京都日誌(427)
■7月17日、金曜日、雲の峰ある晴れ。
午前中、急ぎの六本木の仕事。その後、運動へ行く。
途中、ふらりと、北野天満宮へ立ち寄ると、写真のような大福梅の土用干しが行われていた。
大福梅は、天神の境内で採取された梅干を、元日の朝、一粒湯呑みに入れて白湯またはお茶を注ぎ、「初茶」として飲むもの。
邪気を払い一年の無病息災を祈る。地方発送もできるので、若宮に1セット送った。12月13日から順次発送となる。
この梅干をどう使うのか、巫女さんに聞いたところ、お湯または水で飲む、と言ったが、水で飲む初茶はないだろう。
帰宅後は、ニコの仕事に集中。
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社会操作は、すべてが悪というわけではない。社会統合や社会の再生産としても、社会操作は行われている。
その社会操作の罪深さを、正確に測ることはできないか、と思っている。
それには、命題の数式化が必要になる。これをやるには、数理社会学の方法を使うのが、たぶん、一番いい。
まさか、40年後に、高坂先生の言うことを、なるほど、と思いながら読むことになろうとは思わなかった。
当時は、数学的方法論に関心はなく、社会階層の統計学的分析をしている先生というイメージだった。
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皇室典範等の改正案と国旗損壊罪が、7月17日に可決成立した。
皇室典範等の改正案に関する国会の議論を見ていて、2点、印象に強く残った。
塩川議員「そこであの改訂案は、女性皇族が結婚後も、皇室から離れられないことを原則としています。男性はあの天皇になる資格があるがゆえに、皇族として拘速 をされますが、一方、女性皇族は、天皇になる資格がないの、に皇室の行事を担うのに皇族数を確保するためだけに、皇族として 拘速をされることになる。これは、あの率直に言って、 2 級皇族のような扱いではないのか。こういう声もありますが、いかがでしょうか?」(11分48秒から)
文字に起こしてしまうと、この答弁を行った、木原官房長官の身体全体や表情全体が表わすものが消えてしまうので、映像を見ていただきたいのだが、木原官房長官の畏れ多いものに触れタブーを犯した人へ向けられた身体性がよく出ている。
女性の2級皇族も、天皇に連なる聖なる存在であり、皇室自体が聖なるものと感受されていることがわかる。
皇室と一般人を、聖と俗で区分しており、これは、現在でも、皇室は、自民党にとって、れっきとした宗教だということを表している。自民党の中にも、菅義偉元総理のように皇室を観光資源と見るリアリストもいれば、河野太郎元ワクチン大臣のように、他国との差別材料として皇室を考える「国際派」もいるが、純朴な木原官房長官の身体性は、その信仰の濃淡に限らず、自民党による皇室教をよく示している。
皇室典範等改正法は、少子化と世俗化が急ピッチで進む、皇室の最後の宗教オーラを必死に引き留めるものと見ることもできる。
何が聖なる存在で何が俗なる存在かは、人為的に決まるので、崇めるから聖なる存在になっているだけで、その逆ではない。そこには、原理的な根拠(それ自身でそれを根拠づけること)は存在しない。だから、無理やり、男系男子という虚偽を持ち出しているのである。
そこには、自民党を支える統一教会や勝共連合、神道系の新興宗教などの、男系男子の天皇国体を支持する勢力による、選挙マンパワー・集票・集金の俗っぽい利害も大きく絡んでいる。
そもそも、皇祖の天照が女性で、その子孫が神武であるのなら、そこから本当に万世一系であれば、論理的には、現在は女系天皇となる。
女性天皇も、日本史上、実数で8人(総実数124人)、在位回数 では10代(総在位回数126代)も存在している。
男系男子の天皇へと価値が特に傾斜されたのは、軍事国家の明治国家からである。国民を戦争に駆り立ててゆく中心が、女性では、軍神のイメージとそぐわない。
木原官房長官を始めとした、「畏れ多い」人々は、「崇めるから聖なる存在になっている」ということの意味をもっと考えた方がいいだろう。38親等以上も離れた親戚を、イデオロギーだけで、崇めよ、畏れよ、と国民に宗教強制するのは、無理がある。
天皇制というのは、靖国神社問題で明らかなように、思想信条の自由の問題でもある。皇室教を国民全員に拡大する憲法違反の権限は、政府にはない。
今、皇室のメンバーは16人、そのうち70歳以上が6人。無理やり、男系男子の統合の象徴を再生産するために、種馬の候補を増やすという一択の解決策だけで突っ走るより、どういう国家が望ましいのか、国民統合は、天皇無しでどうすべきか、といった問題を、パブリックイシューにすべきではないだろうか。
印象に残ったもう一つは、高市総理の「国民の代表である国会議員の総意に基づき」という国会答弁についてだが、これは、代議制民主主義制度が、本質的に持つ操作性と関わる。この点については、別の機会に。