京都日誌(422)
■6月29日、月曜日、曇りときどき光射す。 きょうは、朝から、論文『老化と記憶』に着手。 夜7時半に完成。 テーマは普通だが、内容は、独創的なところのあるものになったと思っている。 8月下旬に発行・発売予定。 今回の執筆で、バイオセミオティクスと、社会的実践モデルとしての労働の、関係性をどう考えるべきかという課題が浮上してきた。 じっくり、勉強・思索していきたい。 ★ この頃、田中角栄と 中村天風 のふたりに関心があり、少しづつ、本などを集めている。 田中角栄は、私の世代では、ロッキード事件と、立花隆の『田中角栄の研究─その金脈と人脈』のイメージが強く、長く、現在の自民党の裏金作りにも繋がる金権政治の源泉という負のイメージだった。 関心を持ったのは、第一次オイルショックのときに、キッシンジャー国務長官に対して、見せた角栄の外交だった。 角栄は、1972年7月に総理就任。1973年10月の 第四次中東戦争 (ヨム・キプール戦争)をきっかけに、産油国が原油価格を大幅に引き上げ、一部の国への石油輸出を制限。日本では1973年秋から1974年にかけて深刻な影響が出た。 角栄は、ちょうど、第一次オイルショックのときに、総理だった。 宮田律現代イスラム研究センター理事長は、こう 述べて いる。 「1973 年10月6日の第四次中東戦争が勃発すると、10月19日にクウェートでアラブ石油相会議が開催され、米国とその協力国であったオランダに対する石油の禁輸と73年9月の水準から毎月5%の原油生産の減少が決定され、『友好国』と認定されなかった日本はいずれアラブ諸国からの石油輸入が止まるのではないかというパニックが起こった。 日本が友好国に認定されなかったのは、日本のパレスチナ問題に関する取り組みは極めて消極的なものである、(2)中東諸国の経済社会発展にほとんど寄与していない、(3)日本は中東の安価な石油で経済発展を遂げたにもかかわらず、中東諸国との友好関係を促進しようとしない、(4)日本はアラブ諸国の半分にしか大使を常駐させていない、(5)72年5月の日本赤軍のテルアビブ・ロッド空港襲撃事件の際に日本政府はイスラエル政府に対して謝罪使節を送った(日本赤軍はパレスチナ人に同情し、イスラエルのロッド空港を銃と手榴弾で襲撃し、26人を死亡させた。この事件はアラブ世界からは称賛さ...