藤田武の歌(5)
空よりの蛍よわよわしきひかりなげ悲惨を知らぬ朝に死せり ■ 朝(あした)。 蛍と人間の違いとして、自他の悲惨を知って死ぬか、知らずに死ぬかと藤田は問いかける。 人間であっても、悲惨でありながら、自らは自らが悲惨であることを知らないことも多い。 自らの悲惨は知らなくとも、他者の悲惨は知っていることもある。 悲惨であるとわかっていても、そこに立ち止まることはできない。 日々の課題群との格闘がそれを許さない。 パスカルは、「神を知らぬ人間の悲惨」について語ったが、「悲惨」は、そうした「神学的なもの」ではなく、「社会的なもの」だろう。 労働を媒介に自然と物質代謝する人間の組織する社会関係が悲惨を生み出し、社会がそれを悲惨だと認識する。 多くの悲惨が人間にはあるが、その最たるものが戦争であり、1929年生まれの藤田の悲惨もそれが響いていると思う。