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11月, 2026の投稿を表示しています

一日一句(5969)

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  新米や琵琶湖の水は高くあり

京都日誌(490)

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  Painting by Romie Lie ■11月3日、火曜日、晴れ。 朝、洗濯機を3回回す。その間、心身・身心調整。コインランドリーで乾燥させる。 朝食後、愛車のブランシュ──多忙で、ほとんど乗れていない──に空気を入れに行く。 21世紀研究会で、10月にフィールド・ワークに行った神武天皇陵について、レポート執筆。かなり時間を要した。 欧州が大変なことになっているので、ベルンのロミーにメールする。ぜんぜん、問題ないとのことだった。周りは、ぜんぶ、牧草地だった。 欧州の大規模デモと暴動・略奪は、高校生・大学生の教育環境改善の要求という層と、それを利用したブラック・ブロックと言われる極左あるいはウルトラ左翼(政党を否定する政治勢力)──彼らは、たとえば、リモージュのあるオート=ヴィエンヌ県などに、武装訓練場を持っており、そう大人数ではないが、ドイツ人(そもそも、ブラック・ブロックの発祥はドイツ)やオランダ人も訓練を受けて、パリの暴動に参加している──により、ショーウインドーやリモージュ市庁舎などの破壊活動を行う層。それに加えて、郊外在住で、いわば、欧州社会から疎外され機会を奪われたイスラム系移民(アフリカ系モスリムも)の2世、3世による商店街の商品略奪という、基本的に3層構造からなっている。 フランス場合、マクロン大統領の所属する中道勢力が、来年4月の大統領選挙にぼろ負けが決まっているので、つまり、決選投票には進めないので、パリ警視庁も情報局もブラック・ブロックのメンバー全員の住所氏名を把握しているにも関わらず、逮捕せず放置している。 あるいは、警官がブラック・ブロックの格好をして、破壊活動を行っていると仮説を述べる人もいる。騒動を大きくした方が、憲法第16条で深刻な危機の際、大統領が全権を掌握できる可能性が出てくるからだ。 ドイツでは、フランスよりも、パレスチナ連帯デモが、「なぜ今ここで」という形で問題化している印象がある。ドイツは、イスラエルに対して批判的なトルコ系が多いので、そうなるのだろう。 友人の作家、黄英治さんより、宮沢さんの『他者の声を聴く』の金時鐘論を読むよう、アドバイスをいただく。「金時鐘先生との対峙・格闘の始発点に」とのことだった。 金時鐘という詩人は、日本語やそれを支える日本の社会構造と、日本語表現を通じて格闘してきた詩人というイメ...

一日一句(5968)

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  粗茶を酌む秋の天地の阿吽かな

一日一句(5967)

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  墨浸す筆の重さや冬隣

京都日誌(489)

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  ■11月1日、日曜日、曇り、ときどき晴れ。 午前中、ヘーゲルの『精神現象学』を原典で読む会。 この会も、2016年か2017年くらいから続いているので、かれこれ、10年になる。 日本の思想・理論の教育は、外書購読という形式が一般的で、原典を左に、和訳を右に置いてノートに書き下し、指導教授による解説を踏まえた訳文の添削が、主な授業内容になる。 こうして作られた翻訳文体は、いわゆる、翻訳文体であり、それ自体では完結しないことが多い。つまり、日本語だけ読み返したのでは、理解できない箇所が出てくる。 原典を左において、常にそれを参照するという条件で訳されたものだからである。だから、本になっても、翻訳に原文が添えられていたりする。 こうした外書購読の伝統が2回に渡って変革期を迎えている。 第1回は、日本語だけで完結することがめざされた変革期である。 それは、知的水準が比較的高い団塊の世代が、定年を迎えて、その時間的余裕から来る知的欲求に応えるべく出版業が企画した、いわゆる古典新訳の流れである。 これは、今、話されている言葉で訳す、というのがキャッチフレーズで、その内容は、基本的に、原典を見なくても、日本語だけで完結できるというところにある。 それは、これまでの外書購読の伝統において、訳者解説の日本語と訳文の日本語との著しい乖離を、問題の典型的な表現と見る見方が牽引した。 私が師事した社会科学の翻訳家、故山岡洋一氏は、「意地でも訳注はつけない」と語っていた。これは、翻訳文の日本語だけで完結させるという思想である。 こうした新しい翻訳の流れは、一定の役割を果たし、今も果たしつつあると思うが、他方で、伝統的な外書購読の教育から出てきた、いわゆる学者訳の格調の高さは、その内容理解の深さと相まって捨てがたいものがある。 現在は、変革の第2期にあり、それはAIの出現が決定づけた。 最初は、DeepLなど、ディープラーニングを用いた優れた機械翻訳の登場から始まり、今や、AIによって、翻訳や内容解説ばかりか、論点提示や疑問点を巡る議論まで、できるようになっている。 つまり、第2期では、指導教授や先生、チューターが不要になりつつある。 これは、学生の知的水準や教育制度そのものに深い影響を与えつつある。 成人が集う読書会においても、AIの登場で、専門家─非専門家という序列に意味がなく...