■これは、『21世紀研究会』主催のフィールドワークの感想として執筆したテクストです。『一般社会操作論に向けて』において、空間布置・空間操作という点を強調して神武天皇陵・靖国神社・御所を比較検討しました。社会の再生産論および社会統合論に、社会操作をどう位置付けるかが、今の理論的な関心となっています。その際、社会を生物学のアナロジーで理解する系譜と、矛盾の止揚による弁証法的展開として理解する系譜の、2つの理論的な系譜の差異と同一性が重要になるだろうと感じているところです。 ■ はじめに 畝傍御陵前駅に降りてまず確認したのが、畝山(洞村)、橿原神宮、畝傍御陵=神武天皇陵の空間配置でした。駅のごく近いところに、日本の大和朝廷関連の考古学的知識の生産拠点である橿原考古学研究所と、その付属博物館が位置することも確認しました。 これらの空間配置によって、ここが、「建国の聖地」であることが、結果的に演出されているように思いました。 特に、日本の考古学的知識の生産拠点である橿原考古学研究所を、ここに据えたことは、「建国の聖地」に 科学的なリアリティー を与えることに成功していると思います。 これらは、記紀に出てくる畝山や橿原神宮、神武御陵の空間布置を用いて、建国の時間と空間を、 社会的に確定する という、 大掛かりな社会操作 と言えるでしょう。 そして、この空間布置の目的は、 地域全体の聖化 であり、とりわけ、橿原神宮と神武御陵の布置によって、畝傍山の再聖化が担保されています。 王権には、もともと原理的な根拠(それ自身をそれ自身で根拠づける)は存在しませんから、 神話の外在化で王権を社会的に根拠づける試み と言えます。 たとえば、京都の現在の御所は、鎌倉時代以降に設営されたものですが、その広大な御苑全体の空間の中心に、かつて天子が政を行う紫宸殿が存在し、御所の空間全体はそのまま 天子の身体性 を意味していました。 この空間は、天子の権威と清浄さとを意味し、 24 時間、皇宮警察が御所内を巡回し、 不在の天子の身体性 を守っているのです。 この 清浄さという権力空間のあり方 が、日本的な権力表現の特徴のひとつと思われます。 御所の塀の外で、朝夕、紫宸殿に向かって柏...