社会操作論の一般理論に向けて(第5回)『おきな草』第60号
社会操作の一般理論に向けて(第5回)
Toward a General Theory of Social Manipulation
尾内達也
In all affairs it’s a healthy thing now and then to hang a question mark on the things you have long taken for granted.
あらゆる事柄において、長きにわたって自明と思われてきた事柄に、折に触れて、疑問符をつけることは健全なことである。
バートランド・ラッセル
8. 構造操作(structural manipulation)
8.1 構造操作(structural manipulation)の定義と分析方針
本連載の第3回において、構造操作に具体的に言及した。本稿では、改めて、この構造操作とは何かを考え、その定義を提示し、今後の分析方針を立ててみたい。
構造操作とは、何らかの社会的構造体を作り上げることで、人々を、特定の同一ベクトルを持った行動に駆り立てることを意味する。
この場合、この行動は、民主主義にとって良くない、と言う含意がある。
ここで、私が、構造操作として考えている具体的な事例は、たとえば、天皇制や靖国神社、日米安保条約であり、マーケットであり、米国のドル本位制であり──いぶかしく思う人もいると思うが、代議制民主主義制度、端的に言えば、多数決による意思決定システムであり、現在も不可視的に国内外で持続している植民地体制である。
ヤーコプ・フォン・ユクスキュル (※注1)は、動物の本能というミステリアスで万能の概念の代わりに、自然の設計(Naturplan)という考え方を導入している。自然にあらかじめ書き込まれた設計図に、動物は従い、ここに逸脱や拒否はないという考え方である。
ユクスキュルは、こう述べている。すこし長いが、重要なので以下に引用する。
「主体の目的と自然の設計とを対比してみると、だれも正しい扱いができずにいる本能の問題を切り抜けることができる。
ドングリはカシワの木になるのに本能を必要としているだろうか。一群の骨形成細胞は、骨を作るために本能的に働いているだろうか。
もしそんなことはないと否定して、本能の代わりに自然の設計というものを、秩序立ての要因として取り入れるなら、クモの巣網張りや鳥の巣作りにも自然の設計の支配が認められるであろう。
どちらの場合も、各個体の目的というものは論外なのだから。
本能は個体を越えた自然の設計というものを、否定するために持ち出される窮余の産物にすぎない。
自然の設計が否定されるのは、設計が物質でも力でもないので、設計とは何かということについて、正しい概念を形成できないからである。
しかし、具体的な例に頼れば、設計を見る目を持つことは難しいことではない。
壁に釘を打つとき、金槌がなくては、どんな立派な設計も無駄である。だが、何の設計もなく、偶然にまかせたのでは、どんな立派な金槌も役に立たない。自分の指を叩いてしまうのが落ちである。
設計がなければ、つまり、あらゆるものを支配する自然の秩序の条件がなければ、秩序ある自然ではなく、単なる混沌になってしまうに違いない。すべての結晶は、自然の設計の産物であり、そして物理学者たちが、ボーアの見事な原子モデルを披露するとき、彼らはそれによって、みずからが探り出した非生物的自然の設計を解説しているのである。
生物界が、いかに自然の設計の支配を受けているかは、環世界を研究するときいちばんよくわかる。設計の探求は、もっとも興味深い仕事の一つである」(ゴシックと傍点は筆者による。『生物から見た世界』pp.87-88)。
さらに、重要なのは、この自然の設計には、あらかじめ目的が書き込まれており、それに従う動植物には、人間のような目的定立の行動を創造しなくても済むように、設計されている、ということなのである(※注2)。
「われわれ人間は、ある目的から次の目的へと、苦労しながら自分の生活を進めていくことに慣れているので、ほかの動物も同じような生き方をしていると信じて疑わない。
これは、基本的な思い違いであって、このために従来の研究が再三誤った方向に導かれた。
たしかに、ウニやミミズが目的をもっていると主張する人はいまい。しかし、われわれは、ダニの生活を描写した際に、彼らが獲物を待ち伏せると書いた。この表現によって、すでに、無意識にではあるが、純粋な自然の設計に支配されているダニの生活に人間の日常的些事を持ち込んでしまっている。
こういうわけで、環世界を観察する際、われわれは目的という幻想を捨てることがなにより大切である。
それは設計という観点から動物の生命現象を整理することによってのみ、可能である。
高等哺乳類のある種の行動は、目的にかなった行動であることがいずれ実証されるかもしれないが、目的にかなった行動自体が、やはり全体としての自然設計に組み込まれているのである」(『同書』pp.79-80)。
ここまで、ユクスキュルを引用したのは、自然設計と対になる社会設計(Sozialplan)という概念をペアで考えて、この二重の設計で、構造操作を新たに定義するためである。
最初の定義で、「構造操作とは、何らかの社会的構造体を作り上げることで、人々を、特定の同一ベクトルを持った行動に駆り立てること」と規定した。
この定義は、構造操作を環境として客観的に分析記述するためには、有効だが、その構造操作を実際に生きている人間の環世界を分析することができない。
構造操作に対する、自然設計と社会設計の二重の概念規定によって、構造操作を、客観的に対象化するだけでなく、主観的な意味世界に分け入り、その意味世界において、自然設計と社会設計が、どのように、相補性、対抗性、あるいは対抗的相補性を示すのか、明らかにできる。
それは、とりも直さず、人間という種の存立構造とも関わってくる。
自然設計も社会設計も、その目的は、あらかじめ、自然の側に、社会の側に書き込まれている(隠されている)。通常、その設計通りに行動する。ただし、社会設計が構造操作として利用されるとき、顕在的目的と潜在的機能、公式の正当化と実際の利益配分との乖離が生じ、そこに欺瞞が介在する場合がある
たとえば、2001年1月20日に成立した、ジョージ・W・ブッシュ政権の唱えた大量破壊兵器保有という理由でのサダム・フセイン政権の打倒と、その後のテロとの長期戦争という表の目的には、裏の、本当の目的として、戦争がなくなった時代における軍産複合体の利益確保と、イスラエルの宗教的かつ地政学的な理由からの領土拡大構想である「大イスラエル主義」の実現があったことなどが、その典型事例となる。
自然設計には、高等動物においては、手段の選択・創造に自由度がある程度あるため、手段の局面で「欺瞞」や「偽り」が意図的に入り込む。
自然設計も社会設計も通常は不可視的であるが、それぞれに、可視化のモメントが存在する。
自然設計の場合、生物がその設計に従って円滑に行動しているかぎり、設計は背景に退き意識されない。しかし、環世界の比較、行動の失敗、病理、実験、観察などによって、自然設計が間接的に析出される。
社会設計の場合、人々が制度に従い、その秩序を自明な現実として生きているかぎり、設計は背景に退き、自然なものとして受け取られる。
しかし、社会紛争や制度的危機、統治権力による社会的業績の未達成、欲求充足の失敗、社会運動・異議申立行動、革命、ジャーナリズム活動などによって、対立する複数の利害関係、権力関係、排除の構造として、社会設計が可視化される。
この意味で、現代社会は、絶えず、構造操作が可視化されるプロセスの中にあると言っていい。にも関わらず、構造操作が社会操作として機能していることの社会的意味が重要である。それは必要だから、あるいは合理性があるから、といった理由の他に、どのような力が、どのように働いているのかが、問われる必要がある。
以上から、自然設計と社会設計を比較整理すると、次のようになる。
表1 自然設計と社会設計の比較整理表
| 比較項目 | 自然設計(Naturplan) | 社会設計(Sozialplan) |
|---|---|---|
| 基本的定義 | 生物の身体構造・知覚様式・行動傾向を秩序づけ、その種に固有の環世界と行動を成立させる設計。 | 制度・組織・規範・法・象徴・市場などの社会的構造体を通じて、人間の知覚・意味づけ・選択・行動を一定方向へ導く設計。 |
| 設計の形成主体 | 特定の主体によって意識的に作られたものではなく、自然そのものの秩序として存在する。 | 国家、支配集団、企業、宗教組織、社会運動などによって意識的に作られる場合と、長い歴史的過程のなかで非意図的に形成される場合がある。たとえば、特定主体が目的をもって構築する法制度、条約、都市計画などがあり(意図的社会設計)、他方で、市場、慣習、言語のように、多数の行為の累積から非意図的に成立する社会設計(歴史的社会設計)があり、伝統の政治利用や金融市場の制度利用のように、すでに存在する構造を発見し、特定主体が意図的に利用・改変する再帰的構造操作もある。 |
| 成立の時間 | ユクスキュル自身の自然設計概念を、現代の進化論的・生命記号論的観点から捉え直せば、生物進化・系統発生の数億年から数万年単位の長い時間のなかで形成される(※注3)。 | 歴史的・社会的時間のなかで形成され、制度化・慣習化・再生産される。 |
| 対象 | 動植物を含む生物一般。 | 主として、労働を行う、社会的存在としての人間存在。 |
| 媒体 | 遺伝的形質、身体構造、感覚器官、作用器官、生理機構、種固有の行動傾向。 | 法律、制度、組織、貨幣、市場、国家、条約、教育、メディア、言語、儀礼、象徴、建築物、情報技術など。 |
| 環世界との関係 | 生物が何を知覚し、何に意味を認め、どのように作用するかを規定し、種固有の環世界を成立させる。 | すでに自然設計によって成立している人間の環世界を、社会的な記号・意味・価値・知識などによって再編成する。 |
| 主体への現れ方 | 欲求、衝動、情動、知覚、身体的可能性などとして現れる。 | 義務、常識、規範、価値、利益、権利、身分、国民意識、アイデンティティ、宗教的意味などとして現れる。 |
| 行動を方向づける仕方 | 生物の知覚標識と作用標識を機能環として結びつけ、種に固有の行動として発現させる。 | 選択肢、報酬、制裁、地位、役割、帰属意識、象徴的意味、感情的つながりなどを配置し、人々の行動を一定のベクトルへ収斂させる。 |
| 目的との関係 | 目的は自然設計のうちにあらかじめ組み込まれており、動物個体がそのつど自由に定立するものではない。 | 設計者の目的が組み込まれるが、設計者の意図を超えた機能や結果を生み出す場合もある。 |
| 目的定立の主体 | 原則として個体を超えた自然設計に属する。ただし、高等動物には目的達成のための柔軟な手段創造が認められる。 | 人間は社会設計に規定されながらも、その目的を問い直し、別の目的を定立し、制度を変更・拒否することができる。 |
| 強制の形態 | 身体的・生理的・知覚的な制約として働くため、通常は外的強制として意識されない。 | 法的強制だけでなく、経済的必要、社会的評価、慣習、象徴、自己規律などを通じ、自由な選択の領域を規定する。 |
| 変更可能性 | 個体が意志によって根本的に変更することは困難。ただし、学習による行動の修正は可能。 | 人間による学問的知識、批判、抵抗、合意、政治運動、法改正、革命などによって変更・廃止・再設計することができる。ただし、社会設計の変更・再設計における、社会的因果関係は、不可視化されていることが多い。 |
| 逸脱・拒否 | ユクスキュルにおいては、自然設計そのものからの逸脱や拒否は想定されない。ただし、本稿では、ユクスキュルの自然設計を固定的な設計図としてそのまま採用するのではなく、進化的時間のなかで形成され、学習や発達を通じて可塑的に発現する、生物と環境との関係構造として捉え直す。 | 逸脱、拒否、抵抗、批判、転用が可能。ただし、社会設計が環世界の「当然の現実」として内面化されるほど困難になる。 |
| 正当化の仕方 | 自然的必然として作動し、正当化を必要としない。 | 伝統・男子男系・万世一系などのイデオロギー、宗教、国益、安全保障、効率、経済性、自由、民主主義、科学的事実などによって正当化される。 |
| 構造操作との関係 | 構造操作が働きかける身体的・情動的・認知的基盤を提供する。 | 構造操作を成立させる直接的な制度的・象徴的・物質的装置となる。 |
| 不可視性 | 身体構造、知覚、行動として、結果は現れるが、それらを秩序づける自然設計そのものは直接には見えない。個別の環世界の研究を通じて探求される。 | 制度や法、組織、象徴などは可視的であるが、それらのネットワークが、人々の行動を一定方向へ導く社会設計そのものは直接には見えない。そして、社会設計には、ネットワークの結果、生じる計算外の創発的な要素も重要である。 |
| 通常時の状態 | 生物がその自然設計に従って円滑に行動しているかぎり、自然設計は背景に退き、意識されない。 | 人々が制度に従い、その秩序を、自明な現実として生きているかぎり、社会設計は背景に退き、自然なものとして受け取られる。 |
| 可視化の契機 | 環世界の比較、行動の失敗、病理、実験、観察などによって間接的に析出される。 | 社会紛争、制度的危機、統治権力の社会的業績未達成、欲求充足の失敗、社会運動・異議申立行動、逸脱、革命などによって、対立する利害関係や権力関係、排除の構造として可視化される。 |
| 可視化されるもの | 知覚標識と作用標識を結ぶ機能環、および種に固有の行動秩序。 | 誰が何を決定し、誰が利益を得て、誰が負担し、誰の行動可能性が制限されているかという、社会設計の方向性。 |
| 秩序破れの意味 | 自然設計の存在とその限界を認識する手がかりになる。 | 社会設計を覆っていた自明性を破り、その構成原理を露呈させる認識契機が開示される。 |
| 具体例 | ダニの宿主探索、クモの巣作り、鳥の巣作り、チンパンジーの優位性誇示行動など。 | 天皇制、靖国神社、日米安保条約、市場、ドル本位制、代議制・多数決制度、植民地体制など。 |
この比較表を踏まえると、構造操作は、次のように定義できる。
構造操作とは、自然設計によって形成された人間の身体的・情動的・認知的傾向に接続する社会設計を、形成・維持・利用・変更することによって、人間の環世界と行動可能性を再編成し、異なる位置にある諸主体の知覚、意味づけ、選択および目的定立行動を、一定の社会的秩序または結果へ収斂させる社会的作用である。
そして、構造操作の可視化に重要な役割を果たす、社会紛争などの可視化の契機は、社会設計によって同一方向へ収斂させられていた行動ベクトルが分裂して、互いに異なるベクトルとして衝突することによって、それまで不可視であった社会設計を可視化する過程だと位置づけることができる。
さらに、重要な点は、構造操作と社会設計を明確に区分する必要性である。社会設計は、人間の行動可能性を方向づける制度的・象徴的・物質的な配置であり、その社会設計を形成、維持、変更、利用することで、人々の行動を一定方向へ導く作用が、構造操作である。言い換えれば。すべての構造操作は、社会設計を媒介とするが、すべての社会設計が構造操作なのではない。
以上を、構造操作の分析枠組みとして、次回以降、具体的な分析に入りたい。
(第6回)に続く。
(※注1)ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(Jakob von Uexküll, 1864–1944)は、現在の生命記号論(biosemiotics)の理論的な源流の一人。環世界や機能環の連鎖、知覚標識、作用標識など、重要な概念を提起し、人間の視点での環境(Umgebung)から、生物は自らの知覚器官を通じて、独自の環世界(Umwelt)を切り出し(人間の概念では、環境に相当)、そこに住んでいるという重要な考え方を提唱した。したがって、それぞれの環世界における時空間は、人間の環世界とは異なる様相を帯びる。
たとえば、天道虫は、色や匂い、化学痕跡、温度、光、他個体の存在を認識し、その組み合わせによって、その行動を選択している。つまり、その意味で天道虫にも主体があると言える。
天道虫は主にアブラムシを食べるが、視力が弱いため、遠くから、アブラムシそのものを見ることはできない。
その餌の識別に天道虫は、植物が出す化学物質を利用している。
植物はアブラムシに吸汁されると、テルペン類、グリーンリーフボラタイルなどの揮発性物質を放出する。
天道虫は、これを嗅覚で感知して、「ここに餌場がある」という、意味をもった記号として解釈して行動し、その植物へ飛ぶ。さらに、葉の上を歩きながら触角や足で、この化学情報を読み、アブラムシを発見する。
天道虫は昆虫なので、左右に複眼がある。複眼は多数の個眼から構成されているが、個眼数は数百程度で、蜻蛉の数万個には遠く及ばない。
この天道虫の複眼は、動くものは認識できる、明暗はわかる、色もある程度識別できるが、細かな形状の識別は難しく、遠方の対象を鮮明に見ることはできない。
天道虫は、我々の生きている三次元空間とは、異なった環世界(Umwelt)を生きている。環境(Umgebung)が、生物の外側に客観的に存在する物理的・化学的世界で、観察者が外から記述できる、いわば「神の視点」からの世界であるのに対して、環世界は、ある生物がその知覚器官と行動器官を通じて、自ら意味として切り取っている世界で、同じ物理的環境の中にいても、生物の種によって環世界はまったく異なっている。
天道虫が実際に生きている環世界は、記号や意味を剝奪した抽象的な三次元幾何学では記述できない。天道虫の空間は、諸々の記号の体系の意味によって媒介され、組織化された空間となるからである。
具体的に言えば、天道虫の空間は、アブラムシの匂いが強くなる方向や葉の表面の傾き、光の方向、温度勾配、他個体の化学痕跡などで、組織された意味勾配ある空間となる。
ユクスキュルは、当時ロシア帝国領だったエストニアのケブラス荘園(現在のエストニア・ペルヌ県ミフクリ付近)に、ドイツ語を話す貴族の子として、バルト・ドイツ人の家系に生まれた。バルト・ドイツ人とは、現在のエストニアやラトビアなどのバルト地域に中世以来居住し、地主・貴族・都市市民層を形成していたドイツ系住民を言う。
(※注2)人間のような目的定立的行動を動物はせず、本当に自然設計に従うだけか、という点については、類人猿に対する最新の動物認知科学が、興味深い実証研究を重ねている。
たとえば、2012年5月9日に、『ナショナル・ライブラリー・オブ・メディスン』に発表された、スウェーデンとフランスの研究者による論文「雄のチンパンジーによる将来の欺瞞のための自発的な新行動の創出」がある。
※Spontaneous Innovation for Future Deception in a Male Chimpanzee(ナショナル・ライブラリー・オブ・メディスン、2012年5月9日)
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3348900/
これは、雄のチンパンジーが、投射物を干し草の下に隠すという、欺瞞のための新しい行動様式を自発的に考案したことを観察記録した論文である。
具体的には、スウェーデン中東部のイェヴレ市郊外、フールヴィークにあるフールヴィーク動物園で、ドイツのミュンヘン動物園から5歳のときに、このフールヴィーク動物園へ移された雄のチンパンジー、サンティーノの欺瞞行動(欺き行動)に関する観察である。
サンティーノは、動物園の来園者を威嚇し、驚かせ、退かせることを目的(雄の優位性誇示行動の一部)に、来園者にコンクリート片を投げていた。
ところが、この投擲行動を先に行うと、来園者が投げる前に逃げることを、サンティーノは学び、投射物をあらかじめ集める、干し草や丸太の陰に隠す、一般的なチンパンジーの雄の優位性誇示行動である立毛や発声を抑える、平静を装って来園者を近づかせて至近距離から突然投げる、などの新しい戦略を編み出した。
ここには二つの水準がある。
第一は、チンパンジーに一般的な優位性誇示・威嚇としての投擲。第二は、その威嚇を確実に成功させるためにサンティーノが考案した、計画と欺瞞を伴う投擲である。
ユクスキュルとの関係でいえば、投げるという最終目的は、雄の種固有の誇示行動、すなわち「自然設計」の内部にあらかじめ書き込まれている。しかし、その目的を達成するために新しい手段を発明し、未来の他者(来園者)の行動を予測して組み合わせた点は、「自然設計」が、動物の行動すべてを全体的に支配しているわけでないことを示している。
この論文が示したのは、サンティーノが、誇示行動という、目的そのものの自由な定立ができることを示したのではなく、「自然設計」にすでに存在する目的に対する、柔軟で計画的、革新的な「手段の創造」を行う能力を、サンティーノは示した、ということになる。
この観察は、意味記憶システムとエピソード記憶システムという、目的定立行動を可能にする2系統の記憶に関する論点も含むが、ここでは、深く立ち入らない。
(※注3)ユクスキュル(1864–1944)自身は、ダーウィン(1809–1882)の進化論(『種の起源』1859年)とは、一定の緊張関係にあり、自然設計を歴史的な進化過程の産物として明確に理論化したわけではない。
デンマークの生化学者・生命記号論者イェスパー・ホフマイヤー(Jesper Hoffmeyer, 1942–2019)は、ユクスキュルの「環世界」と、チャールズ・サンダース・パースの記号論を結びつけ、生命進化を「記号過程の進化」として捉え直した。ホフマイヤーによれば、生物進化とは、身体形態が複雑になるだけでなく、生物が、環境の差異を環世界の記号として識別し、記号を解釈し、記号に応じて複数の行動を選択する能力を増大させていく過程として考えた。
エストニアの生命記号論者カレヴィ・クル(Kalevi Kull, 1952–)は、『環世界と進化――ユクスキュルからポスト・ダーウィニズムへ』(1999年)の中で、環世界を固定的な「種固有世界」としてだけでなく、生物と環世界との記号的関係が、進化のなかで形成・維持・変化していくものとして捉えた。
本稿では、イェスパー・ホフマイヤー、カレヴィ・クルらの現代生命記号論を踏まえ、自然設計を、生物と環境との記号的関係が進化的時間のなかで形成されてきたものとして捉え直している。