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京都日誌(479)

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  ■10月11日、日曜日、快晴。 きょうは、朝から、近鉄で畝傍御陵へ向かう。奈良散歩。 駅に降りて、まず確認したのは、畝山(洞村)、橿原神宮、畝傍御陵=神武天皇陵の空間配置だった。 駅にごく近いところに、日本の大和朝廷関連の考古学的知識の生産拠点である橿原考古学研究所と、その付属博物館が位置することも判った。 これらは、ここが、「建国の聖地」であることを、その空間配置によって意味するように演出されている。 特に、日本の考古学的知識の生産拠点を、ここに据えたことは、「建国の聖地」にリアリティーを与えることに成功している。 これらは、記紀に出てくる畝山や橿原神宮、神武御陵の空間配置を用いて、建国の時空間をここに確定するという、大掛かりな社会操作と言える。 社会操作は、その規模が大きいほど操作効果は大きくなる。 今回、大久保町の「まちづくり記念館」の資料から、新しく判った知見の一つは、神武陵の確定は、1657年に着手した水戸光圀の『大日本史』編纂の頃から、繰り返し論争が起きていたということだった。 実在しない神話の人物の墓陵を確定する論争が、1863年まで200年以上続いていたのである! これらの論争においては、その神武墓陵の候補地が6ヶ所にも及んだ。 この論争の経緯によって、1698年から166年間も、現在の第2代の綏靖天皇陵(これも実在性については議論がある)が、神武天皇陵とされていたのである。 この論争に関与したのは、錚々たる人物達で、本居宣長や蒲生君平、貝原益軒、徳川斉昭らがいた。 これらの論争と、その確定結果に影響を持ったのは、幕府の衰退とペリー来航による攘夷論の沸騰だった。 幕府は、公武合体政策で生き残りを賭けるために、宇都宮藩からの修陵の建白に乗り、1863年に、神武陵が新しく神武田の地に創られることになった。 これが、神武天皇陵の原型となる。 この神武天皇陵が、橿原神宮の拡張と軌を一にして、拡張されていく。 最初の拡張は、日清戦争と日露戦争の間に行われる。 それは、日清戦争の戦勝記念の拡張工事だった。 対外的な膨張と、この神武陵・橿原神宮の拡張工事は対応する形で進む。 (気が向いたら、続く) ★ 夜、奈良から帰宅すると、即、洗濯、コインランドリーで乾燥。

京都日誌(478)

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  ■10月10日、土曜日、快晴。北野天満宮の東側の塀の金木犀が満開。 身心調整のひとつである、歩く瞑想は、2024年4月から実施。 若宮にゐるときは難しいが、京都では、ほぼ毎日実施。 数日前から、身随観から心随観へ、少しづつ、レベルアップさせている。 心随観をやってみて、判ったのは、かなり「我執」が強いということだった。 仏教は、最終的に、これを取り去って、解脱を目指すわけだが、私見では、それは原理的に難しい。 「我執」は、我々が社会的存在であるところから生じている からだ。 つまり、 「我」の問題は、労働や、その前提の社会や国家の問題と表裏一体 になっているからだ。 ロビンソン・クルーソーや、ユナボマー、一時期の福島菊次郎のように、完全に、社会と隔絶した生活を営めば、それは可能だろうが、それでは、 そのひと個人の問題は解決しても、社会の問題は、依然として残ってゐる。 この原理的な問題があるがゆえに、仏教教団は、社会の中の存在として、戦時中は、天皇制国家体制に適応して自己保存する道を選び、戦後は、その原理のままに、今度は、民主主義社会に適応してゐる。 だから、修業は無意味ということではなく、私見では、ヴィパッサナー瞑想の効果は、「我執」をゼロにすることではなく 、「我執」を統制する ことだと思ってゐる。さらに、心随観では、普通は、無意識にやっている 自己客観化を徹底して行う ことにあると思う。 これは、フロイトやラカンの精神分析とも、響きあう面があるが、仏教の瞑想では、サティというラベリング=言葉は、重要だが、それは説明ではなく、 行為 である。そして、それ以上に センセーション(感覚) が重要になる。 ここが、言葉による説明や解釈が中心の精神分析とは、方法論的に異なってゐる。 「我執」の統制と自己客観化が、完璧にできるようになれば、 ドゥッカ(苦)が減じる だけでなく、私見では、 複雑な社会操作の網の目をかいくぐれるようになる と考えている。 そして、それは、 ある種の倫理学 へとつながっている。 ★ 「訳者あとがき」を書いて、ニコに送る。 素材はこれで揃ったので、あとは編集作業を行うと同時に、次の仕事である 『知識資本主義』 の翻訳に入る。 AIの時代なので、単に翻訳するだけなら、機械がやってくれる。 この時代の付加価値は、 詳細な訳注やコメント、解説...

京都日誌(474)

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  ■写真、御所の猫。10月7日、水曜日、積雲ある晴れ。 午前中、身心調整、洗濯、掃除。 コインランドリーで乾燥機を使ったとき、プリペイド・カードで支払ったのに、乾燥機が動かなかった。 次回預かりとなり、次回使用するときに、電話して、料金分乾燥機を、動かしてもらうことに。きょうは、別の機械で行った。 ここは、不具合や故障の頻度が高い。 来週、若宮へ戻るので、若宮でやるべきことのリストを作成。 今回は、普段より多く本を持っていくことになりそうである。 午後から、六本木の仕事に入る。 夕方、一区切りつけて、御所まで、散歩。 ここからだと、速足で歩くと、15、6分で着く。 そのまま、丸太町までゆっくり南下。 数日前から、今出川通には、金木犀の香りが漂い始めたが、御所も金木犀の香りに満ちていた。 その後、ヨドバシカメラへ。 デジカメのSDカードを買うつもりだったが、値段が爆上りしている。 2倍くらいになっている。 ホルムズ海峡封鎖の影響かと、店員氏に聞くと、それもあるが、AIが直接の原因だと言う。 AI産業でメモリー需要が急増して、メモリの取り合いになっているというのである。 3000円台、4000円台が一番安いが、それらは、すべで売り切れていた。 2GBが2000円台で出ていた。それは使い道がなく、売れ残っていた。 帰宅後、ニコの仕事。

京都日誌(473)

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  ■10月6日、火曜日、積雲ある晴れ。 身心調整後、掃除、それから、一気に夕方まで仕事。 軽く食べて、運動へ。 帰宅後、すぐに、仕事をする気にもならないので、中上健次の『日輪の翼』を読み始めた。 この本は、若宮時代から積読になっていたものを、京都まで運んだのだが、京都でもずっとタイミングが訪れずに、積読になっていた。 こっちも、さんざん人生で苦労してきているから、浅はかな文体なら、すぐに、底は割れるぞ、という気分で読み始めた。 中上、38歳のときの作品である。中上は46歳で亡くなっている。 ベッドで読み始めると、すぐに引き込まれた。 短い一、二行で、その人物の背景を浮き彫りにする手腕が冴えている。 ただ、一点、気になったのは、夏芙蓉の描写で、彼の描写だと、夏芙蓉は、垂直的な樹木に思えてくる。実際は、どちらかと言えば、水平的な樹木である。 若い時、まだ、企業に勤めていたころ、彼の対談集を好んで読んだ時期があった。その後、短編集『熊野集』を読んだ。 『千年の愉楽』や『奇蹟』などの代表作は、まだ読んでいない。これから、楽しみである。

京都日誌(472)

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  ■10月5日、月曜日、曇り。 9月30日から、左副鼻腔炎の治療を開始して、1週間。呼吸がだいぶ楽になった。 この感覚は、数十年ぶりで、世界の全体が違って感じられるほど。 身体性は、すべての基盤であり、ここの調整は最優先と思っている。 身体性は、AIにはない。 知識には、理論知と実践知があるが、言論の世界では、理論知が力を発揮する(それはそれで、非常に重要だが)。 そして、数学の未解決問題をAIが次々に解いているように、理論知は、AIの得意分野だが、実践知はそうではない。 実践知は、身体化され、暗黙知化されている。 なので、ちょうど、社会科学知が、自然科学知のように、劇的な効果が社会にとってないように見えるが、実は社会科学知は制度化されていたり常識化されて社会に大きな影響を及ぼしているように、実践知は、理論知と同じか、それ以上であり、今後は、この実践知の価値は、格段に高くなると私は思っている。 問題は恐らく、狭い時空の中で成立する場合が多い実践知を、どのように広い時空の理論知に接続するか、ということになるかもしれない。 ★ 先日、社会操作に対する免疫あるいは解毒剤として、植民地他者の聲が有効であり、謙虚に耳を傾けると、そこには、宝があるという 趣旨の話 を書いた。 社会操作には、それが行われる社会空間がある。 植民地他者の聲が有効なのは、主に、ひとつの民族国家、言い換えれば、一国家利権村の社会空間で行われる社会操作である。 ところが、この国家利権村は、 国際国家利権村という上位の連合体(序列があり主従がある) に組み込まれている。 そこでの社会操作は、より広い社会空間で行われているのである。 それは、経済関係で結びついているというよりも、 日米安保条約やNATOのような軍事同盟 で結びついている。 この社会空間で西側メディアやテレビ評論家などが行っている社会操作を解くには、それらが 悪魔化 している、ロシアや中国などの国家利権村の指導者達の聲を 虚心に聞く と効果がある。 これを、一般に、ここでは、プロパガンダに「洗脳された」と言う。 本当にそうだろうか? もちろん、その国家群がすべて善とは言わない。 そもそも、貧困を生み出す市場に加担して、腐敗していない国家は存在しない。 そこにおいて、抑圧されている人々も存在する。 だが、我々は、もっと プロパガンダの...

京都日誌(471)

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  ■10月4日、日曜日、秋雨。 きょうは、終日、雨だった。 一日、ニコの仕事を行う。 ようやく、インタビューの部分が、終了した。ニコが参考に送ってくれたインタビューのファイルをすべて著作『ナレッジアビリティ』に入れることにしたので、このインタビューだけで3万字を越えている。 「インタビューでは尋ねられなかった質問」という項目が別途あって、これが面白かった。 ニコが新たに日本語版のために書き下ろしてくれた序文も入れると、全体で500頁は超えるだろう。 この仕事は、いろいろ意味で勉強になった。 特に、現代社会における知識の決定的な重要性に目を開かせてくれた。 いろいろ、やることが多くあり──ありすぎ、その意味では、幸せなんだろう。 これで、お金になれば...

京都日誌(470)

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  ■10月3日、土曜日、巻雲ある晴れ。 身心調整、洗濯、コインランドリー、食事。 食事したら、体全体が重くなり、だるくなって、なにもできなくなる。 1時間ほど休むと、もとに戻った。 朝のプチ断食後の食事は、こうなることがある。 その後、運動へ。 夜、NHK「未解決事件 File.19 『北関東連続幼女誘拐・殺人事件』」を 視聴 。 多くの人が、この番組を、──かつて、ウクライナのネオナチの件で、平然と情報操作を番組中で行い、NATOの戦争戦略へと方向づけた、信奉者の多い、某著名ジャーナリスト(私は、この人をほとんど信用していない。国内問題だけ見ていると、そうは見えないが、典型的な国家利権村ジャーナリストの1人である ) も含めて──「衝撃的」と評している。 それは、違うだろう。 検察・警察による組織的な、17年間の冤罪自由強奪(足利事件)と冤罪殺人(飯塚事件)が行われた、ということであり、怒るところだろう。 検察・警察は、既存メディアと並んで、代表的な国家利権村の守護神であり、彼らが守っているのは、国民の権利ではなく、国家利権村の利権である。 それがよく見えた番組だった。NHKは、報道部は、社会操作の中核だが、ドキュメンタリー部門はよくやっている。 私が今取り組んでいるドイツの知識社会学者、 ニコ・シュテール は、今年5月の行われたインタビューで、知識について、こう述べている。 「私の考える知識は、個人が精神の中に所有するものではありません。誰かが引き出しの中の道具のように『持っている』私的な認知資源ではないのです。知識が生じ、安定し、効果を発揮するのは、常に社会的実践、制度的構造、共有された解釈の枠組みの中においてのみです。 『集合的な状態』とは、誰もが同じことを知っているという意味ではなく、知識が専門職の共同体、学問分野、組織、文化的伝統といった社会的な担い手の構造に、その成り立ちから依存しているという意味です。 知識を文脈から切り離して移転できる単位として扱う、経済学や情報科学の情報概念に対して、私は、知識はファイルのように単純に『移転』できるものではないと強調します。 知識は、(※情報とは異なり)新たな文脈に位置づけ直されなければならず、その位置づけ直しは、常に社会的に媒介されます。 私が批判的に取り組んでいるハイエクの分散した知識の概念に対しては...

京都日誌(469)

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  ■10月2日、金曜日、巻雲ある晴れ。夜は冷え込んできた。 身心調整後、六本木の仕事、午後、所用で外出。一条戻り橋まで歩き、ふたたび、一条通りを西進して帰宅。夕方から、再び、六本木、夜まで。 10月になり、状況を再定義。 10月は、ニコの仕事と、『目的論・因果論・偶然論── 観測(者)問題(あるいは測定問題) の場合』に取り組む予定。 これは、1、2ヶ月でなんとかできる問題ではないので、問題を整理し、新しいアプローチを示せれば成功という基準でゐる。 その際、この問題が、 自然的存在と社会的存在の交点に位置する ところに着目して、これも、測定行為あるいは観測行為という、 社会的実践の一つであるから(つまり、測定も観測も、社会・歴史と切れた純科学ではなく)、なんらかの社会・生活過程の表現になっている、あるいは、その反映 だという視点で、考えを進めてみたい。 ★ 9月18日に、米戦争省が、未確認異常現象(UAP)に関する公文書データの 第6弾 を公開した。 ホワイトハウスや米国防総省、米連邦捜査局(FBI)、および情報機関に助言するUAP科学諮問評議会の議長、アヴィ・ローブ博士は、 こう述べている 。 「人類が核戦争やAIロボットによる存続への脅威について考える一方で、 関連施設はUAPによって監視されています。 根本的な問いは、 UAPが人間による極秘計画 によるものなのか、それとも人間がこれまで開発したどの技術よりも はるかに進んだ異星人の技術 によるものなのか、ということです」。 また、UFOという言葉の生みの親、エドワード・J・ルッペルト大尉による講演の音声記録も含まれているとしてこう語っている。 「今回の公開資料には、エドワード・J・ルッペルト大尉による講演の1952年の音声記録が含まれています。ルッペルトはプロジェクト・ブルーブックの初代責任者であり、UFOという用語を生み出した人物です。 これは、バーリソン下院議員が特に公開を求めていた「空飛ぶ円盤についての講演」の録音です。ルッペルト大尉による1分間の説明は、 1952年に空軍が検討した800件の事例の約20%が、まったく説明されないままだった ことを明らかにしました。 こちら のデジタル化された歴史的映像は、海軍上級准尉デルバート・C・ニューハウスが撮影したもので、1952年にユタ州トレモントン...

京都日誌(468)

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  ■9月30日、水曜日、曇り。 午前中、府立医大を受診。 予約を入れてから、受診まで、一ヶ月かかった。 CTを撮り、鼻内視鏡を、左の外鼻孔から鼻腔へ入れた。 慢性の副鼻腔炎であることがはっきりした。 これと、歯痛にはおそらく因果関係がある。 頬の下半分が、CT画像では白くなっており、そのすぐ下は左上奥歯になる。 二段階治療となり、初めに、2種類の抗菌薬で殺菌し、膿を排出する。 薬剤の効果がなければ、内視鏡手術になる。 ★ 帰宅後は、きょうが締め切りの書評原稿を書き上げる。 6000字では、重要なことはあまり書けない。 残念だが、字数制限は致し方がない。 「シオニズムの現在形、あるいは社会操作としてのイスラエル・ロビー」 という題で、ジョン・ミアシャイマー&スティーヴン・ウォルトの『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』を取り上げた。 2007年の古い本だが、イスラエル・ロビー研究の原点であり、今もなお多くの示唆を与えてくれる。 この書評原稿のため、比較対象として最新刊の Israel's Lobby: America in the Grip of a Foreign Power( Eli Clifton , Ian Lustick ) を発注していたが、どういうわけか、9月8日に届くはずが届かず、使用できなかった。 いずれにしても、今回の作業で、 社会操作としてのイスラエル・ロビー という視点を得ることができた。 そして、それは、 社会操作において、個人と組織のゆるい連合体である、イスラエル・ロビー型というものがありえる ことを、示している。 ゆるい連合体 というあり方において、イスラエル・ロビーは、 国家利権村 と似ている。 国家利権村 にとって、「親イスラエルに米国の外交政策を方向づける」というような、イスラエル・ロビーの 明確な統一目的 に相当するものは、 日米合同委員会や日米地位協定、指揮権の統一化などを含む、社会システムとしての 日米安保条約の枠内での、所与の社会システムのあり方(sosein)の維持 だろう。そのための改革もある。 なので、米国の外交政策の根本的な批判は、パレスチナやイラン、ウクライナを含めて、 国家利権村の代表的な構成要素、コーポレート・メディア にはできない。

京都日誌(467)

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  ■9月27日、日曜日、曇り、午後、秋雨。 終日、仕事。 3つ重なって、なかなか、険しい日々に。 9月の諸問題を解決して、気分良く、10月へ移りたい。 友人の作家、 黄英治 さんに紹介いただいた本が2冊到着。 宮沢剛著 『他者の声を聴く』 と、目取真俊著 『地を這う声のために』 。 この頃、 植民地他者の聲を聴くこと が、 社会操作の呪縛を解く上で有効な手段 になると、はっきり気づいた。 今までも、うすうすはわかっていたのだが、自分で 一般社会操作論 を考えるようになって、その確信は、より強くなった。 社会操作は、個人には社会化されており、社会には制度化されることで実装化されている。 一番やっかいなのは、それが、 情動と強い結びつきがある 、ということである。 我々は普通に生きているだけで、セイレーンの聲にすでに絡めとられているのである。 社会操作は、それなしでは、社会、あるいは国家は成立しない、という意味で、現存の社会や現存の国家の再生産に必須の条件となっている。 この意味で、社会操作を問題にするということは、現存とは異なる、 よりよい社会 を問題にするということであり、それは、とりもなおさず、 民衆の歴史への参画を問題にする ということなのである。 最近、グラムシを読んでいて、こんな風に考えるようになった。 田畑さんは、グラムシの研究者は、ルカーチほどではないが、激減していると述べている。 私は、これを聴いて、グラムシの重要性を確信した。 学会のポスト市場で人気のない人ほど、重要だからである。 宮沢さんは、『他者の聲を聴く』の「はじめに」でこう書いている。 「戦後の日本政府は、独立(1952)と同時に、旧植民地出身者から国籍を剥奪し、日本国民=日本民族=日本人という同質性を強調した国民像を構築した。 いわば<同>の範囲を一気に収縮させたのだが、これは、旧植民地出身者の 不可視化あるいは例外化 をもたらし、”日本国民は日本人だけ(日本民族)だけ”という同質な国民像と、”この社会に暮らしているのは日本人だけ”という均質な社会像を、この国に暮らす人々の多くに内面化させる契機となった。 その結果、社会生活の隅々まで日本人であることが当然視される状況が生じ、在日朝鮮人にとっては同化(日本人化)の圧力となっただろう」(同書、p.5)。 近代のnation-stat...

京都日誌(466)

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  ■9月26日、土曜日、秋雨。 朝、身心調整を行い、所用で、雨の中を外出。用を終えて図書館で、本を返し、即、予約を入れる。 ピエール・クラストルの『国家に抗する社会』は、古本でも高くて買えない。早急に、母校、同志社と関西学院の図書館利用カードを作成しないと。 帰宅後、ニコの仕事に取り組む。 夕方から、社会学者の 堀田泉 さんのウェビナー「マックス・ヴェーバーの都市理論」( 大阪労働学校・アソシエ )に参加。 堀田さんや、会の主催者、 斎藤日出治 さんと、少し議論する。 近代を人間の行為面、あるいはそれが結晶化した 制度面から定義するとしたら、 計算可能性 や 合理性の普遍化 ということができるという指摘を堀田さんよりいただく。 斎藤さんからは、究極の目的が喪失し、来世で救済される意識が薄らぐことで、つまり、永遠の意識が消えていくことで、現世内を充実させる方向へと、時間意識が変化しているというお話があった。 それは『加速する社会――近代における時間構造の変容』で、ドイツの社会学者 ハルトムート・ローザ が展開している論点であると。 私の方からは、宗教社会学者の トーマス・ルックマン が、1960年代に、『見えない宗教』論を展開したが、現在では、制度的な宗教──たとえば、福音派と政治運動のシオニズムの関係──も見えない宗教──たとえば、その極端な形態としてのカルトとして──も、同じように社会的な力として、猛威を振るっているという点を述べさせていただいた。 また、ヴェーバー以降の近代社会、特に、プロテスタンティズムの社会において、資本主義の精神の根拠である、救済概念の崩壊や究極の目的の喪失があっても、労働の存在論的な構造である目的定立は消滅しないので、人間に衣食住の生活過程が存在する以上、資本蓄積運動──言い換えれば、物象化プロセスと搾取プロセス──は、社会システムが資本主義から根本的に変わらない限り、続くのではないかと感じた。 ★ NAZA については、きょうは、時間的余裕がないので、詳しく展開できないが、以下の論点があると思った。 1.これは、イスラエル国内から起きた、大規模で世界的な影響力のある反乱であり、それは、今、始まったばかりであること。 反逆罪に問われた 事例として、ディモナの核施設で働いた技術者として、イスラエルの核兵器計画に関する秘密を英国の日...

京都日誌(465)

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  ■9月24日、木曜日、晴れ。 仕事は減ったはずなのに、なぜか増えている。いいような悪いような。 終日、仕事。 先日、 田畑さん から、 アントニオ・グラムシ の論文を送っていただいたので、少しづつ読んでいる。 グラムシは、 石塚先生 があまり重視していなかったので、これまで、注目してこなかった。 しかし、先日の田畑さんのレクチャーを聞いて、その考えを改めた。 ルカーチ自身が、同時代人のグラムシをどのように考えていたか、調べていて、ちょうど、私が、今取り組んでいるルカーチの『社会的存在の存在論に向けて』のテクストの趣旨を、ど真ん中で射貫く、ルカーチの、1969年の、亡くなる2年前の インタービュー を見つけた。 私は、この大作の日本語版を作成するにあたり、直感的に 労働論 から始めたが、その直感が正しかったことが裏付けられた。 また、このテクストが、 科学基礎論 でもあることも証明している。 インタビュアー「このことを、ご自身の哲学的発展にも当てはめますか。今日、1920年代のご自身の著作をどう評価していますか。それらは現在のお仕事とどのような関係にありますか」 ルカーチ「1920年代に、 コルシュ 、 グラムシ 、そして私は、それぞれ異なる方法で、 社会的必然性の問題 と、第二インターナショナルから受け継がれた 社会的必然性の機械論的解釈 に取り組もうとしました。 私達はこの問題を引き継ぎましたが、私達の誰も――おそらく 私達の中で最も優れていたグラムシでさえ――それを解決しませんでした 。私達は皆、誤った方向に進みました。 今日、当時の著作を、今もなお有効であるかのように復活させようとするのは、まったく間違っています。西側には、それらを『異端の古典』に祭り上げる傾向がありますが、今日の私達にそれは必要ありません。 1920年代は過ぎ去った時代です。私達が取り組むべきなのは、1960年代の哲学的問題です。私は今、『社会的存在の存在論に向けて』に取り組んでいます。これによって、 以前の私の著作、とりわけ『歴史と階級意識』で、まったく誤った形で提起されていた問題を解決したい と考えています。 私の新しい仕事の中心にあるのは、 必然性と自由 、あるいは私の言い方では、 目的論と因果性の関係という問題 です。伝統的に哲学者達は、この二つの極のどちらか一方を基礎...

京都日誌(464)

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■9月23日、水曜日、曇り。 掃除のあと、身心調整をして、仕事をしようと思ったら、J:COMのシステム障害でネットに繋がらず、仕方がないので、今出川を東へ散歩に出た。 久しぶりに、御所を歩き、乾御門から入り、石薬師御門へ抜けて、清和御門の方へ南下。 梨木神社へ向かった。 途中、梨木神社の向かいの御所側の石垣に沿って、咲き乱れた紅い萩が何株も枝垂れているのに気が付いた(写真)。 萩の花は好きで、毎年、梨木神社に見に来ているが、この石垣の萩は、きょう初めて気が付いた。 今週末が、「萩まつり」ということで、まだ、梨木神社の萩は、満開ではなく6分咲きといったところだった。 白萩なども綺麗に咲いていた。 毎年、萩の枝に吊るされた俳句の短冊を見て、私も書きたいと思っていたが、どこに言って、書いたらいいのか、判らずにいた。 なにげなく、でっち羊羹を買ったとき、窓口にいた女性にその旨を話したら、あっさり、奥から何種類もの短冊を出してきてくれた。 短冊を1つ選び、そこからが大変であった。 俳句は、速い時には、1秒くらいで出てくるが、「俳句の推敲は一生」と言われるほど、実は奥が深い。 きょうは、一句なるのに、12、3分はかかったろうか。 大まかなイメージは、歩きながらすでにあっても、これである。 なんとか、書いて、一番奥のだれも吊るしていない枝にかけて、その写真をラインで妻に送ってから、受付に戻って、女性にも見せたところ、「いいところにかけましたね」と言ってくれた。 たしかに、そこは、梨木神社の秘所と言える場所なのである。 帰宅後、仕事に専念。今週末には、インタビュー部分を終わらせて、「訳者あとがき」に専念したい。 トランプ政権による UAPの第6回リリース や NAZA について、書きたいこともあるのだが、長くなるので、またの機会に。

京都日誌(463)

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  ■9月21日、月曜日。曇り。 朝から、即、仕事。 昼過ぎに、一段落させて、京都大学へ向かう。 神戸・ユダヤ文化研究会の 第2回文化講座 「今ここにある未来――現代イスラエル/パレスチナ文学における近未来SF小説の系譜」に参加。 パレスチナという土地で生まれたSFの系譜の圧倒的なリアリティに非常に驚いた。 イスラエルの作家、イシャイ・サリドの『第三神殿』と、イスラエルの中のパレスチナ人作家(ヘブライ語で創作)のサイイド・カシューアの『朝が来た』を中心に、国立民族学博物館の赤尾光春氏と、東京外大の細田和江氏のお二方からレクチャーがあった。 ユダヤ人のアイデンティティが、19世紀のシオニズム運動を通じて、時間的なもの──誰の子か、という家系・血筋──から、空間的なもの──占有された土地へと変質するという、赤尾光春さんの、懇親会の「鳥貴族」まで歩きながら、うかがったお話は、とても印象的だった。 以下は、 赤尾光春さんや 細田和江さん、細見和之さん、ユダヤ史研究者さんから聞いた話に、私の理解を入れて、まとめたものである。 第二神殿が破壊され、ディアスポラによって、世界に散ったユダヤ人は、ラビによるトーラーの自由な解釈体系であるタルムードを中心として学ぶという、シナゴーグでの信仰のあり方が形成されてゆく。この意味では、持ち運びのできるテクスト自体が、ユダヤ人のアイデンティティにもなった。 同時に、土地を失ったユダヤ人は、そのアイデンティティを、ほかの民族のように土地(空間)ではなく、家系(時間)に求めるようになる。 神殿が破壊されディアスポラに至ったために、信仰とアイデンティティのあり方が、このように、変質する。 この意味で、ディアスポラ以降のユダヤ民族は、 時間と、(タルムードに書かれた)ヘブライ語 をアイデンティの基礎にした民族と言えるだろうか。 第二神殿の破壊以前のユダヤ人の信仰のあり方は、動物犠牲を伴う公的祭儀が信仰の中核だったようである。律法(トーラー)に反した場合、神殿に動物の生贄を捧げていたという。 祭儀を直接執行したのは、アロンの子孫とされた祭司達だった。 第二神殿の時代は、600年もあった。 そして、現実の問題として、破壊された第二神殿(70年に破壊、第一神殿の破壊は紀元前586年)の再建が政治目標として、テーマ化するのが、1967年の六日間戦争の...