ここに、「大東亜共栄圏の確立」という 記事 があり、陸軍省報道部による「聖戦四年」という文章からの引用によって、「大東亜共栄圏」の概念が述べられている。 この部分を読むと、非常に「いいこと」が、 相手国の意向を無視して 、その「いいこと」を押し付けるようにして、 救世主気取り で、国際法による根拠抜きに、一方的に書いてある。 「大東亜共栄圏とは、政治的に言えば、まず、日満支を中心として、印度支那半島、マレー半島、蘭印その他を広く包含する地域である。 経済的にいうと、日満支の経済ブロックを発展させて南方資源を包括した一大経済ブロックをさすのである。 (中略) もとより、東亜は英米流の帝国主義的支配から解放され、その間に、いかなる搾取も抑圧もあるべきではない。各民族は、そのたくましい意力と知力をもって活動し得るものでなければならぬ。 (中略) ...

一日一句(5897)

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  みんみんはこの世の昼を開きけり

一日一句(5896)

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  スピーチの天心しづか夏了る

京都日誌(439)

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  ■8月13日(木)曇り、ひつじ雲ある晴れ。 きのうの夕方、京都へ戻ると雨で、かなり涼しくて驚いた。 きょうも、夜風はかなり涼しい。ただ、湿度は高い。 高崎線も新幹線も、ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を集中的に読む。 ルカーチの反映論と『論理哲学論考』の写像論を 相互批判 させることで、反映論の明晰化・厳密化・深化ができないか、というアイディアがあり、その問題意識の下に検討してゐる。 前期ヴィトゲンシュタインは、後期の言語ゲーム論で乗り越えられた、というのが一般的な評価だが、故・石塚省二先生は、前期の方が、まだ、存在論とリンクしていたと述べていた。 私のアイディアは、石塚先生のこの言葉が元になってゐる。 紙屋川の流れは、秋の音になってゐる。虫の聲がしてゐる。 六本木は、夏休みに突入。 この間、身心調整を中心として、ニコやルカーチの仕事など、ほかの仕事を進める予定。 身心調整は、肩甲骨を中心にしたストレッチと、瞑想、リンパ流・血流のための体操という、3段階を考えて、毎日、実施。 午後、仕事関係の情報の整理と調査・検討。 きょうは、休みだったので、夕方、金閣寺のジムへ行き、筋トレと、有酸素運動の計1時間、汗を流す。 8月は、下旬に、墓参などで、ふたたび若宮へ戻る。

一日一句(5895)

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  黙祷の胸にぽつかり銀河あり