京都日誌(426)
公開された要約によると、出席者たちは結論の一致に至らなかった。大気圏へ浅い角度で突入した隕石である可能性も検討されたが、確定はされなかった。テラーは黒板の前で、謎の緑色火球の性質を計算しているように見える。一方、研究所所長のノリス・ブラッドベリー(米国の物理学者で、マンハッタン計画に参加し、戦後はロスアラモス科学研究所の第2代所長)は、その水平な飛行経路と無音であったことは依然として説明できないと認め、会議を締めくくった。
この会議には、陸軍、FBI、原子力委員会、ニューメキシコ大学、ロスアラモスのカリフォルニア大学研究グループの関係者が参加しており、1995年にノーベル物理学賞を受賞したフレデリック・ライネスも出席していた」。
この会議で発言したニーフ大尉の証言では、この緑色の火球が目撃されたのは、1948年12月であり、最初に目撃したのは、民間航空機の複数のパイロットたちだった。しかも、この緑色の火球は一つではなく、複数で現れていた。
流星かUAPか、という論点になると思う。
興味深いのは、7月10日の米国戦争省による第4回のUAPファイルのリリースとは別に、その2年前に、ロスアラモス国立研究所が、この件について、一般からFOIA(情報自由法)に基づく開示請求が、あったことを、2024年11月18日に、ホームページで報告しているのである。
この記事によると「この夜、目撃者たちは、緑色の火球がロスアラモス上空を横切って移動するのを目撃したと報告しました。その後3か月間に、火球は数回出現し、音を立てずに、台地(ロスアラモスの町と研究所が位置する台地)の上の住民がかろうじて目視できる範囲を飛行しました。
同様の現象は、ハンフォード・サイト付近でも報告されました。同施設はワシントン州にあるプルトニウム生産施設で、現在は稼働を停止しています。また、マンハッタン計画中に核燃料を生産したもう一つの施設である、テネシー州のオークリッジ国立研究所から400マイル(約640キロメートル)以内でも報告されました」。
こうした住民らの目撃情報を受けて、1949年2月16日に、この現象について検討するため、ロスアラモス科学研究所――戦後における研究所の名称(1981年からは、ロスアラモス国立研究所にさらに名称変更)――で、ロスアラモス会議が開催されたのである。
さらに、ロスアラモス国立研究所のホームページは、こう続けている。
「1949年のロスアラモス会議は、『プロジェクト・トゥインクル』と呼ばれる調査計画の出発点となりました。この計画は、観測所と写真撮影装置からなるネットワークを通じて、火球の目撃事例についてさらにデータを収集することを目的としていました。
プロジェクト・トゥインクルは、計画どおり完全に実施されることはなく、2年後に打ち切られました。その際、緑色火球はおそらく自然現象に由来するものだったという公式結論が示されました」。
このプロジェクト・トゥインクルの公式結論は、不自然な気がする。この事例は、原子力関連施設に、よくUAPが現れるという言説の、最初のものだろう。
私の直感に過ぎないが、米国において、宗教上の理由から、UAPの存在を認めたがらない勢力が存在するように感じる。
ローブ博士は、「興味深い映像の一つには、謎の物体が進行方向を90度変える様子が映っている。この物体は細い線状になり、画面左下へ移動していく。映像はこちらで見ることができる。
別の映像には、複数の謎の物体が狭い隊形を組み、画面左下へ移動する様子が映っている。こちらで公開されている」と述べている。
この2つの映像を見る限り、非人間の高度知性体による技術物としか思えない。