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若宮日誌(483)

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  ■10月20日、火曜日、雨になりそうな空模様。 この処、18時には仕事は止めて、21時にはPCもスマホも切っているので、かなり心身の調子がいい。 きょうは、夕方から、新宿でバフマン氏とアイデンティティ研究会の方向性について、きょうの朝に作成したメモを元に議論。 今後、「日本会議」と「参政党」に関する本を読みつつ、日本のアイデンティティの起源のひとつで、第2次大戦のイデオローグになった京都学派などの大東亜共栄圏の原型とも言える、1786年に刊行された林子平の『三国通覧図説』(朝鮮、琉球、蝦夷地=北海道・樺太・千島列島などを論じる)の社会空間認識や、江戸時代末期の会沢正志斎の1825年の『新論』における国体の概念との連続性と断絶性を検討していくことになる。 バフマン氏に、 嵯峨隆著『アジア主義全史』 という本を教わった。この本は、江戸時代中期から明治期に生まれたアジア主義の思想的起源をたどり、アジア諸国の連帯による西洋列強への抵抗という理念が、1930年代以降の日本の侵略政策とどのような関係を持ったのかを検討しており、たいへん興味深い。 著者は、もともとのアジア主義と、日本の侵略を正当化した「大東亜共栄圏」の思想を区別していると解説にはあるが、私見では、断絶性だけでなく、連続性もあるだろうと思う。無から思想が生まれることはないからだ。 私の作成したメモは、以下の通りである。 ★ 20261020 @ 新宿南口   第 1 回アイデンティティ研究会のためのメモ   1 .研究テーマ、あるいは問題意識 1.1  アイデンティティ(自己同一性)言説の歴史について 1.2  アイデンティティと近代の民族国家( nation-state )   ・国家統合機能としての民族アイデンティティ(ウクライナのネオナチ、イスラエル、日本)国家の危機のときに、アイデンティティが問題化する ・民族アイデンティティと民主主義の関係 例):ユダヤ人としてのアイデンティティを、民主主義の価値より上位に置く 「民主主義に対するユダヤ人アイデンティティの優位:国家のユダヤ人としてのアイデンティティは、その民主的な統治制度に優先する。この優先順位は、民主的価値観を損なうことになっても、ユダヤ人国家としてのイスラエルの存続を保障することを目的としている。国家のユダヤ...

若宮日誌(482)

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  ■10月17日、土曜日、快晴。 よく眠れた秋晴の朝は、この世の幸のひとつかもしれない。 朝8時になると、桶中のブラバンとテニス部が練習を始める。四十雀が啼いている。 朝、西口公園で、身心調整を行う。幼稚園の子どもたちのためのイベントやっていた。 ★ ブラジルの大統領選で、米国の福音派が増殖して、この勢力がルラ大統領の対抗馬で、第一回投票で勝った「ボルソナロ2.0」こと、極右のジャイル・ボルソナロ元大統領の息子、フラビオ・ボルソナロの躍進に貢献している。 福音派であるから、イスラエルとも関係が深い。 南米の宗教と言えば、カトリックの 「解放の神学」 が有名である。 貧困を 個人の問題 ではなく 社会構造の問題 として捉え、 経済的不平等 や 抑圧的制度 を批判する「解放の神学」は、一般に、1960年代後半から1980年代にかけて隆盛し、1990年代以降は衰退したと考えられている。 1971年、ペルーの神学者グスタボ・グティエレスが『解放の神学』(Teología de la liberación)を刊行して、「解放の神学」は一躍有名になる。 1980年3月24日、「解放の神学」を支持した中米、エルサルバドルのオスカル・アルヌルフォ・ロメロ大司教が、国家警察で構成された「死の部隊」によって、暗殺される。 経済主権を回復し貧困から抜け出そうとする南米民衆の感情的・宗教的・理論的な支柱となった「解放の神学」を、マルクス・レーニン主義の代理人と決めつけ、米国にとっての不利益と認識していた米国政権は、CIAを通じて、エルサルバドルの情報・治安機関を軍事訓練し、資金提供していた。 ロメロ大司教の暗殺の背後には、CIAがいた。 ブラジルの福音派──特に、踊る宗教として知られる福音派の中のペンテコステ派──は、自然増殖したのではなく、米国政権と意を同じくする米国福音派による大規模な信者獲得運動と、米国とイスラエルによる、「解放の神学」駆逐という、地政学的意図があったことは多くの識者の指摘するところである。 宗教人類学者、 デイヴィッド・ストール は、1990年の 著書 『Is Latin America Turning Protestant?』で、1985年にはラテンアメリカで米国を中心とする北米のプロテスタント宣教師が1万1196人活動していたことを明らかにしている。 ...

一日一句(5956)

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  奥武蔵剛なる土地の薄紅葉

一日一句(5955)

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  ひょんの笛風にほどけし雲の音

若宮日誌(481)

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  ■10月14日、水曜日、積雲ある晴れ。 夜、北風が強く吹く。木々の葉擦れの音が、潮騒のようにうねっている。 さいたまで借りていた文献10冊を、六本木の事務所へ宅配便で返却。 セブンイレブンで宅配便を出したときに、好物のアンドーナツが、揚げたてで売られているのに気が付いて、買ってみたが、いまひとつだった。残念。 家の担当箇所の掃除、ごみ捨てなど。 その後、Kさんのところまで、歩いていき、メガネの調整をお願いする。 神武天皇陵のことを話すと、驚いていた。 帰りに、ノジマでSDカードを購入。京都ヨドバシの半額で入手。 珈琲館で、 スイートポテト・ホットケーキ を食す。これは美味しかった。 ★ 夜、南方熊楠の南方曼荼羅関係の 論文 「南方熊楠の自然哲学とシステム認識」を読む。 南方曼荼羅というのは、知識論、科学基礎論、科学哲学とも言えると思うが、この論文は、かなり面白いもので、著者の千葉商科大学大学院の出口弘教授の関連論文を何本か、ダウンロードした。 出口さんの論文を一読した限り、熊楠の知識論は、存在論が弱いと感じた。 主に、知識を知識として扱っているように思えた。 知識は知識的存在である がゆえ、知識の組み込まれた 社会過程 や 生活過程 、 社会構造、としての知識 を考えるべきなのである。 社会哲学よりも自然哲学が、熊楠は前景に出ているように感じられるのである。 言い換えると、南方曼荼羅として結晶するべき「整理された知識」としての科学的知識は、自然的存在と社会的存在の断絶性への感度が弱くなる。 つまり、粘菌から動植物とその進化、人間とその精神、宗教、民族、社会へと生命を持つシステムを、 連続的に、一元的に 、捉えているように思える。 ここには、 目的定立を伴う労働 を行う 社会的存在である人間 と、 そういう選択の自由を伴った労働を行わない自然的存在との断絶性 への感度が後退している。 この断絶性と連続性は、 両面として 考える必要があるというのが、今の私の意見である。

一日一句(5954)

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  閻王は神武くはへし紅葉かな