京都日誌(431)
■午前中、掃除、身心調整。最高気温は16時台で、38.2度。
きょう18時の環境省からのラインのポストでは、25日の京都の「暑さ指数」は32、5段階のトップで、最大の警戒を要する「危険」となっている。
暑さ指数で、もっとも、重みがつけられているのは、湿度と風の影響で、これが70%もついている。次に、日射・地面や建物からの輻射熱の影響で20%、通常の気温は10%の重みづけなのである。
この暑さ指数は、熱中症を予防することを目的として1954年にアメリカで提案された指標。
2020年から2024年の暑さ指数の全国平均値を見ると、8月上旬にピークを迎える。
全国で熱中症で救急搬送された総人数も、2024年、2025年のデータを見ると、7月20日から8月上旬にかけてがピークとなる。
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この件で、AIと午前中から午後にかけて、議論。
私が、考えている一般社会操作論において、制度間の社会操作性の高低を比較するために、この暑さ指数のような社会操作指数(SMI)は、作成できないかという点で、議論。
社会操作性の強度に深刻度を加味した次元で算出できるかどうかと。
このアイディアは、数字が一発で出るため、とても魅力的なんだが、批判理論のパラドックスは、批判対象に批判理論が回収されるという点にある。
仮に、こういう尺度を作ったとすると、行政の民主化あるいは効率化の名目で、現実の社会操作の最適化と洗練に使用される可能性が高い。
また、そのSMI尺度なるものは、それ自体が、きわめて高い社会操作性を帯びるのである──その数字が、委員会や外部委託のコンサルなどで政治的に決まるというだけでなく、たとえば、そのSMIの数字自体は低く抑えて、アウトカムだけ高く出す経路など、すぐにAIが見つけ出すだろう。
ただ、どの社会操作が許容可能で、どれが深刻なのかを実践的に論じることを可能にする、社会診断的なモメントを全部放棄すべきなのかどうかは、まだわからない。
AIは、各基準について、根拠を示しながら個別に評価する多次元的な評価体系を提案してきている。
それは、社会操作の多様な側面を、暑さ指数のようにひとつの数値に集約する、社会操作インデックスではなく、社会操作批判的評価枠組み(Social Manipulation Critical Assessment Framework)になる。
AIと議論したもう一点は、圏論の一般社会操作論への応用である。
数日前、日経新聞で、圏論の応用範囲が広がっている、という記事を読んで、なにか、ピンと来るものがあって、圏論について、ここ数日、調査したり、基本書を取り寄せて読んだりしているのだが、
AIと議論して判ってきたのは、部分的には圏論は使えそうだ、という感触である。部分的には、である。
これを目的にしてしまうと、現実と大きくズレてしまう可能性が高い。
圏論を使うことで、それを使わないで自然言語の記述だけでは、明晰に見えない点──制度が何を消し、誰を沈黙させ、どの可能性を閉じたか──を表す批判的なフォーマライゼーションとして、圏論を機能させる方向が、見えてきた。
ともかく、圏論は、そのイロハから、ぼちぼち、並行して学んでいくしかないようだ。
こんな議論をAIとしていて、疲れてしまって、日盛なのに、散歩に出た。堀川のスロー・ページのアイス珈琲が美味しかった。