往還日誌(310)
■6月22日、日曜日、晴れ。
午前中、ヘーゲル『精神現象学』を原典で読む会。
朝食のあと、娘の遅くなった誕生日祝いのケーキを急いで食べて、のぞみで京都へ。
ヘーゲルとアリストテレスは、きちんと勉強する価値のある理論家であり、ルカーチ理解にも有用。
イラン系アメリカ人のハミッド・ダバシのヘーゲル批判も気になっているが、まだ、その本『イスラエル―アメリカの新植民地主義』を入手できていない。
アメリカが、イランを直接攻撃したこの局面、まさに読まれるべき本だろう。
いつも鋭い分析を行うスコット・リッターは面白いことを言っている。
「茶番劇だ。
だがイランは、その茶番に乗らなかった。
だから彼は、面目を保つためにイランを爆撃せざるを得なかった。
彼が爆撃したのは、すでにイスラエルにより攻撃されたことのある空の施設2か所。
そして『破壊した』と主張しながら、実際には破壊不能な施設(フォルドウ)に6発の爆弾を跳ね返されたに過ぎなかった。
以上だ。
『限定的な』攻撃。
中身のない、ただの空騒ぎだ。
それなのに、彼を『世界最高の指導者』と呼ぶ支持者がいる。
彼は国家の恥だ」。
フォルドウの被害状況次第で、イランのアメリカへの報復が決まってくる。
その意味でも、フォルドウの状況は重要だが、米軍の爆撃したイランの3つの核関連施設――フォルドウ、ナタンズ、イスファハンからは、最大60%まで濃縮されたウランは、米軍の攻撃のかなり前に、搬出されていて中は空だった。
茶番であれば、報復も茶番で応えることになるだろうが、問題は、アメリカが直接、主権国家を議会承認も宣戦布告も何もなしに、爆撃したという「事実」だろう。
これは放置できない。そもそも、合衆国憲法違反だろう。
さらに、問題なのが、攻撃したのが外国の「核関連施設」だったということである。いくら、地中深くに施設はあると言っても、放射能漏れの危険性がある。
これは、ロシアが占領しているザポリージャ原発にウクライナが砲撃を執拗に加えて、ロシア軍にせいにしてきたこと以上に大問題ではないか。
イランのアラグチ外相は、明日、ロシアへ行き、プーチン大統領と会談する。
もともと、米国との核交渉の中身については、逐一、イランはロシアに報告しており――ロシアは包括的共同行動計画(Joint Comprehensive Plan of Action(JCPOA))の正式な締約国の一つだった――イスラエルと真逆に、イランが厳格なIAEAの管理下にあり、NPTを厳格に順守していたことは、ロシアは承知している。
ただ、2025年1月17日に締結された「ロシア・イラン包括的戦略的パートナーシップ条約」は、相互防衛義務を課す軍事同盟ではなく、したがって条文を改変しない限り、ロシアがイランを自動的に軍事支援することはない。
この条約には、「どちらかが攻撃された場合にもう一方が防衛義務を負う」と明記された条文(例えばNATOの第5条のようなもの)は含まれていない。
いずれにしても、このアラグチ・プーチン会談は注目される。
★
きのう、きょうと、ケインズの『確率論』に関する論文を読み、一種の衝撃を受けている。
きょうは、のぞみの中で論文を集中的に読んだ。
確率論に関心をもったきっかけは、福島原発事故のシビアアクシデントの発生確率が、0に近い、ありえないような数値と喧伝されたにも関わらず、あっさりシビアアクシデントが起きたことだった。
数学の確率論自体に、うさん臭さを感じ、確率論批判を行い、東京情報大学でレクチャーを行ったことがある。
ケインズの確率論は、数学的な確率論とは異なっている。
驚くべき思索である。
きょう、読んだ論文は、ケインズの確率論を現代数学の概念――写像や束論を用いて再解釈し、より明晰化するという趣旨のものだった。
ケインズの確率論は、自分の思索『一般社会操作論』のヒントになる、という直感を得た。
★
夕方、京都着。郵便物を整理し、ベッドにダニ除けシートをセットして、洗濯。コインランドリーの乾燥機にかけに行き、そのまま、イズミヤで買い物。
あわただしく、一日が終わった。