往還日誌(311)

 








■6月27日、曇り、晴れ間あり。

午前中、弓道の体験に参加。

まったく初めてだった。

弓道には、所作が厳格に定められており――腕の運び、指の使い方、足の開き方、矢の持ち方や弓の位置など――、それらをまず、細かく指導される。

初めての身体の動きであるから、言葉の意味するところがよく呑み込めない。

したがって、言葉に身体の動きを一致させていく作業は、言葉に身体の動きが追い付かない状況となる。

その細かい所作と形式性の中に、矢を射る、という行為が埋め込まれている。

矢を射るのが、所作の目的というよりは、矢を射ることそれ自体が所作の一つであるように思える。

最初は、矢を射るまでの所作の厳密性と形式性のため、心身が混乱し、矢を射るという原初的な行為がスムーズにできなくなり固まってしまう。

矢は放たれたが、的まで行かずに、途中で落ちてしまった。

それが2回あった。

次の順番のときには、所作の厳密性に関する言葉は、ほとんど、聞き流して、矢を射る行為に集中した。

矢は的に中ったが、今度は、矢を射る行為を意識しすぎて、弓を放すときの「放れ」がうまくいかない。

放つ瞬間に両手(弓を持つ左手も矢を引く右手も)が上に上がってしまう。

師範が弓を押さえてくださっていたので、矢は水平に飛んだが、その押さえがなければ、矢は上方に放たれていたという。

この「放れ」ということが、弓道の一つのポイントであるように今日は思えた。

いづれにしても、瞑想を含む、心身調整を、ほぼ毎日行っている、その統合の焦点が、弓道に定まっていくような気がする。


帰りは、壬生寺に参拝。

さらに、聚楽廻の中央図書館へ行き、カードを作り、さっそく、ケインズ全集を借り出してきた。

帰りは歩いた。

帰宅すると、たいした運動量でもないのに、じわじわ疲労感が募ってきた。

身体と言語の初めての関係性に疲労したのだと思う。






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