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若宮日誌(484)

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  ■10月23日、金曜日。朝は晴れて光が強かったが、午後から曇りに。 まず、洗濯。自室の掃除、本の整理。 石塚先生のライブラリーで有用な本を数冊、発掘。 家のWi-Fiのルーターが古く、セキュリティに懸念が出てきたので、KDDIから新しいモデムとホームゲートウェイを取り寄せて設定。 その後、家の担当エリアの掃除。ごみ捨て。 妻が教えてくれた、 「Have I Been Pwned」 というサイトで検索したところ、私のgmailのアドレスのうち、私用で使っているアドレスが、7ヶ所で漏洩していることが判明した。 もっとも古い漏洩で2012年、もっとも新しい漏洩で2025年だった。 twitterやURL短縮サイトのbitly、Disk Unionなど、はっきりとわかる漏洩元もある一方、インターネット上の複数の悪意ある情報源で発見されたクレデンシャルスタッフィング(パスワードリスト攻撃)用のリストに載っていたケースも複数あった。 これで、ただちにメルアドが乗っ取られるわけではないが、同一パスワードはすべて自動生成に変更し、グーグルマネージャーに記憶させた。 また、アマゾンやグーグル、楽天など、AI利用型サイバー攻撃の対象になりやすいサイトは、パスキーにして、パスワードを廃棄することにした。 11月に予定していた公開講座での科学哲学の発表が来年に延期になったので、研究計画の練り直しを行う。 時間ができたので、却って好都合だが。 今後、12月に行う『社会操作の一般理論に向けて』の発表に集中していく。 夕方、久しぶりに運動へ。 帰りに国道16号沿いの古本市場で、能條純一『昭和天皇物語』第3巻と、長谷川法世『徒然草』を購う。 颱風30号が関東に接近しているので、予定を繰り上げて、日曜日に京都へ戻ることに。 ★ 10月9日付の 『アクシオス』 が、「AI業界の多くの内部関係者が『アクシオス』に対し、今後6〜12か月以内に重大な事件が発生すると考えていると語った」と報じている。 これは、9月下旬から10月にかけて、中国人ハッカー犯罪集団と見られる集団による韓国と日本の企業への金銭目的のデータの大量窃盗が続いているが、我々の企業がメルマガ配信に使用しているblastmailまで、水曜日からサイバー攻撃を受けていて、現在も、メルマガや号外の配信ができない。 現在のところ、民間レ...

若宮日誌(483)

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  ■10月20日、火曜日、雨になりそうな空模様。 この処、18時には仕事は止めて、21時にはPCもスマホも切っているので、かなり心身の調子がいい。 きょうは、夕方から、新宿でバフマン氏とアイデンティティ研究会の方向性について、きょうの朝に作成したメモを元に議論。 今後、「日本会議」と「参政党」に関する本を読みつつ、日本のアイデンティティの起源のひとつで、第2次大戦のイデオローグになった京都学派などの大東亜共栄圏の原型とも言える、1786年に刊行された林子平の『三国通覧図説』(朝鮮、琉球、蝦夷地=北海道・樺太・千島列島などを論じる)の社会空間認識や、江戸時代末期の会沢正志斎の1825年の『新論』における国体の概念との連続性と断絶性を検討していくことになる。 バフマン氏に、 嵯峨隆著『アジア主義全史』 という本を教わった。この本は、江戸時代中期から明治期に生まれたアジア主義の思想的起源をたどり、アジア諸国の連帯による西洋列強への抵抗という理念が、1930年代以降の日本の侵略政策とどのような関係を持ったのかを検討しており、たいへん興味深い。 著者は、もともとのアジア主義と、日本の侵略を正当化した「大東亜共栄圏」の思想を区別していると解説にはあるが、私見では、断絶性だけでなく、連続性もあるだろうと思う。無から思想が生まれることはないからだ。 私の作成したメモは、以下の通りである。 ★ 20261020 @ 新宿南口   第 1 回アイデンティティ研究会のためのメモ   1 .研究テーマ、あるいは問題意識 1.1  アイデンティティ(自己同一性)言説の歴史について 1.2  アイデンティティと近代の民族国家( nation-state )   ・国家統合機能としての民族アイデンティティ(ウクライナのネオナチ、イスラエル、日本)国家の危機のときに、アイデンティティが問題化する ・民族アイデンティティと民主主義の関係 例):ユダヤ人としてのアイデンティティを、民主主義の価値より上位に置く 「民主主義に対するユダヤ人アイデンティティの優位:国家のユダヤ人としてのアイデンティティは、その民主的な統治制度に優先する。この優先順位は、民主的価値観を損なうことになっても、ユダヤ人国家としてのイスラエルの存続を保障することを目的としている。国家のユダヤ...

若宮日誌(482)

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  ■10月17日、土曜日、快晴。 よく眠れた秋晴の朝は、この世の幸のひとつかもしれない。 朝8時になると、桶中のブラバンとテニス部が練習を始める。四十雀が啼いている。 朝、西口公園で、身心調整を行う。幼稚園の子どもたちのためのイベントやっていた。 ★ ブラジルの大統領選で、米国の福音派が増殖して、この勢力がルラ大統領の対抗馬で、第一回投票で勝った「ボルソナロ2.0」こと、極右のジャイル・ボルソナロ元大統領の息子、フラビオ・ボルソナロの躍進に貢献している。 福音派であるから、イスラエルとも関係が深い。 南米の宗教と言えば、カトリックの 「解放の神学」 が有名である。 貧困を 個人の問題 ではなく 社会構造の問題 として捉え、 経済的不平等 や 抑圧的制度 を批判する「解放の神学」は、一般に、1960年代後半から1980年代にかけて隆盛し、1990年代以降は衰退したと考えられている。 1971年、ペルーの神学者グスタボ・グティエレスが『解放の神学』(Teología de la liberación)を刊行して、「解放の神学」は一躍有名になる。 1980年3月24日、「解放の神学」を支持した中米、エルサルバドルのオスカル・アルヌルフォ・ロメロ大司教が、国家警察で構成された「死の部隊」によって、暗殺される。 経済主権を回復し貧困から抜け出そうとする南米民衆の感情的・宗教的・理論的な支柱となった「解放の神学」を、マルクス・レーニン主義の代理人と決めつけ、米国にとっての不利益と認識していた米国政権は、CIAを通じて、エルサルバドルの情報・治安機関を軍事訓練し、資金提供していた。 ロメロ大司教の暗殺の背後には、CIAがいた。 ブラジルの福音派──特に、踊る宗教として知られる福音派の中のペンテコステ派──は、自然増殖したのではなく、米国政権と意を同じくする米国福音派による大規模な信者獲得運動と、米国とイスラエルによる、「解放の神学」駆逐という、地政学的意図があったことは多くの識者の指摘するところである。 宗教人類学者、 デイヴィッド・ストール は、1990年の 著書 『Is Latin America Turning Protestant?』で、1985年にはラテンアメリカで米国を中心とする北米のプロテスタント宣教師が1万1196人活動していたことを明らかにしている。 ...

京都日誌(478)

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  ■10月10日、土曜日、快晴。北野天満宮の東側の塀の金木犀が満開。 身心調整のひとつである、歩く瞑想は、2024年4月から実施。 若宮にゐるときは難しいが、京都では、ほぼ毎日実施。 数日前から、身随観から心随観へ、少しづつ、レベルアップさせている。 心随観をやってみて、判ったのは、かなり「我執」が強いということだった。 仏教は、最終的に、これを取り去って、解脱を目指すわけだが、私見では、それは原理的に難しい。 「我執」は、我々が社会的存在であるところから生じている からだ。 つまり、 「我」の問題は、労働や、その前提の社会や国家の問題と表裏一体 になっているからだ。 ロビンソン・クルーソーや、ユナボマー、一時期の福島菊次郎のように、完全に、社会と隔絶した生活を営めば、それは可能だろうが、それでは、 そのひと個人の問題は解決しても、社会の問題は、依然として残ってゐる。 この原理的な問題があるがゆえに、仏教教団は、社会の中の存在として、戦時中は、天皇制国家体制に適応して自己保存する道を選び、戦後は、その原理のままに、今度は、民主主義社会に適応してゐる。 だから、修業は無意味ということではなく、私見では、ヴィパッサナー瞑想の効果は、「我執」をゼロにすることではなく 、「我執」を統制する ことだと思ってゐる。さらに、心随観では、普通は、無意識にやっている 自己客観化を徹底して行う ことにあると思う。 これは、フロイトやラカンの精神分析とも、響きあう面があるが、仏教の瞑想では、サティというラベリング=言葉は、重要だが、それは説明ではなく、 行為 である。そして、それ以上に センセーション(感覚) が重要になる。 ここが、言葉による説明や解釈が中心の精神分析とは、方法論的に異なってゐる。 「我執」の統制と自己客観化が、完璧にできるようになれば、 ドゥッカ(苦)が減じる だけでなく、私見では、 複雑な社会操作の網の目をかいくぐれるようになる と考えている。 そして、それは、 ある種の倫理学 へとつながっている。 ★ 「訳者あとがき」を書いて、ニコに送る。 素材はこれで揃ったので、あとは編集作業を行うと同時に、次の仕事である 『知識資本主義』 の翻訳に入る。 AIの時代なので、単に翻訳するだけなら、機械がやってくれる。 この時代の付加価値は、 詳細な訳注やコメント、解説...

京都日誌(472)

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  ■10月5日、月曜日、曇り。 9月30日から、左副鼻腔炎の治療を開始して、1週間。呼吸がだいぶ楽になった。 この感覚は、数十年ぶりで、世界の全体が違って感じられるほど。 身体性は、すべての基盤であり、ここの調整は最優先と思っている。 身体性は、AIにはない。 知識には、理論知と実践知があるが、言論の世界では、理論知が力を発揮する(それはそれで、非常に重要だが)。 そして、数学の未解決問題をAIが次々に解いているように、理論知は、AIの得意分野だが、実践知はそうではない。 実践知は、身体化され、暗黙知化されている。 なので、ちょうど、社会科学知が、自然科学知のように、劇的な効果が社会にとってないように見えるが、実は社会科学知は制度化されていたり常識化されて社会に大きな影響を及ぼしているように、実践知は、理論知と同じか、それ以上であり、今後は、この実践知の価値は、格段に高くなると私は思っている。 問題は恐らく、狭い時空の中で成立する場合が多い実践知を、どのように広い時空の理論知に接続するか、ということになるかもしれない。 ★ 先日、社会操作に対する免疫あるいは解毒剤として、植民地他者の聲が有効であり、謙虚に耳を傾けると、そこには、宝があるという 趣旨の話 を書いた。 社会操作には、それが行われる社会空間がある。 植民地他者の聲が有効なのは、主に、ひとつの民族国家、言い換えれば、一国家利権村の社会空間で行われる社会操作である。 ところが、この国家利権村は、 国際国家利権村という上位の連合体(序列があり主従がある) に組み込まれている。 そこでの社会操作は、より広い社会空間で行われているのである。 それは、経済関係で結びついているというよりも、 日米安保条約やNATOのような軍事同盟 で結びついている。 この社会空間で西側メディアやテレビ評論家などが行っている社会操作を解くには、それらが 悪魔化 している、ロシアや中国などの国家利権村の指導者達の聲を 虚心に聞く と効果がある。 これを、一般に、 ここでは 、プロパガンダに「洗脳された」と言う。 本当にそうだろうか? もちろん、その国家群がすべて善とは言わない。 そもそも、貧困を生み出す市場に加担して、腐敗していない国家は存在しない。 そこにおいて、抑圧されている人々も存在する。 だが、我々は、もっと プロパガン...

京都日誌(470)

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  ■10月3日、土曜日、巻雲ある晴れ。 身心調整、洗濯、コインランドリー、食事。 食事したら、体全体が重くなり、だるくなって、なにもできなくなる。 1時間ほど休むと、もとに戻った。 朝のプチ断食後の食事は、こうなることがある。 その後、運動へ。 夜、NHK「未解決事件 File.19 『北関東連続幼女誘拐・殺人事件』」を 視聴 。 多くの人が、この番組を、──かつて、ウクライナのネオナチの件で、平然と情報操作を番組中で行い、NATOの戦争戦略へと方向づけた、信奉者の多い、某著名ジャーナリスト(私は、この人をほとんど信用していない。国内問題だけ見ていると、そうは見えないが、典型的な国家利権村ジャーナリストの1人である ) も含めて──「衝撃的」と評している。 それは、違うだろう。 検察・警察による組織的な、17年間の冤罪自由強奪(足利事件)と冤罪殺人(飯塚事件)が行われた、ということであり、怒るところだろう。 検察・警察は、既存メディアと並んで、代表的な国家利権村の守護神であり、彼らが守っているのは、国民の権利ではなく、国家利権村の利権である。 それがよく見えた番組だった。NHKは、報道部は、社会操作の中核だが、ドキュメンタリー部門はよくやっている。 私が今取り組んでいるドイツの知識社会学者、 ニコ・シュテール は、今年5月の行われたインタビューで、知識について、こう述べている。 「私の考える知識は、個人が精神の中に所有するものではありません。誰かが引き出しの中の道具のように『持っている』私的な認知資源ではないのです。知識が生じ、安定し、効果を発揮するのは、常に社会的実践、制度的構造、共有された解釈の枠組みの中においてのみです。 『集合的な状態』とは、誰もが同じことを知っているという意味ではなく、知識が専門職の共同体、学問分野、組織、文化的伝統といった社会的な担い手の構造に、その成り立ちから依存しているという意味です。 知識を文脈から切り離して移転できる単位として扱う、経済学や情報科学の情報概念に対して、私は、知識はファイルのように単純に『移転』できるものではないと強調します。 知識は、(※情報とは異なり)新たな文脈に位置づけ直されなければならず、その位置づけ直しは、常に社会的に媒介されます。 私が批判的に取り組んでいるハイエクの分散した知識の概念に対しては...

京都日誌(468)

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  ■9月30日、水曜日、曇り。 午前中、府立医大を受診。 予約を入れてから、受診まで、一ヶ月かかった。 CTを撮り、鼻内視鏡を、左の外鼻孔から鼻腔へ入れた。 慢性の副鼻腔炎であることがはっきりした。 これと、歯痛にはおそらく因果関係がある。 頬の下半分が、CT画像では白くなっており、そのすぐ下は左上奥歯になる。 二段階治療となり、初めに、2種類の抗菌薬で殺菌し、膿を排出する。 薬剤の効果がなければ、内視鏡手術になる。 ★ 帰宅後は、きょうが締め切りの書評原稿を書き上げる。 6000字では、重要なことはあまり書けない。 残念だが、字数制限は致し方がない。 「シオニズムの現在形、あるいは社会操作としてのイスラエル・ロビー」 という題で、ジョン・ミアシャイマー&スティーヴン・ウォルトの『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』を取り上げた。 2007年の古い本だが、イスラエル・ロビー研究の原点であり、今もなお多くの示唆を与えてくれる。 この書評原稿のため、比較対象として最新刊の Israel's Lobby: America in the Grip of a Foreign Power( Eli Clifton , Ian Lustick ) を発注していたが、どういうわけか、9月8日に届くはずが届かず、使用できなかった。 いずれにしても、今回の作業で、 社会操作としてのイスラエル・ロビー という視点を得ることができた。 そして、それは、 社会操作において、個人と組織のゆるい連合体である、イスラエル・ロビー型というものがありえる ことを、示している。 ゆるい連合体 というあり方において、イスラエル・ロビーは、 国家利権村 と似ている。 国家利権村 にとって、「親イスラエルに米国の外交政策を方向づける」というような、イスラエル・ロビーの 明確な統一目的 に相当するものは、 日米合同委員会や日米地位協定、指揮権の統一化などを含む、社会システムとしての 日米安保条約の枠内での、所与の社会システムのあり方(sosein)の維持 だろう。そのための改革もある。 なので、米国の外交政策の根本的な批判は、パレスチナやイラン、ウクライナを含めて、 国家利権村の代表的な構成要素、コーポレート・メディア にはできない。

京都日誌(467)

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  ■9月27日、日曜日、曇り、午後、秋雨。 終日、仕事。 3つ重なって、なかなか、険しい日々に。 9月の諸問題を解決して、気分良く、10月へ移りたい。 友人の作家、 黄英治 さんに紹介いただいた本が2冊到着。 宮沢剛著 『他者の声を聴く』 と、目取真俊著 『地を這う声のために』 。 この頃、 植民地他者の聲を聴くこと が、 社会操作の呪縛を解く上で有効な手段 になると、はっきり気づいた。 今までも、うすうすはわかっていたのだが、自分で 一般社会操作論 を考えるようになって、その確信は、より強くなった。 社会操作は、個人には社会化されており、社会には制度化されることで実装化されている。 一番やっかいなのは、それが、 情動と強い結びつきがある 、ということである。 我々は普通に生きているだけで、セイレーンの聲にすでに絡めとられているのである。 社会操作は、それなしでは、社会、あるいは国家は成立しない、という意味で、現存の社会や現存の国家の再生産に必須の条件となっている。 この意味で、社会操作を問題にするということは、現存とは異なる、 よりよい社会 を問題にするということであり、それは、とりもなおさず、 民衆の歴史への参画を問題にする ということなのである。 最近、グラムシを読んでいて、こんな風に考えるようになった。 田畑さんは、グラムシの研究者は、ルカーチほどではないが、激減していると述べている。 私は、これを聴いて、グラムシの重要性を確信した。 学会のポスト市場で人気のない人ほど、重要だからである。 宮沢さんは、『他者の聲を聴く』の「はじめに」でこう書いている。 「戦後の日本政府は、独立(1952)と同時に、旧植民地出身者から国籍を剥奪し、日本国民=日本民族=日本人という同質性を強調した国民像を構築した。 いわば<同>の範囲を一気に収縮させたのだが、これは、旧植民地出身者の 不可視化あるいは例外化 をもたらし、”日本国民は日本人だけ(日本民族)だけ”という同質な国民像と、”この社会に暮らしているのは日本人だけ”という均質な社会像を、この国に暮らす人々の多くに内面化させる契機となった。 その結果、社会生活の隅々まで日本人であることが当然視される状況が生じ、在日朝鮮人にとっては同化(日本人化)の圧力となっただろう」(同書、p.5)。 近代のnation-stat...

京都日誌(462)

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  ■9月19日、土曜日、曇り。 午前中、身心調整。 その後、西宮へ。 田畑さんの 「マルクス講座」第8回 。 今回もかなり面白く、また、勉強になった。 田畑さんの力点は、社会変革の運動論としての思想にある。 その思想を、マルクスの生活過程論の全体構成の中に位置づけている点が、21世紀のマルクス読解としての特徴になっている。依拠するマルクスのテクストは、『ドイツイデオロギー』「5.断片」(1845/46)や『経済学批判序言』(1859)、『資本論』の物象化論・転倒論である。 この点は、20世紀のマルクスレーニン主義のマルクス読解とは一線を画している。スターリンは、人と人との関係をテーマ化しなかった。 今でも、マルクスと言えば、旧ソ連のマルクス読解しか念頭になく、そのため、マルクスに悪感情を持っているケースは存在する。 思想と生活過程論は、どのようにリンクしているかというと、『ドイツイデオロギー』では、次のように述べている。 「意識とは意識的存在以外の何物でもなく、人間達の存在とは彼らの現実的な生活過程のことなのだ」。 ここで言う意識が、田畑さんの言う、思想にあたる(私が田畑さんに「思想」という言葉の使い方を確認したところ、 言語を媒介にした思考されたもの を思想と言っていることがわかった)。 さらに、『経済学批判序言』では、具体的にこう述べている。 「物質的生活(衣食住)の生産の様式が、社会的生活過程、政治的生活過程、精神的生活過程一般を条件づける」。 ここで言う、精神的生活過程が、思想的営為のことになる。 マルクスレーニン主義では、たとえば、政治的生活過程論は、国家論としてのみ議論されてきた。現実には、政治的行為が構造化されて国家が生じるのに、そのプロセスが抜け落ちるので、個人の生活過程(人生)と乖離した地点で議論されてしまう。 そして、資本論(第1巻、第9章「剰余価値の率と総量」の末尾)は、生産手段の転倒をこう述べている。 「生産手段を用いるのは、もはや労働者ではなく、労働者を用いるのが、生産手段なのである。生産手段は、労働者の生産活動の素材的要素として費消される代わりに、生産手段が労働者を生産手段自身の生活過程の酵素として費消するのであり、資本の生活過程とは単に自己自身を価値増殖する価値としてのその運動にある」。 このような転倒が今、もっとも起きている...

京都日誌(458)

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  ■9月13日、日曜日、積雲ある青空。 写真は、大阪市西区西長堀のロイヤルホストの廊下にできた影と光。 午前中、J.J. Rousseauの『言語起源論』を原文で読む会。 午後、大阪西区民センターで『部落差別と天皇制──旧・洞村(ほうらむら)の強制移転の歴史から学ぶ』(主催:21世紀を考える会)に参加。 たいへん、面白く、また、勉強になった。 2026年は、洞村(ほうらむら)の強制移転から、100年になる。 これは、神武天皇陵と、「古事記」と「日本書紀」をベースに、1889年(明治22年)に、明治政府が神武天皇陵として治定した後──もともと、神武は実在せず、このため、天皇陵の治定には、この畝山中腹以外に、6ヶ所も候補地があった──、1898年に拡張整備が始まった。 この神武天皇陵整備とセットで、橿原神宮を創建し(1890年)神武を祀った。要するに、日本国家の起源をここに捏造したということになる。 この橿原神宮は、日清戦争(1894)後、戦利品の下付を政府に願い出た 記録 がある。このため、境内に戦利品などが置かれ、後世に「戦勝記念神社」として日清戦争と結び付けられてゆく。 このとき、洞村(ほうらむら)は、神武天皇陵を見下ろす位置にあり、1915年に、奈良県が示した移転理由書の中に、「神武御陵を眼下に見下ろす地位にありて恐懼に堪えざること」とある。 要するに、明治国家の洞村を見下した差別意識で、強制移転させられたのである。 洞村は、被差別部落だった。被差別部落で、差別は受けていたが、経済的に困窮していた、ということではなかったようである。 畝山(198.5メートル)の北東側中腹にあった洞村は、全戸208戸、計1058人が退去した。その過程で、生後1年以内の乳幼児8人を含む13人が亡くなっている。 橿原神宮は、1890年(明治23年)畝山の東南に創建されたが、1912年(大正元年)には、神域が拡張され、さらに、1940年(昭和15年)紀元2600年記念祝典の祭にも、神武陵とともにに、現在の大きさに拡張された。 神武陵など複数の天皇陵の特定は、1889年(明治22年)の大日本国憲法の制定の年に、伊藤博文を中心として、一気に進んだ。 万世一系の天皇家が支配する国家という虚構を作っていくためには、天皇陵の治定が必須で、このふたつは、同時進行している。 他方、 靖国神...

京都日誌(457)

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  ■9月10日、木曜日、積雲ある晴れ。 きょうは、時間に追われた一日だった。 洗濯、コインランドリー、身心調整の後、即、仕事に入る。 夜、仕事を終えて、天幕のジャードゥーガル「《第2幕》サファルに咲く薔薇」を 視聴 。 だんだん、悲劇的になってきた。 その後、仕事関係のYouTubeを2本視聴。 ★ ドイツのAfDが、9月6日の東部ザクセン・アンハルト州議会選挙で、圧勝した。 AfDのザクセン・アンハルト支部は、2023年10月に、ザクセン=アンハルト州憲法擁護局から極右過激派と 認定 されている。 「ザクセン=アンハルト州における極右過激主義政党の領域は、著しい拡大を経験した。この展開は、『ドイツのための選択肢』(AfD)ザクセン=アンハルト州支部ならびにその部門組織および下部組織が、 確実に極右過激主義的な活動 であると認定されたことに起因する」。 同党の一部は、ナチス関連のイメージやスローガンをスピーチで用いたりもする。 これは、一般ドイツ人には、タブーであるが、旧東独は、ナチスの自己批判が強くなく、教育においても旧西独地域ほど反ナチスが徹底されてこなかった。 なので、こうしたAfDのパフォーマンスの受け止め方は、その深刻度が、他の旧西独とは異なっている。 また、よく知られているように、AfDは反移民を党是としてずっと掲げてきた。 ドイツ公共放送連盟(ARD)のテレビニュース番組 『ターゲスシャウ』 は、9月7日付で、この選挙結果を、次のように分析している。 「AfDは2021年の得票率を2倍以上に伸ばし、44%弱に達した。同党は、2021年には投票に行かなかった人々から大規模に票を獲得することに成功した。 しかし、投票先の移動に関する最初の数字によれば、CDUからも多くの票を奪った。 AfDはすべての年齢層で第1党となっており、70歳を超える人々のあいだでのみ、CDUと並んでいる。 この成功は、ザクセン=アンハルト州では現在、ほぼすべての政策分野において、AfDが他の政党よりも高い能力をもつと評価されていることと大きく関係している。 これは、これまでAfDの重点分野とはみなされてこなかった重要な分野、たとえば経済政策にも当てはまる。 専門家からは、AfD政権が経済に悪影響を及ぼすだろうという警告が数多く出されていた。移民の受け入れに敵対的なその政...