往還日誌(353)
雪松図屏風
■11月21日、金曜日、晴れ。
午前中、外壁修繕工事のためのベランダの片づけ。プランターや鉢、土など、今後も必要なものは凡そ、北側の物置に移した。
あとは、ゴーヤとクライミング・サン・パラソルで使用したグリーンカーテン用フレームと植物本体の移動が残っている。これらは、12月に行う。
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午後から、日本橋の三井記念美術館で、円山応挙展を観る。
かなり面白かった。
絵からもわかるが、応挙というひとは、生真面目なひとだったらしい。
蕪村の俳画のようなユーモアあふれる絵も描けたが、本領は、リアリズムだろう。
そのリアリズムを支えたのが、対象の徹底した観察と研究、そして学習だった。
この点で、現代の写実画家の代表である、高島野十郎と似ている。
写生はそれを徹底すると、必ず、写生を突き抜けてしまう。応挙も、野十郎もそうだった。
まず、面白かったのは、応挙が子孫や弟子に、遺訓を残しているのだが、その遺訓が、「誠実に生きることに遠慮はいらぬ」と第一条に書いてあるのである。
生き方の誠を大事にしたことが伝わってくる。
ほかに、学ぶこと、教育の重要性にも触れている。
この応挙展は、若冲との合作屏風が目玉だろう。
若冲は、もっとも得意とする鶏で制作し、応挙は、これも得意とする鯉で制作している。それぞれ、鶏には竹が、鯉には梅が配してある。
合作の提案は応挙が行い、応挙の方が先に制作していた。
その梅鯉図屏風を観て、応挙より17歳年上の若冲が、竹鶏図屏風を描いている。
若冲の鶏はいのちが凶暴なほど躍動している。その鶏自身が見ている世界が、鶏になって描かれているように思えた。
応挙の梅鯉図は非常に静かである。
水面に浮かんでくる二匹の鯉が静かに水を返す音が聞こえてくる。
そして、この画は、水面に迫り出した中央の梅の古木の枝ぶりと、そこに咲いた白梅が、絵画のリズムを生んでいることがわかる。応挙は植物に躍動を与えている。
この躍動に、若冲は、鶏たちの尾羽で応えた。
種を越えた躍動感が呼応しあっている屏風なのである。
応挙で、私がたいへん興味を持ったのが、彼が若いころに、玩具商に奉公して、しきりに、眼鏡画を制作したという事実だった。
眼鏡画というのは、18世紀初頭に欧州で生まれ、オランダ、中国を経由して日本に入ってきた一種の立体画のことである。
二次元の絵画を三次元に見せるために、画を鏡に映して反転させ、さらに、それをレンズを通して観ることで、画が立体的に見える、反射式と呼ばれる器具と一体で制作される。
この眼鏡画の制作の経験は、絵画の三次元化を、応挙に強く意識させ、遠近法などの導入につながっていく。
また、興味深いのは、三井家が応挙のパトロンであったことで、応挙は、三井家のために多く絵画を残している。
中でも、北三井4代目の三井高美との感情的な結びつきは、応挙の絵画に強く痕跡を残している。
たとえば、素っ裸で後ろ向きの高美が夕涼みをしている「夕涼み図」に現れた二人の関係性は、よほど、気心が知れているように思える。
たとえば、高美の一周忌に描いた「水仙図」。
水仙一輪だけが描かれている。
三井高美という人は、借財を寺社に寄進してしまうような人で、欲得に関心のない人だったという。
まるで、一輪の水仙のようである。
応挙の画の中でもっとも印象に残ったのは、「白狐図」だった。
この画は、狐の写生やリアリズムを突き抜けて、天上の領域にふれている。
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今回の若宮滞在は、その目的をほぼ達成できた。
あとは、ルカーチの翻訳原稿に全力をあげることになる。