若宮日誌(437)
■8月8日、土曜日、積雲ある快晴。
きょうも、若宮は涼しかった。
朝、オクラとゴーヤと大葉に水遣り。その後、朝食に、そのオクラを3本収穫。
その3本を刻んで、ミニトマトと、チーズと、ゆで卵を刻んでサラダとした。
午後から、上野と新宿へ。
『空海と真言の名宝』展を上野で観てから、新宿紀伊国屋で洋書を数冊購う。
東京も秋風が吹き、たいへん涼しかった。
空海は、道元と並んで関心が以前からある。
特に、その言語論である『声字実相義』──現実の声や文字がそのまま実相、つまり、根源的な実在だとする──と、『文鏡秘府論』──現実の言葉と本源的な言葉は不可分の関係だとする──は、一度、読んでみたい。
たまたまだが、私は、詩を書くとき、聲や光に関連した表現を使う頻度が高い。この聲と光に関する言葉が、古代インドのサンスクリット語には、たいへん多いという。
また、空海の思想にある、すべての存在をフラットに見る考え方には、惹かれるものがある。動植物はおろか、無機物も、仏にほからないとして、そこに序列を持ち込まない。
ただし、空海にも時代制約性はあり、それは、国家権力、つまり天皇を頂点する国家秩序が、その布教活動において、前提となっている。
修行の場を確保したり、寺を建立するには、経済的・政治的な力が必要になるが、そのため、空海は、朝廷との関係を重視し、たとえば、後七日御修法といった天皇の健康と国家の安寧を祈る修法を、834年に空海が開発し始めている。
つまり、空海は、釈迦のような托鉢を経済基盤として、小集団の信仰集団を率いた非政治的な人間ではなく、典型的な政治的人間だった。
空海の金剛峯寺は、816年、嵯峨天皇から下賜された高野山の山地を基盤として建立され、835年には、金剛峯寺は定額寺になり、その公的地位により、国家の保護と一定の供養米などの支給がもたらされた。
さらに言えば、空海の思想を伝える真言宗各派の戦争協力も特異なものがあった。
戦時中は、敵国降伏の祈祷が真言宗の各本山・末寺において度々行われ、これはまさに空海が体系化した密教修法(護摩・加持祈祷)の呪術的技術が、もともとの「鎮護国家」思想の延長線上で、対米英戦争の勝利祈願という形へ直接転用されていた。
冗談みたいだが、呪術で米英軍に勝とうとしたわけである。
こうした空海思想は、その現実形態における限界として、他方で見つめる必要があるが、その一方で、空海思想の可能性やアクチュアリティーを救い出す試みがあってもいい。
展覧会を見て、そんなことをつらつら考えながら帰ってきた。