往還日誌(384)
■2月4日、水曜日、快晴。立春。夜、ごみを捨てに行くと、いきなりの朧月だった。 きのうの夜は豆を撒き、年豆を食べた。豆まきの豆は、いつも思うが、かなり美味い。 ★ 一般社会操作論の原稿が溜まってきたので、3月くらいを目途に、一本にまとめて、プレプリントであるAcademia.eduにまずアップしようと思っている。 その時々の時事問題を事例として入れているので、一本に編集するのは、そう簡単ではないとは思うが、一般社会操作論を世界の学者コミュニティに可視化して、反応を見ることが目的である。 その後、査読付きの雑誌に挑戦していく。 ★ 『現代詩手帖』2月号 が、「イラン現代詩を読む」を特集している。 その中に、アヤット・ホセニイ著「イランにおける日本の俳句受容史」がある。 たいへん興味深いことに、冒頭にこう書いてある。 「イランの人々は、日露戦争の知らせを耳にする以前、日本という国についてほとんど知識を持っていなかった、しかし、1905年、アジアの極東に位置する島国・日本がロシアの帝国海軍を破り、その威信を失墜させたというニュースが届くと、長年、強大な隣国ロシアと戦っては破れ、領土を失ってきたイランの人々は、大きな衝撃を受け、日本への関心を急速に高めた」 この部分を、読むと、イランとロシアの関係を踏まえれば、そうなんだろうなと思うと同時に、複雑な気分になる。 日露戦争に勝利したことが、その後の日本の国家としての方向を大きく「勘違い」させて、国家の現実的諸条件を直視するよりも、妄想を膨らませることになったからだ。靖国神社で、「英霊」が誕生したのは、日露戦争からである。 アヤット・ホセニイさんは、テヘラン大学で日本語を教えているという。 イランでも、俳句が盛んになっており、ペルシャ語によるハイクが定着していること自体には、そう驚かないが、俳句と、標ペルシャ語以外の諸方言における詩形の中に、比較可能なものが存在しており──たとえば、イラン南東部バルーチェスターン地方のバルーチ方言に伝わる短い口語詩リーコ(Liko)は、日本語俳句との間に類似点を持つことが研究によって示されている──、イランでハイクが盛んになることで、これまで関心が払われなかったイラン諸民族固有の詩形に、光が当たっているというのである。 これは、日本語俳句の受容効果として、とても面白い。 イランは、現...