往還日誌(307) リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 6月 01, 2025 ■6月1日、日曜日、晴れ。良く晴れた。午前中、ルソーの『言語起源論』を読む会。瞑想を中心とする、キリスト教の静寂派(quiétisme)に興味を持った。朝食後、家族が出かけたので、洗濯して掃除を行う。資料を整理。その後、夕方から、企画書の執筆。丸々4時間かかった。単体の企画書ではなくシリーズの企画書なので、気合を入れた。夜、ふたたび焼きそばを作って一人で食べる。きのうと違うのは、削り節を最後にふりかけたこと。夜、ミロの図録を読む。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
藤田武の歌(5) 4月 16, 2025 空よりの蛍よわよわしきひかりなげ悲惨を知らぬ朝に死せり ■ 朝(あした)。 蛍と人間の違いとして、自他の悲惨を知って死ぬか、知らずに死ぬかと藤田は問いかける。 人間であっても、悲惨でありながら、自らは自らが悲惨であることを知らないことも多い。 自らの悲惨は知らなくとも、他者の悲惨は知っていることもある。 悲惨であるとわかっていても、そこに立ち止まることはできない。 日々の課題群との格闘がそれを許さない。 パスカルは、「神を知らぬ人間の悲惨」について語ったが、「悲惨」は、そうした「神学的なもの」ではなく、「社会的なもの」だろう。 労働を媒介に自然と物質代謝する人間の組織する社会関係が悲惨を生み出し、社会がそれを悲惨だと認識する。 多くの悲惨が人間にはあるが、その最たるものが戦争であり、1929年生まれの藤田の悲惨もそれが響いていると思う。 続きを読む
往還日誌(316) 7月 20, 2025 ■7月20日、日曜日、晴れ。第27回参議院選挙投開票日。 きのうは、娘の一月遅れの誕生日で、大宮の焼き肉店へ。久しぶりに梅酒をいただく。 きょうは、M社に企画書を書いて送る。 事情で、上洛の日程が延びたので、夕方から、買い物に行き、家族に夕食を作る。 ★ オンデマンドで、『光る君へ』全48話を視聴した。 かなり面白いドラマだった。いろいろ、考えさせられる。 最後は、紫式部は都を去って東国へ向かう旅に出る。 そして、武士の台頭が示されてドラマは終わる。 それは、現代における戦争の時代の予感と響き合っている。 役者としては、ドラマ序盤で、道長の兄の道兼を演じた玉置玲央の狂気の入った演技が、印象的だった。 道長を呪う藤原伊周を演じた三浦翔平も良かった。 人物としては、党派的な発想をせず、問題の本質を常に考える藤原実資、伊周の弟で大宰権帥として、刀伊の入寇を撃退し、このとき、武功をあげた武将、平為賢を、貴族ではないにも関わらず、肥後守に推挙した藤原隆家の二人に興味を持った。 安倍晴明も重要な役割を演じるが、このドラマでは、陰謀と悪に通じる人物として描かれ、それはそれで、興味深い。ただ、ご都合主義的に、呪術が使われすぎているきらいはある。 道長の時代を描いた『大鏡』という歴史書の文体と洞察に関心をもった。 三島由紀夫は、「わが古典」の中で大鏡をこう評している。 「線の太い文体で、引き締まっていて、何度読んでも含蓄がある」。 ★ 参議院選挙の最終投票率は、『共同通信』の20日午後9時現在の推定で、57・50%となった。 前回2022年参院選の52・05%を5ポイント程度上回る可能性がある。 選挙は、理性ではなく感情だということを、今回もよく示したと思う。 それは、自民党への怒りの感情と、参政党への共感の感情が、2つの基本トーンとなって、選挙運動を席巻したように見えた。 ほかの野党は、この2つのトーンの間に埋没してしまったように思えた。 しかし、参政党と自民党の体質は、同じである。 特に、旧安倍派・高市系の議員とは親和性が高い。 違いは、有権者の「参加意識の幻想」を参政党がSNSと演説で作り出したことだろう。 なにか、これまでとは違う「我々の創る政治が始まる」といった幻想を感じさせたのである。 この「参加意識」は、実は、外部に「外国人」という幻の敵を作り出すことで、こ... 続きを読む
往還日誌(290) 4月 17, 2025 ■4月17日、木曜日、晴れ間ある曇り。 きのう、Kさんのところへ、メガネ2つの調整と老眼鏡の支払いに。 背筋も伸びて、顔色も良く、かなりお元気そうだった。 免疫機能が強いので、今は、抗癌剤による治療はしていないという。 帰りに、珈琲館でホットケーキ・モーニングを食した。 朝食前なので一枚だけにしたが、久しぶりで美味だった。 珈琲館は、当然、珈琲がウリだが、昨年の秋から、胃腸への負担が大きくなり、きっぱり珈琲は止めてしまった。 代わりに、ダージリンを頼んだが、ティープレスで出てきて、量も質もとても良いものだった。 京都との往還生活を始めるまで、毎年、観に行っていた近所にある櫻の古木が伐られていた。 この櫻は、特に夜ライトアップされて妖艶な姿を楽しませてもらっていた。 伐られて2、3年は経つような切り株の状態だった。 かなりの老木だったから、道行くひとの安全性などを考慮してのことかもしれない。 深夜ひとりで満開の櫻古木を見上げていると、中空に鼓の音が聞こえたような気がした。 続きを読む