若宮日誌(445)
■8月26日、水曜日、朝曇り、のち晴れ間。
午前中、上日出谷のN歯科医院へ。府立医大への紹介状をもらってくる。
午後、さいたま新都心へ。妻に頼まれた買い物と、ヨドバシカメラでマウスとキーボードを新調する。ポイントで安く入手。
帰宅後、京都へ送る本の箱詰めと手配。
きのうの墓参は、39℃のほぼ酷暑予想が出ており、実家へ行くだけとした。
ルカーチの原稿、第26回終了。
今回は、マルクスと同様に、人間中心主義的なところがある(裏を返せば、マルクスもルカーチも、自然的存在の議論が弱い)ルカーチの社会基礎理論を、ユクスキュルで補正する議論を行った。
『老化と記憶について』の校了。
老化や記憶、痛みに関するテーマは、今後も追求する予定。
夜は、隣の北本市で、今から5000年前から3500年前まで、1500年続いた縄文集落「デーノタメ遺跡」について、教育委員会が編纂した本を読む。
たいへん、興味深い。ルカーチの労働論との関連で、道具の個所をまず読む。
縄文土器は重く毀れやすい。
深鉢形の土器の機能は、モノを煮炊きすることだが、この大きくて重い、しかも毀れやすい土器は、頻繁な移動生活には向かない。
縄文人の定住化と、この土器の性状が関連している。
逆に、定住化が進み、こうした大きな土器を制作する条件が整ったとも言える。
要するに、生活の様式と土器の性状には、相互関係がある。
私が興味深いと感じたのは、この土器の毀れやすい点である。
つまり、取り扱いに注意が必要となる。
それは、縄文人の繊細さとその文化レベルの高さを表している。
乱暴な文化であれば、こうした土器は使用できない。
縄文人たちは、かなり繊細なところのある人たちだった、という印象を持った。
縄文集落「デーノタメ遺跡」は、一度行ってみたい。