往還日誌(352)

 







■11月16日、日曜日、晴れ。

午前中、ヘーゲルの『精神現象学』を原典で読む会。夕方から、家族に夕食を作る予定。チキン南蛮とミネストローネを予定している。

5年前の記録を読むと、就寝直前までPC作業をしていても、風呂に入って、血行を良くすると、ぐっすり眠れた。5年後の現在は、心身が全く変化している。これをやると、中途覚醒が何度も起きる。

この脳の変化に対応するため、21時には、PCとスマホを、強制的に、オフラインにしてしまうことにした。ここ数日、これを行って、途中覚醒は劇的に減った。きょうは、一回もない。

空いた時間は、主に、読書かカードゲームをしている。


数日前、近所を散歩していて、横断歩道の電柱に、日本の代表的なクリスチャン・シオニズムの「キリストの幕屋」の信仰証誌『生命の光』が括りつけてあったのに気が付いて、一部、もらってきた。

見開きには、モーセ5書(いわゆるユダヤ教の「トーラー」)の1つ「民数記」6章25節から引用があり、イスラエルの原発施設のあるネゲブ砂漠の写真が掲載されている。

「キリストの幕屋」の組織実態は、調べたが、そのときはわからなかった。この『生命の光』には、現在、集会がどこで行われているのか、集会場所の案内がある。

日本国内では、北海道から沖縄まで、68ヶ所、海外は、イスラエル、米国、カナダ、ギリシャ、メキシコ、台湾、ブラジル、パラグアイなど、16ヶ所に及んでいる。

最後の頁に、「私たちの信条」というコーナーがあって、その第1項目に、大和魂への言及がある。

「私たちは、日本の精神的荒廃を嘆き、大和魂が奮い立つことを願う」。

ディアスポラを経てイスラエルに国家を建設したイスラエル人の心性と大和魂に共通性を見出して感激していたのが、参政党の神谷宗幣代表である。

神谷氏は、街頭演説では、「キリストの幕屋」とは無関係と言っているが、思想的には同型と言っていい。「キリストの幕屋」も、キリストとヤハウェと、天皇・皇室の権威が併存しているのである。

「キリストの幕屋」は、ぽっと出のキリスト教系新興宗教ではない。

モントリオール大学のユダヤ学の世界的な権威、ヤコヴ・ラブキン名誉教授は、その優れた著作『トーラーの名において―シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史―』の日本語版読者へのメッセージ中で、「キリストの幕屋」に言及しているのである。

ラブキン名誉教授は、日本のプロテスタントで、経済学者、植民地政策論の矢内原忠雄(1893-1961)が、シオニズムの企図をキリストの再臨に結び付けて、ユダヤ人によるパレスチナの植民地化を積極的に評価する論考を、第一次大戦直後から発表していたと述べている。

最初のシオニストがパレスチナに到着したのは、1880年代だった。そのシオニスト達の指導者が、キエフ出身のユダヤ人、アシェル・ギンズバーグであり、当時の植民者達のパレスチナ人への暴力行為を非難していた。

矢内原は、この植民者達の入植最初期からの暴力については、何も語っていない。そして、イスラエル建国(1948年5月14日)は、パレスチナ人の街の破壊と虐殺、追放であるナクバ(大災厄)と一体だった。

これは、ジェノサイドであり、記憶の抹殺、空間の抹殺という意味で、メモリサイド、スペシオサイドの要素も持っている。

これについても、なにも矢内原は、語っていない。知らなかった可能性が高い。イスラエルが入念に証拠隠滅を図ってきてたからである。イスラエルの歴史学者、イラン・パペ(1954-)の仕事によって、ナクバの実態は、最近、明らかになってきた。

この矢内原忠雄の師が、無教会派で有名な内村鑑三である。つまり、日本のクリスチャン・シオニストの元祖は、内村鑑三だったと言ってもいいのである。内村鑑三は、高崎藩士の父をもち、幼少期を高崎ですごしたため、群馬県民ならだれもが知っている「上毛かるた」では、郷土の偉人のひとりとして「こころの灯台、内村鑑三」として出てくる。

この内村の同じく弟子が、「キリストの幕屋」の創始者、手島郁郎(1910-1973)なのである。

ラブキン教授は、同書でこう述べている。

「日本において、シオニスト国家をもっとも持続的に支持してきたのは、おそらく『キリストの幕屋』運動でしょう。その創始者、手島郁郎も、やはり、遡れば、内村鑑三に行き着くキリスト教イデオロギーの潮流に連なる人物でした」(『トーラーの名のもとに』p.9)。

「キリストの幕屋」の『生命の光』に出てくる一般信者達は、眼が澄んでいて、表情がすっきりしており、書いてあることも、自分史とキリストとの出会いや、交通事故や人生上の失敗において、具体的な救いに遭ったという話――祈りの最中にキリストの声が聞こえて救われた――が多く、こちらとしては、複雑な気分にさせられる。

悪い意味で、「純粋」で、罪のない顔をしている。

こういう信者たちが、東京のイスラエル大使館前に多量に動員されて、イスラエル国旗をもって、パレスチナ人のジェノサイドを批判する市民デモに対して、イスラエル支持のカウンターデモを行ったりしているのである。


土曜日は、午後から、田畑稔さんの『マルクス講座』にリモート参加。

田畑さんは、西田幾多郎の統治者に対するブレーン哲学者的な側面を取り上げて、「哲学の現実形態」を明らかにする重要性を述べていた。

面白かったのは、京都大学の人文研のある研究会で、西田の近衛や東条の時期のブレーンとしての活動に田畑さんがふれると、ある人から「それはガセネタ」だという強い反発があって驚いたという。

田畑さんは、こう述べている。

「戦時体制下でブレー ン哲学の中心に西田がいたことは事実なのであって、その有効性と限界を正面 から問題にすることは個人攻撃などとは別次元のむしろ哲学本来の課題なのである」。

これは、全くそのとおりだと思う。

マルクスにおいても、35歳のときの1853 年、『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』紙に二本の論説を寄稿し、英国によるインド植民地化を歴史的に「進歩的役割」として評価した とされ、これまで多くの批判の対象となってきた。

この2つのテクストは、「英国支配を道徳的に肯定した」のではなく、「歴史的に資本主義的世界市場が形成される過程の一部として“結果的に”進歩的役割を担った」と位置づけたと理解される。

カール・ポッパーなどが批判する歴史法則の存在を前提にし、単線的な歴史発展図式に囚われていると言える。

マルクスがバルカン半島・ルーマニア(特にワラキア・モルダヴィア)の農村社会・共同体・土地制度を詳細に研究した際の膨大な手稿である、晩年の『ルーマニア・ノート(Romanian Notebooks / Cahiers roumains)』(879年〜1881年頃)になると、非西欧の共同体社会には固有の発展道がありうる、という柔軟な歴史観に移行しいくことになる。

この『ルーマニア・ノート』は、ロシアでは資本主義を通らずとも社会主義に進める展望はあり、『資本論』における歴史分析は、西ヨーロッパに限定されるとした、マルクスがロシアのナロードニキ活動家ヴェラ・ザスーリチへ書いた1881年の「ザスーリチ宛書簡」(草稿)の背景資料にもなったとされる。

『ルーマニア・ノート』は、20世紀後半まで学界ではほとんど知られていなかった。

マルクスの単線的な歴史発展図式を、悪い意味で、継承し、それを他国への軍事介入や資金介入によって、実現しようとしたのは、2000年代以降の米国のネオコンの『民主主義革命論』だったように思う。

ちなみに、田畑さんによると、元祖ブレーン哲学者は、プラトンで、その第7書簡にその現実が良く出ているという。いつか、読んでみたい。

日本の哲学者第一号の西周もブレーン哲学者だったという。

哲学者の統治権力者のブレーンという側面は、良くも悪くも、無視できない。

統治権力者を批判する人間として哲学者が現れたのは、18世紀のルソーあたりからだろうか。フランス革命前後がひとつの区切りとなるのかもしれない。


その後、ラブキン名誉教授の講演会「イスラエルの不処罰が世界について物語ること」にリモート参加。

たいへん面白かった。

ラブキン名誉教授は、イスラエルの不処罰の背景には、主に4つあるとしている。

1.イスラエルが資本主義経済にとって必要不可欠な存在になっている。

パレスチナ人を対象に発達させてきた監視システムやサイバーセキュリティ―などが、民衆統治に転用できるため、世界の支配層に需要を生んでいる。しかも、イスラエルと契約を結べば、イスラエルに対して強い対応を取れなくなる。

2.イスラエルのスタートアップ企業がイスラエルへの批判を封じ込めている。

イスラエルのサイバー部隊である、8200部隊の退役軍人たちが、主に米国でハイテク企業を起こして、インターネット上の批判を封じ込める体制を構築している。また、イスラエル派破壊工作のためのネットワークも構築しているという。

3.ヨーロッパにおけるナチスのジェノサイドをイスラエルは武器化してきた。

ただ、この武器化は、現在有効性がなくなってきている。米国の専門家でさえ、ナチスに似てきたと指摘している。ハアレツのギデオン・レヴィ記者は「もはやシオニストでありながら、ファシストではないということはない」と述べている。

4.これは、私も驚いたのだが、イスラエルには、その生存を脅かす国に対して核攻撃を行う抑止戦略、「サムソン・オプション」があり、パレスチナ人の解放を実際に行おうとする国家に対して、このオプションを稼働させるリスクがある。

トルコのエルドアン大統領は、ネタニヤフ首相と犬猿の仲のように見えるほど、イスラエル批判の急先鋒だが、他方で、トルコとイスラエルとの経済的な結びつきは強い。イスラエルに対するエネルギー供給のトランジット国の役割は放棄していない。

トルコの自国経済の問題とともに、このイスラエルの「サムソン・オプション」を考えると腑に落ちる点もある。

イスラエルの核弾頭は、200発あるとラブキン名誉教授は述べている。




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