京都日誌(486)
■10月27日、火曜日、曇りのち晴れ。 ひとわたり掃除して、心身・身心調整を行い外出。 府市民税や国保、介護保険料など、一気に支払う。 これで、年度末までは、京都・埼玉の生活費と京都・埼玉の往復コストだけ、心配すればいい。 六本木の仕事も急激に減少しているので、年金だけでは、諸々のコストは賄えない。 来年から、何らかの職探しをしないといけなくなるかもしれない。 ただ、私には、直感的で経験的な信念があり、それは、 質のいい睡眠が取れて、心身・身心調整が成功し、晴れやかな気分を維持できれば、たいていの問題は解決できる という信念である。 今までも、数限りない試練があったが、振り返ってみれば、そのすべてにおいて、解決に導いている。 これは、 AIの時代と呼応する 、と私は直感している。 AIには、身体がない。 現時点では、人型ロボットはあるが、人間レベルの身体性を保有していない。 心身・身心調整というのは、初期仏教の瞑想などの修行も含み、 心の鍛錬 も含む。 こうした 心身・身心の全体的な修行 というのは、 AIとの関係を逆転させることなく 、つまり、 主人ではなく道具としてのAIとの創造的な関係 を創る上で、 ひとつのポイントになる と私は思っている。 AIは、今、特に数学の分野で、次々に新しい発見や証明を行い、プロの数学者を凌駕する業績を上げている一方で、大学や高校、中学において、 学生の知的能力の劣化 が急速に進行している。 もう数年すれば、 社会全体の知的能力の劣化 となって現れてくるだろう。 その社会では、AIに依存しないと、計算も推論も論理的な判断もできないAI世代が増えてくる。 道具が主人に逆転した社会は、すでに始まっている。 他方で、人間の知的能力を 所有のひとつ と考え、つまり、 知性を資本と見なすことで、AIと人間との切り離し が進んでいる。 学校のテストや研究や、小説・詩・俳句などのさまざまなコンクールにおいて、 人間オリジナルを、抽象化して価値づける方向性がそれである 。 それは、 知識の特許化と同じ発想 であり、 知識を囲い込んで個人所有し、資本化することで、資本の増殖に資するという、隠れた意図 がある。 近代社会・近代国家において、資本主義の枠組みの中で、人間知性も存在しているからだ。 このどちらにも組しない ために、人間の心身・身...