京都日誌(442)

 






■8月18日、火曜日、曇り。

午前中、身心調整、ルカーチの仕事。

午後から、六本木の仕事。

このところ、ルカーチと格闘しているが、その中で、いくつかの発見や理論的な前進があった。

私が考えている科学基礎論は、目的論・因果論・偶然論を、反映論と表現論で結ぶ、というものだが、きょうは、訳注に苦戦しながら、そのルカーチの反映論の理解がかなり深まった。

いわゆる反映論は、レーニンの『唯物論と経験批判論』を源に持つマルクス主義の反映論が有名で、かつ評判が悪い。

たとえば、レーニンは、同書の第2章第1節で、こう言っている。

「唯物論が、意識的にその基礎においている結論は、我々の外に、我々から独立して、対象、物、物体が存在し、我々の感覚は、外界の像である、ということである。これと逆のマッハの理論(物体は感覚の複合である)は、憐れむべき観念的たわ言である」(レーニン『唯物論と経験批判論』p.76、河出書房新社、1971)。

ルカーチの反映論は、これよりはるかに深く、体系的に展開されている。ここを突破することで、科学基礎論の基礎が見えてくると、私は確信している。

きょう気が付いたのは、ヴィトゲンシュタインの写像理論の欠点は、それが静態的であるところだということだった。つまり、写像理論という反映論には、反映を媒介する実践が考慮されていない。

言い換えると、ヴィトゲンシュタインは、写像を媒介する目的定立とそれに応じた選択的な因果系列の作動を見落としている。

ただ、写像理論は、反映論と表現論の形式化に有効なのではないか、という直感があり、並行して検討している。

きょうは、また、思わぬ副産物として、一般社会操作論を、社会操作類型論から、社会操作過程論へ移行し、それに伴って、情報操作・知識操作、感情操作、構造操作の、3類型を、社会操作過程における3つのモメントと規定し直すアイディアを得た。

これによって、排他的だった3類型が3つのモメントして、相互に媒介し、相互に浸透する社会操作過程全体を分析する視角が開かれてくる。

つまり、弁証法的に社会操作過程を捉えてゆくことができる。

もう一つ、考えたいのは、社会操作のエレメントである。

この議論は、今後、考える。

一般社会操作論の中間報告は、11月以降に、大阪哲学学校で行う。

このとき、靖國の具体的な分析と、圏論による社会操作論の形式化も含めて、展開する予定。

今週末に、若宮へ戻る前に、ルカーチを進めるだけ進めておきたい。


たまに手に取る雑誌に岩波の『図書』がある。

この雑誌は、充実している。

『図書』8月号は、歴史社会学者の福間良明さんの「『騙される』という『一つの悪』」というエッセイがある。

このエッセイで初めて知った映画人の家城巳代治の言葉が紹介されていて、強く印象に残った。

「戦争が正しかったとしても、又は正しくなかったとしても、私は正しくなかったのだ。これだけが間違ひない事実である。はつきり言う、私は少なくとも反協力者ではなかった。寧ろ協力者のつもりであった。

だが、どれだけの信念が自分を支えてゐたのか。それだけ自己といふ主体が確立されてゐたのか。敗戦後、私を襲つた此の動揺、此の混沌は一体何であらうか。真相はかうなのだ、われわれはだまされてゐたのだ、と済まされる事であらうか、真相は自分が、身を以て掴まなければならない事なのだ。だまされたとは何といふ恥づかしい言葉であらう。

若し私が騙されたとするならば、私は騙した人間に何等も憎悪もない。唯々だまされた自分への嫌悪があるだけである。その愚かさ、その軽薄さ、何たる醜態であらう、それが嫌ならば私は騙されたのではない、自らそれを信じたのだ、今もなほ叫んで後に自己批判をすればよいのだ。

だが、然し前に言つたやうに、それだけ自己を信すると叫び得ない自分が残るのだ。要するに私は軽薄なる中間者であつた。中間者とはさういう位置ではない、位置に値しない所の浮遊動物のごときものである。これが私の恥づべき告白である」。(『映画製作』1946年8月・9月号)

この文章は、天皇の玉音放送から、まだ1年も経っていない時点で書かれている。

これは、見事な自己批判であり、誠実さを感じる。

しかし、残念なことに、騙されるという一つの悪は、反復されてゐる。

ウクライナ紛争ひとつをみても、コロナ禍対応を見ても、社会は、今も、冷静な判断力を失っている。

それは、「私が軽薄なる中間者」であったからというよりも、人間存在が、動物的な面と形而上学的な面の二面性を持つからである。

そして、自分の外部の権威に凭れることで、自分という存在の社会的根拠を保証する権威体系を維持しようとするからだ。

もう40年くらい前、某大企業に勤務していた時、某作家の講演会が、会社の大きなホールで開かれた。このとき、この作家は、天皇を持ち出して、冗談をひとつふたつ言った。

その時、社長以下、本部長、部長、課長、ヒラを含めて、会場は水を打ったように静まり返った。この冗談に笑ったのは、私ひとりだった。

これは、自慢でもなんでもない。ここで笑うことのできる人間を、(会社)社会は、奇人・変人と見なす。

ほどなくして、私は、心を病み、この会社を辞めた。


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