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京都日誌(468)

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  ■9月30日、水曜日、曇り。 午前中、府立医大を受診。 予約を入れてから、受診まで、一ヶ月かかった。 CTを撮り、鼻内視鏡を、左の外鼻孔から鼻腔へ入れた。 慢性の副鼻腔炎であることがはっきりした。 これと、歯痛にはおそらく因果関係がある。 頬の下半分が、CT画像では白くなっており、そのすぐ下は左上奥歯になる。 二段階治療となり、初めに、2種類の抗菌薬で殺菌し、膿を排出する。 薬剤の効果がなければ、内視鏡手術になる。 ★ 帰宅後は、きょうが締め切りの書評原稿を書き上げる。 6000字では、重要なことはあまり書けない。 残念だが、字数制限は致し方がない。 「シオニズムの現在形、あるいは社会操作としてのイスラエル・ロビー」 という題で、ジョン・ミアシャイマー&スティーヴン・ウォルトの『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』を取り上げた。 2007年の古い本だが、イスラエル・ロビー研究の原点であり、今もなお多くの示唆を与えてくれる。 この書評原稿のため、比較対象として最新刊の Israel's Lobby: America in the Grip of a Foreign Power( Eli Clifton , Ian Lustick ) を発注していたが、どういうわけか、9月8日に届くはずが届かず、使用できなかった。 いすれにしても、今回の作業で、 社会操作としてのイスラエル・ロビー という視点を得ることができた。 そして、それは、 社会操作において、個人と組織のゆるい連合体である、イスラエル・ロビー型というものがありえる ことを、示している。 ゆるい連合体 というあり方において、イスラエル・ロビーは、国家利権村と似ている。 国家利権村にとって、「親イスラエルに米国の外交政策を方向づける」というような、イスラエル・ロビーの明確な統一目的に相当するものは、日米合同委員会や日米地位協定、指揮権の統一化などを含む、 日米安保条約システムの枠内での、所与の日本社会システムのあり方(sosein)の維持 だろう。そのための改革もある。 なので、米国の外交政策の根本的な批判は、国家利権村のコーポレート・メディアにはできない。

一日一句(5941)

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  朝顔や時のはたては海のいろ

一日一句(5940)

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  秋聲や曼陀羅出でる仏達

京都日誌(467)

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  ■9月27日、日曜日、曇り、午後、秋雨。 終日、仕事。 3つ重なって、なかなか、険しい日々に。 9月の諸問題を解決して、気分良く、10月へ移りたい。 友人の作家、 黄英治 さんに紹介いただいた本が2冊到着。 宮沢剛著 『他者の声を聴く』 と、目取真俊著 『地を這う声のために』 。 この頃、 植民地他者の聲を聴くこと が、 社会操作の呪縛を解く上で有効な手段 になると、はっきり気づいた。 今までも、うすうすはわかっていたのだが、自分で 一般社会操作論 を考えるようになって、その確信は、より強くなった。 社会操作は、個人には社会化されており、社会には制度化されることで実装化されている。 一番やっかいなのは、それが、 情動と強い結びつきがある 、ということである。 我々は普通に生きているだけで、セイレーンの聲に絡めとられているのである。 社会操作は、それなしでは、社会、あるいは国家は成立しない、という意味で、現存の社会や現存の国家の再生産に必須の条件となっている。 この意味で、社会操作を問題にするということは、現存とは異なる、 よりよい社会 を問題にするということであり、それは、とりもなおさず、 民衆の歴史への参画を問題にする ということなのである。 最近、グラムシを読んでいて、こんな風に考えるようになった。 田畑さんは、グラムシの研究者は、ルカーチほどではないが、激減していると述べている。 私は、これを聴いて、グラムシの重要性を確信した。 学会のポスト市場で人気のない人ほど、重要だからである。 宮沢さんは、『他者の聲を聴く』の「はじめに」でこう書いている。 「戦後の日本政府は、独立(1952)と同時に、旧植民地出身者から国籍を剥奪し、日本国民=日本民族=日本人という同質性を強調した国民像を構築した。 いわば<同>の範囲を一気に収縮させたのだが、これは、旧植民地出身者の 不可視化あるいは例外化 をもたらし、”日本国民は日本人だけ(日本民族)だけ”という同質な国民像と、”この社会に暮らしているのは日本人だけ”という均質な社会像を、この国に暮らす人々の多くに内面化させる契機となった。 その結果、社会生活の隅々まで日本人であることが当然視される状況が生じ、在日朝鮮人にとっては同化(日本人化)の圧力となっただろう」(同書、p.5)。 近代のnation-state(民...

一日一句(5939)

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  月読に琴を奉じてゐたりけり

京都日誌(466)

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  ■9月26日、土曜日、秋雨。 朝、身心調整を行い、所用で、雨の中を外出。用を終えて図書館で、本を返し、即、予約を入れる。 ピエール・クラストルの『国家に抗する社会』は、古本でも高くて買えない。早急に、母校、同志社と関西学院の図書館利用カードを作成しないと。 帰宅後、ニコの仕事に取り組む。 夕方から、社会学者の 堀田泉 さんのウェビナー「マックス・ヴェーバーの都市理論」( 大阪労働学校・アソシエ )に参加。 堀田さんや、会の主催者、 斎藤日出治 さんと、少し議論する。 近代を人間の行為面、あるいはそれが結晶化した 制度面から定義するとしたら、 計算可能性 や 合理性の普遍化 ということができるという指摘を堀田さんよりいただく。 斎藤さんからは、究極の目的が喪失し、来世で救済される意識が薄らぐことで、つまり、永遠の意識が消えていくことで、現世内を充実させる方向へと、時間意識が変化しているというお話があった。 それは『加速する社会――近代における時間構造の変容』で、ドイツの社会学者 ハルトムート・ローザ が展開している論点であると。 私の方からは、宗教社会学者の トーマス・ルックマン が、1960年代に、『見えない宗教』論を展開したが、現在では、制度的な宗教──たとえば、福音派と政治運動のシオニズムの関係──も見えない宗教──たとえば、その極端な形態としてのカルトとして──も、同じように社会的な力として、猛威を振るっているという点を述べさせていただいた。 また、ヴェーバー以降の近代社会、特に、プロテスタンティズムの社会において、資本主義の精神の根拠である、救済概念の崩壊や究極の目的の喪失があっても、労働の存在論的な構造である目的定立は消滅しないので、人間に衣食住の生活過程が存在する以上、資本蓄積運動──言い換えれば、物象化プロセスと搾取プロセス──は、社会システムが資本主義から根本的に変わらない限り、続くのではないかと感じた。 ★ NAZA については、きょうは、時間的余裕がないので、詳しく展開できないが、以下の論点があると思った。 1.これは、イスラエル国内から起きた、大規模で世界的な影響力のある反乱であり、それは、今、始まったばかりであること。 反逆罪に問われた 事例として、ディモナの核施設で働いた技術者として、イスラエルの核兵器計画に関する秘密を英国の日...

一日一句(5938)

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  名月やなべてかの世はこともなし