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京都日誌(469)

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  ■10月2日、金曜日、巻雲ある晴れ。夜は冷え込んできた。 身心調整後、六本木の仕事、午後、所用で外出。一条戻り橋まで歩き、ふたたび、一条通りを西進して帰宅。夕方から、再び、六本木、夜まで。 10月になり、状況を再定義。 10月は、ニコの仕事と、『科学基礎論としての 観測(者)問題(あるいは測定問題) 』に取り組む予定。 これは、1、2ヶ月でなんとかできる問題ではなさそうなので、問題を整理し、新しいアプローチを示せれば成功という基準でゐる。 その際、この問題が、 自然的存在と社会的存在の交点に位置する ところに着目して、これも、測定行為あるいは観測行為という、 社会的実践の一つであるから(つまり、測定も観測も、社会・歴史と切れた純科学ではなく)、なんらかの社会・生活過程の表現になっている、あるいは、その反映 だという視点で、考えを進めてみたい。 ★ 9月18日に、米戦争省が、未確認異常現象(UAP)に関する公文書データの 第6弾 を公開した。 ホワイトハウスや米国防総省、米連邦捜査局(FBI)、および情報機関に助言するUAP科学諮問評議会の議長、アヴィ・ローブ博士は、 こう述べている 。 「人類が核戦争やAIロボットによる存続への脅威について考える一方で、 関連施設はUAPによって監視されています。 根本的な問いは、 UAPが人間による極秘計画 によるものなのか、それとも人間がこれまで開発したどの技術よりも はるかに進んだ異星人の技術 によるものなのか、ということです」。 また、UFOという言葉の生みの親、エドワード・J・ルッペルト大尉による講演の音声記録も含まれているとしてこう語っている。 「今回の公開資料には、エドワード・J・ルッペルト大尉による講演の1952年の音声記録が含まれています。ルッペルトはプロジェクト・ブルーブックの初代責任者であり、UFOという用語を生み出した人物です。 これは、バーリソン下院議員が特に公開を求めていた「空飛ぶ円盤についての講演」の録音です。ルッペルト大尉による1分間の説明は、 1952年に空軍が検討した800件の事例の約20%が、まったく説明されないままだった ことを明らかにしました。 こちら のデジタル化された歴史的映像は、海軍上級准尉デルバート・C・ニューハウスが撮影したもので、1952年にユタ州トレモントン上空を飛...

一日一句(5943)

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  薄紅葉労働といふ自由あり

一日一句(5942)

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  曼陀羅は櫻の薄き紅葉かな

京都日誌(468)

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  ■9月30日、水曜日、曇り。 午前中、府立医大を受診。 予約を入れてから、受診まで、一ヶ月かかった。 CTを撮り、鼻内視鏡を、左の外鼻孔から鼻腔へ入れた。 慢性の副鼻腔炎であることがはっきりした。 これと、歯痛にはおそらく因果関係がある。 頬の下半分が、CT画像では白くなっており、そのすぐ下は左上奥歯になる。 二段階治療となり、初めに、2種類の抗菌薬で殺菌し、膿を排出する。 薬剤の効果がなければ、内視鏡手術になる。 ★ 帰宅後は、きょうが締め切りの書評原稿を書き上げる。 6000字では、重要なことはあまり書けない。 残念だが、字数制限は致し方がない。 「シオニズムの現在形、あるいは社会操作としてのイスラエル・ロビー」 という題で、ジョン・ミアシャイマー&スティーヴン・ウォルトの『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』を取り上げた。 2007年の古い本だが、イスラエル・ロビー研究の原点であり、今もなお多くの示唆を与えてくれる。 この書評原稿のため、比較対象として最新刊の Israel's Lobby: America in the Grip of a Foreign Power( Eli Clifton , Ian Lustick ) を発注していたが、どういうわけか、9月8日に届くはずが届かず、使用できなかった。 いずれにしても、今回の作業で、 社会操作としてのイスラエル・ロビー という視点を得ることができた。 そして、それは、 社会操作において、個人と組織のゆるい連合体である、イスラエル・ロビー型というものがありえる ことを、示している。 ゆるい連合体 というあり方において、イスラエル・ロビーは、 国家利権村 と似ている。 国家利権村 にとって、「親イスラエルに米国の外交政策を方向づける」というような、イスラエル・ロビーの 明確な統一目的 に相当するものは、 日米合同委員会や日米地位協定、指揮権の統一化などを含む、社会システムとしての 日米安保条約の枠内での、所与の社会システムのあり方(sosein)の維持 だろう。そのための改革もある。 なので、米国の外交政策の根本的な批判は、パレスチナやイラン、ウクライナを含めて、 国家利権村の代表的な構成要素、コーポレート・メディア にはできない。

一日一句(5941)

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  朝顔や時のはたては海のいろ

一日一句(5940)

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  秋聲や曼陀羅出でる仏達

京都日誌(467)

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  ■9月27日、日曜日、曇り、午後、秋雨。 終日、仕事。 3つ重なって、なかなか、険しい日々に。 9月の諸問題を解決して、気分良く、10月へ移りたい。 友人の作家、 黄英治 さんに紹介いただいた本が2冊到着。 宮沢剛著 『他者の声を聴く』 と、目取真俊著 『地を這う声のために』 。 この頃、 植民地他者の聲を聴くこと が、 社会操作の呪縛を解く上で有効な手段 になると、はっきり気づいた。 今までも、うすうすはわかっていたのだが、自分で 一般社会操作論 を考えるようになって、その確信は、より強くなった。 社会操作は、個人には社会化されており、社会には制度化されることで実装化されている。 一番やっかいなのは、それが、 情動と強い結びつきがある 、ということである。 我々は普通に生きているだけで、セイレーンの聲に絡めとられているのである。 社会操作は、それなしでは、社会、あるいは国家は成立しない、という意味で、現存の社会や現存の国家の再生産に必須の条件となっている。 この意味で、社会操作を問題にするということは、現存とは異なる、 よりよい社会 を問題にするということであり、それは、とりもなおさず、 民衆の歴史への参画を問題にする ということなのである。 最近、グラムシを読んでいて、こんな風に考えるようになった。 田畑さんは、グラムシの研究者は、ルカーチほどではないが、激減していると述べている。 私は、これを聴いて、グラムシの重要性を確信した。 学会のポスト市場で人気のない人ほど、重要だからである。 宮沢さんは、『他者の聲を聴く』の「はじめに」でこう書いている。 「戦後の日本政府は、独立(1952)と同時に、旧植民地出身者から国籍を剥奪し、日本国民=日本民族=日本人という同質性を強調した国民像を構築した。 いわば<同>の範囲を一気に収縮させたのだが、これは、旧植民地出身者の 不可視化あるいは例外化 をもたらし、”日本国民は日本人だけ(日本民族)だけ”という同質な国民像と、”この社会に暮らしているのは日本人だけ”という均質な社会像を、この国に暮らす人々の多くに内面化させる契機となった。 その結果、社会生活の隅々まで日本人であることが当然視される状況が生じ、在日朝鮮人にとっては同化(日本人化)の圧力となっただろう」(同書、p.5)。 近代のnation-state(民...