京都日誌(463)

 






■9月21日、月曜日。曇り。

朝から、即、仕事。

昼過ぎに、一段落させて、京都大学へ向かう。

神戸・ユダヤ文化研究会の第2回文化講座「今ここにある未来――現代イスラエル/パレスチナ文学における近未来SF小説の系譜」に参加。

パレスチナという土地で生まれたSFの系譜の圧倒的なリアリティに非常に驚いた。

イスラエルの作家、イシャイ・サリドの『第三神殿』と、イスラエルの中のパレスチナ人作家(ヘブライ語で創作)のサイイド・カシューアの『朝が来た』を中心に、国立民族学博物館の赤尾光春氏と、東京外大の細田和江氏のお二方からレクチャーがあった。

ユダヤ人のアイデンティティが、19世紀のシオニズム運動を通じて、時間的なもの──誰の子か、という家系・血筋──から、空間的なもの──占有された土地へと変質するという、赤尾光春さんの、懇親会の「鳥貴族」まで歩きながら、うかがったお話は、とても印象的だった。

以下は、赤尾光春さんや細田和江さん、細見和之さん、ユダヤ史研究者さんから聞いた話に、私の理解を入れて、まとめたものである。

第二神殿が破壊され、ディアスポラによって、世界に散ったユダヤ人は、ラビによるトーラーの自由な解釈体系であるタルムードを中心として学ぶという、シナゴーグでの信仰のあり方が形成されてゆく。この意味では、持ち運びのできるテクスト自体が、ユダヤ人のアイデンティティにもなった。

同時に、土地を失ったユダヤ人は、そのアイデンティティを、ほかの民族のように土地(空間)ではなく、家系(時間)に求めるようになる。

神殿が破壊されディアスポラに至ったために、信仰とアイデンティティのあり方が、このように、変質する。

この意味で、ディアスポラ以降のユダヤ民族は、時間と、(タルムードに書かれた)ヘブライ語をアイデンティの基礎にした民族と言えるだろうか。

第二神殿の破壊以前のユダヤ人の信仰のあり方は、動物犠牲を伴う公的祭儀が信仰の中核だったようである。律法(トーラー)に反した場合、神殿に動物の生贄を捧げていたという。

祭儀を直接執行したのは、アロンの子孫とされた祭司達だった。

第二神殿の時代は、600年もあった。

そして、現実の問題として、破壊された第二神殿(70年に破壊、第一神殿の破壊は紀元前586年)の再建が政治目標として、テーマ化するのが、1967年の六日間戦争の勝利(東エルサレムの占領と神殿の丘を軍事的に掌握)と、1973年のヨム・キプール戦争を経ての、1980年代からである。

1967年の六日間戦争の後、国防軍従軍ラビ長で、のちイスラエル首席ラビのシュロモ・ゴレンが、神殿の丘でのユダヤ人礼拝やシナゴーグ設置を宗教法上・国家的に主張。

また、元イスラエル国防軍将校ゲルショーン・サロモンが、1967年の六日間戦争(第三次中東戦争)後に、神殿の丘忠誠運動を組織。同運動は、神殿の丘に対するユダヤ人の主権確立、第三神殿の再建、犠牲祭儀の復活などを掲げるようになる。

1980年代のアルアクサ・モスクの爆破計画、1987年神殿研究所の設立など。

第三神殿の再建運動というのは、第二神殿破壊前のユダヤ人のアイデンティを回復する運動とも言えるだろうし、普通の民族が持つ空間的なアイデンティを生き直す運動とも言えるのだろうけれど、イシャイ・サリドの『第三神殿』では、この再建された第三神殿が、再び破壊される。

これは、非常に象徴的である。

ディアスポラに適応してきた信仰のあり方が、この第三神殿再建運動の中で、どのように変化するのか、あるいは、しないままなのか、注目される。

サイイド・カシューアの『朝が来た』は、多くの報道よりも、パレスチナ人の現実を、圧倒的な想像力で映し出している。これにも驚いた。

ここには、常に、隠された他者=ユダヤ人の存在が感じられる。

サイイド・カシューアは、中学生からヘブライ語で教育を受けてきたものの、アラブ人であり、ヘブライ語を使用するのは、それが使いやすいという理由の他に、ユダヤ人の読者に読んでほしいからだと、細田さんは言っている。

この意味で、他者性を作品に滲ませている。

これが、歴史的被害存在であるパレスチナ人の作品における強いられた他者性と、今や完全に、歴史的加害存在となったユダヤ人の作品における他者性の欠如という非対称性となって現れているよう思えた。

懇親会でも、会長の細見和之氏や赤尾光春氏、ユダヤ史研究者氏から、いろいろ、初めて聞くお話をうかがえて、たいへん愉しかった。

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