投稿

京都日誌(423)

イメージ
  ■7月3日、金曜日、ようやく青空が見えた。 午後から、郵便局、銀行、鶴屋吉信へ。 母がお世話になっている親戚と、独居の従弟、新盆の南伊豆のT家へお菓子を送る。 その後、千本通で買い物。途中、インド・ネパール料理の ゴルカ・ダーバー でランチ。安くて美味しかった。 この店、最初は、北野商店街にあったものが、千本今出川に越したようである。 引越しして味が落ちた、という、ダルバート(ネパールの定食)を頼んだ人の 感想 もある。 カレーとナンは美味しかったが、2時半に入店したとき、ガラガラだった。3時前に、一組入店したが、インド系の大家族だった。 私がちょっと、関心を持ったのは、 「店名の『ゴルカダーバー』ですが、ゴルカはネパール人の傭兵部隊『グルカ』そのものから付けたそうで、何でも、店のオーナーのお父さんが、グルカ兵だったそうです」という 情報 。 調べてみると、「ゴルカ(Gorkha)」は、ネパール中部の ゴルカ 地方、あるいはそこを出身地とすることで知られる グルカ兵(Gurkha)に由来。英語では Gorkha と Gurkha は同じ語の表記違いとなる。 もともとは、ネパールのゴルカ王国・ゴルカ地方を指す地名だったが、英国人がネパール兵を「Gurkha(グルカ)」と呼ぶようになり、世界的にはその名称で知られるようになった。 グルカ兵は、1815年以降、主として英国軍やインド軍に採用されてきたネパール人兵士で、その勇敢さで世界的に知られている。現在でも英国陸軍やインド陸軍にはグルカ部隊が存在する。 「ダーバー(Durbar)」は、ネパール語・ヒンディー語で「宮殿」「王宮」「宮廷」を意味する。したがって、「ゴルカ・ダーバー」は直訳すれば「ゴルカ宮殿」「ゴルカ王宮」という意味になる。 英国・ネパール戦争(1814~1816年)で、ネパールはイギリスの東インド会社と戦い、ネパールは領土の一部を失ったが、完全に征服されることはなかった。 しかし、1816年のスガウリ条約によって、ネパールは広い領土を割譲した。英国の駐在官(レジデント)を受け入れた。外交面では英国の強い影響を受けるようになったものの、国家としての独立は維持された。 英国はこの戦争でネパール兵の勇敢さを高く評価し、戦後まもなくネパール人を自軍に採用し始めた。これが今日まで続くグルカ兵(Gurkh...

一日一句(5957)

イメージ
  夏祓平野の闇の美しき

一日一句(5956)

イメージ
  梅雨の月犬啼く方の静寂かな

京都日誌(422)

イメージ
  ■6月29日、月曜日、曇りときどき光射す。 きょうは、朝から、論文『老化と記憶』に着手。 夜7時半に完成。 テーマは普通だが、内容は、独創的なところのあるものになったと思っている。 8月下旬に発行・発売予定。 今回の執筆で、バイオセミオティクスと、社会的実践モデルとしての労働の、関係性をどう考えるべきかという課題が浮上してきた。 じっくり、勉強・思索していきたい。 ★ この頃、田中角栄と 中村天風 のふたりに関心があり、少しづつ、本などを集めている。 田中角栄は、私の世代では、ロッキード事件と、立花隆の『田中角栄の研究─その金脈と人脈』のイメージが強く、長く、現在の自民党の裏金作りにも繋がる金権政治の源泉という負のイメージだった。 関心を持ったのは、第一次オイルショックのときに、キッシンジャー国務長官に対して、見せた角栄の外交だった。 角栄は、1972年7月に総理就任。1973年10月の 第四次中東戦争 (ヨム・キプール戦争)をきっかけに、産油国が原油価格を大幅に引き上げ、一部の国への石油輸出を制限。日本では1973年秋から1974年にかけて深刻な影響が出た。 角栄は、ちょうど、第一次オイルショックのときに、総理だった。 宮田律現代イスラム研究センター理事長は、こう 述べて いる。 「1973 年10月6日の第四次中東戦争が勃発すると、10月19日にクウェートでアラブ石油相会議が開催され、米国とその協力国であったオランダに対する石油の禁輸と73年9月の水準から毎月5%の原油生産の減少が決定され、『友好国』と認定されなかった日本はいずれアラブ諸国からの石油輸入が止まるのではないかというパニックが起こった。  日本が友好国に認定されなかったのは、日本のパレスチナ問題に関する取り組みは極めて消極的なものである、(2)中東諸国の経済社会発展にほとんど寄与していない、(3)日本は中東の安価な石油で経済発展を遂げたにもかかわらず、中東諸国との友好関係を促進しようとしない、(4)日本はアラブ諸国の半分にしか大使を常駐させていない、(5)72年5月の日本赤軍のテルアビブ・ロッド空港襲撃事件の際に日本政府はイスラエル政府に対して謝罪使節を送った(日本赤軍はパレスチナ人に同情し、イスラエルのロッド空港を銃と手榴弾で襲撃し、26人を死亡させた。この事件はアラブ世界からは称賛さ...

一日一句(5955)

イメージ
  犬啼くや闇はめくれて夏の月

京都日誌(421)

イメージ
  ■6月27日、土曜日、曇り。 きのう、きょうと、京都も颱風7号、8号の影響で梅雨前線が活発化して大雨となった。 この間、引き籠って仕事に専念。 いくつかの進展があった。 存在論的科学基礎論のスケッチを、断続的に、科学的実在論への反論という形で書いてきて、私のやろうとしているのが、ひとつには、表現論・反映論の精緻化にあることが見えてきた。これを、目的論・因果論・偶然論のトリオロジーの枠組みの中で論じていくことになる。 きょうは、「老化と記憶」のエッセイ、1万2000字に集中。かなり形はでき、85%はできた。また、字数が足りずに、記憶に関する議論に偏り、老化についての検討ができなくなりそうではある。 あと、1日半で書き上げる予定。その後は、ニコの仕事に全力をあげる。 ★ ハーヴァード大学のアヴィ・ローブ博士が、トランプ政権のUAP/UFO関連ファイルの第3回リリース(2026年6月12日)について コメント している。 このコメントは、エビデンスの検討に厳格で冷静な天体物理学者のローブ博士のものとしては、たいへん興味深いものとなっている。 「とりわけ注目すべきなのは、 2026年6月5日付 で、国防総省の全領域異常対策室(AARO)の責任者である優れた科学者、ジョン・コスロスキー博士(Dr. Jon Kosloski)が署名した新たな報告書が含まれていることである。 コスロスキー博士は、 オレンジ色の「母船(mother)」のような球体(オーブ)が、より小さな赤いオーブを放出した 事例に言及するとともに、 報告された現象の40%は合理的な説明ができず、未解決のままである と述べている。 明らかなように、これらの未確認異常現象(UAP)の起源を解明するには、さらに多くのデータを収集し、分析する必要がある」。 さらに、こう述べている。 「1950年代にさかのぼると、1992年の告白を含むCIAの報告書が公開されている。その86ページには、次のように記されている。 (当局は)手紙の送り主に対して、UFO目撃の真の原因を明かすことはできなかった。1950年代後半から1960年代の大部分にかけて報告されたUFO目撃の半数以上は、U-2、そしてその後のOXCARTによる飛行が原因であった。 つまり、CIA自身の内部史は、 1950年代後半から1960年代にかけて報告さ...