京都日誌(441)
『玉音放送』は、1945年8月15日正午からラジオ放送された昭和天皇による終戦詔書の朗読(約4分30秒)。前日の14日深夜、当時の宮内省内で録音された。昭和天皇はとり直しを希望して2回読み上げ、2種類の原盤が完成した。今回公表されるのは、実際に放送された2回目の録音の原盤」。
これを聞いて、正直、内容はよく判らなかった。繰り返し報じられる「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」は判るが、あとは、一回では何を言っているのか判らない。
聲のトーンと質に注目すると、高いトーンと低いトーンが入り混じり、不安定な印象を与える。
詩や俳句の朗読を少しやる経験から言うと、この天皇の録音は、非常に緊張した状態で発聲しているのは間違いない。
驚くことに、ほとんどの国民は、このとき、初めて天皇の肉聲を聞いたのである。マスメディアは、新聞・ラジオしかなかった。
この「終戦の詔書」は誰が書いたのか?
後に、GHQとして日本を占領・管理することになる米国人集団が書いたという人もゐる。
国立公文書館によれば、文案確定に至るまで、9つの文案が閣議に記録されている。
文案作成では迫水久常内閣書記官長や漢学者の川田瑞穂らが中心的役割を担い、安岡正篤らも修正に関与したとされる。ただし、起草者や各人の関与の範囲については、証言や研究の間に相違がある。
これについては、ドクター中松の興味深い証言がある。
2021年8月15日の『ハフポスト』が『終戦の詔書』全文の現代語訳を掲載している。
この中で、目についたのは、以下の点である。
「そもそもわが国民が健やかに、安らかに生活できるよう心がけ、世界の国々とともに栄えその喜びを共有することは、歴代天皇が手本として残してきた教えで、私も常に念じてきたところでもある。したがって、さきに、アメリカとイギリスの二国に宣戦布告した理由もまた実に、わが国の自存とアジアの安定を心から願ったためであって、他国の主権を押し除けたり、領土を侵したりするようなことは、もちろん私の意志とは異なる」。
原文
「抑々(そもそも)帝国臣民ノ康寧(こうねい)ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々(けんけん)措(お)カサル所曩(さき)ニ米英二国ニ宣戦セル所以(ゆえん)モ亦(また)実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如(ごと)キハ固(もと)ヨリ朕カ志ニアラス」。
天皇は、『マンチェスター・ガーディアン』等の英字新聞を通じて、3.1独立運動も、南京大虐殺も知っていた。天皇自身も英語を読めただけでなく、1936年から44年まで侍従長を務めた百武三郎の日記から、百武が『マンチェスター・ガーディアン』の南京大虐殺の記事を読み、天皇に伝えたことが判っている。
また、人類初の無差別爆撃である重慶爆撃は、「大陸命第二百四十一号」が根拠となっている。「大陸命」は天皇の統帥大命として発せられる命令であり、参謀総長が天皇に上奏し、天皇の允裁を受けたうえで奉勅伝宣する仕組みだった。重慶爆撃に関する最初の正式命令が、天皇名義の最高指示だったことは研究でも確認されている。
天皇は、1941年12月8日の対米英宣戦詔書でも「今や不幸にして米英両国と戦端を開くに至った。まことにやむを得ないことであり、どうしてこれが私の望んだことであろうか、いや、そうではない」などと言っている。
このひとの受け取っていた情報と、その言葉と行動から判断して、人として、尊敬できるところが少ない。
天皇は、制度上は陸海軍の最高指揮官であり、軍を止める権限を持っていたにも関わらず、その権限を自ら積極的に行使せず、軍・政府の一致した上奏を裁可するだけだった。
こうした行動からは、責任や主体という概念が、最初から最後まで欠落していたように思える。
内閣からの統帥権の独立という制度的欠陥だけに帰せられない、政治指導者としての、個人的な資質の問題を疑わざるを得ない。
この終戦の詔書を聞いた当時の人々の反応は;
太宰治――「ばかばかしい」と繰り返す。
高見順――「遂に敗けたのだ。戦いに敗れたのだ。夏の太陽がカッカと燃えている、眼に痛い光線」数日後には、「余思うに、日本人に天皇は必要である。われらは八月十五日に於ける天皇に対する戦慄的な敬愛の念を忘れることは出来ない」
内田百閒――「熱涙垂れて止まず」
徳川夢声――「日本敗るるの時、この天子を戴いていたことは、なんたる幸福であったろうか。……この佳き国は永遠に滅びない!」
徳富蘇峰――「昭和二十年八月十五日は、実に我が皇国日本に取りて、永久に記念すべき悪日である」
大佛次郎――「結局無条件降伏なのである。嘘に嘘を重ねて国民を瞞着し来たった後に遂に投げ出したという他はない」「国史始まって以来の悲痛な瞬間が来たり、しかも人が何となくほっと安心を感じざるを得ぬということ!」
湯川秀樹――「朝散髪し身じまいする」「大東亜戦争は遂に終結」
三島由紀夫――「日本の敗戦は、私にとって、あんまり痛恨事ではなかった。それよりも数ヶ月後、妹が急死した事件のほうが、よほど痛恨事である」
手塚治虫――「ぼくは、とっさに、こりゃ、もしかしたら漫画家になれるかもしれんぞ、と思った」