往還日誌(356)

 






■11月28日、金曜日。

午前中、中央図書館へ。

ヤスパースの『仏陀と龍樹』を借りに。

キリスト教圏のヤスパースが、1957年に仏陀と龍樹をどう見ていたのか、関心を惹かれる。

食事してから、京都大学の時計台記念館へ。柏原正樹先生アーベル賞受賞記念講演会。

この講演に出席した問題意識は、主に、2つだった。

1つは、T-N-S TheoryとGTSMの核心部分の記述を、誤解や曖昧さの残る自然言語ではなく、数学言語で記述できないか、という問題意識のためのヒントを探して。

2つは、3つの講演の中に現れた考え方や発想と、T-N-S TheoryとGTSMとの対応関係があり得るかどうか、という点だった。

最初に京大総長、数理解析研究所所長、文科省の課長の挨拶が計21分。

続いて、柏原正樹教授の講演が40分。「非可換モノイダイル圏の魅力」。

2人目に、望月拓郎教授の「D加群とリーマン・ヒルベルト対応」。

3人目が、中島啓教授の「可換から非可換へ」。

柏原教授の講演を、解説するような形で、他の2人の講演は行われた。

講演は、数学は、数学的対象あるいは数学的構造を、数学的言語で記述していく中で、多様で深い発見を行うという性格があるが、私がまず驚いたのは、柏原教授の研究の出発点である、佐藤幹夫教授だった。

佐藤幹夫教授は、数学と物理学の往還関係を、今は、行う数学者が多いが、その元祖のような人だった。その佐藤教授が、1960年に発表した「佐藤超関数」は、なんと、実空間と数学空間の関係を問題にしていた(※)。

(※)ここは、正確には、実空間とは (n 次元実数空間)であり、R は一次元の実空間、 は平面、は通常の三次元空間を意味する。数学では「実」とは値が実数であるという意味であり、物理世界(我々の空間)と対応させる場合が多い。ここでは、「実空間=人間の環世界の中の空間」と捉えた。

私も、きょう、初めて知ったのだが、「実空間は複素空間に埋め込まれている」というのが、この佐藤超関数の中心アイディアなのである。

ここでは、イマジナリー空間が一般、あるいは普遍として存在し、実空間はその一部として特殊的に存在している。プラトンのイデア論を想起する人も多いのではないか。

これは、驚くのだけれども、T-N-Sの考え方では、時空間は種ごとに存在するため、時空間は、多元的な構造をもつ。

そこにおける知識は、種の環世界に条件づけられているから、佐藤超関数のテーゼも、種の環世界との間に、何らかの対応関係をもつと考える。

このため、佐藤超関数という新しい知識は、この点からの知識社会学的な研究領域を開く一契機と捉えることができる。

この他にも、集合と圏の違いや、可換と非可換の含意、微分方程式の解の構造において、微分方程式の連続的な対象を、行列表現による離散的なデータとして取り出すことができる点の、意味や、

特異点の意味、D加群を加えることで、微分方程式の本質を抽出できるとした議論、さらには、リーマン・ヒルベルト問題の一般化とその対応が、現代数学の発展に果たした意味など、

一回聞いただけでは、深く理解できないが、魅力的な響きのある論点が複数語られた。

私が、特に印象に残ったのは、こうした数学的構造の議論が、古典力学や量子力学など、私の概念で言えば、「自然的時間存在(N2)」と密接に関わると述べた中島教授の指摘だった。

これは、数学的構造が、その外側の宇宙構造と関わるという議論などとも同型のものであるが、T-N-Sの考え方から言えば、これは、驚くことではなく、ある意味で、当然のこととなる。

数学的構造も宇宙構造も、古典力学も量子力学も、人間の環世界に条件づけられ、環世界・環機能の内側で成立する知識だから、それらの知識間の構造に何らかの密接な関連性があるのは自然である。

引き続き、考えを深めていきたい。


きのうは、夕方から、詩人の河津さんに『東国』170号をお渡しする。

『東国』は、170号を以て終刊となった。

その後、どうするか、考えていた時に、河津さんから、有益なヒントをいただいた。

安価なオンデマンド出版で個人誌あるいはシリーズ詩をまとめたミニ詩集のような形で出版して、知人に配り、次の詩集へとつなげていくというアイディアである。

これは、「門」のシリーズが9編、すでにできているので、タイミングを見て実行してみたいと思っている。


きのうも、きょうも、鶴ちゃんの「玄米・小豆・黒胡麻・胡桃御飯」にヒントを得て、ここまで、素材がなかったので、玄米と小豆でご飯を炊いた。

かなり行ける。

赤飯みたいになるが、納豆に、温泉卵を載せて食べると、極楽気分である。



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