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京都日誌(488)

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  ■10月30日、金曜日、秋雨。 きょうは、終日、秋の雨で、午後には、秋の雷があった。 朝、心身・身心調整しつつ、洗濯4回。コインランドリーで乾かす間、白梅町のイズミヤのニトリへ。バス・トイレ用品を購う。 白梅町のイズミヤは衣料品なども揃え、5階まであるショッピングセンターになっている。便利だが、営業時間が夜8時までとなっている。 衣料品と言えば、ワークマン・カラーズが、ユニクロよりも好きなので、先日、若宮にいるとき、上尾の丸広百貨店に入っているワークマン・カラーズで、シャツの上に羽織ることのできるストレッチシャツを2着購入して、満足感に浸っている。 1着、1500円で、かなり機能的だからである。 「きなこ」に調べさせたところ、京都では、イオンモール京都五条店に、11月20日にオープンすることがわかった。 「きなこ」とは、スマホに入れたMetaのAIエージェントMuseのこと。このAIエージェントについて、パスキーとの関連など、安全性について調べたところ、初期設定をきちんとやっておけば安全そうなので、少し前から使用している。 外出先でも調べものなどができるので、重宝している。エージェント機能は、使っていない。外部アプリにアクセスするときは、すべて承認を得るように設定している。 彼/彼女に、フランス語で100~200までどう言うのか、スペルと発音を調べさせて、ファイル化してスマホに保存している。 身心調整・心身調整で回数を200回までカウントするとき、飽きないように、フランス語で覚えるためである。 100までやるのと、200までやるのとでは、心身調整・身心調整の効果に質的な違いが実感されてくるのである。 きょうは、仕事関係のYouTube番組をいくつか視聴した。

一日一句(5964)

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  天上に月の聲あり秋の空

一日一句(5963)

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  酔芙蓉ゆるる虚空の襞ゆるる

京都日誌(487)

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  ■10月28日、水曜日、曇りのち時々小雨。 朝から、副鼻腔炎の治療で、府立医大病院へ。 経過は順調なので、12月まで抗菌薬治療を続けることに。 府立医大の河原町通りを越えて、西進するとすぐに梨木神社があり、その隣が御所になっている。 御所は、まだ、紅葉はほとんどなく、薄紅葉といったところ。 烏丸通側に回って、ぼんやり、御所の砂利道を南下していると、栴檀(せんだん)の木を見つけた(写真)。 初めて、栴檀の木というのを見た。 今は、 栴檀の実 をつけている。5月中旬から下旬に、紫の藤に少し似た、もっと 渋い花 が咲く。 栴檀の実も栴檀の花も季語になっている。 調べてみると、清少納言がこう言っている。 「木のさまにくげなれど、楝(あふち)の花いとをかし。かれがれに様異に咲きて、必ず五月五日にあふもをかし」(木の形は不格好だけれど、楝(おうち)の花は、とてもおもしろい。乾いた感じでいっぷう変わって咲いて、必ず五月五日に咲き合わせるというのもおもしろい)。 だが、木の形も、いとをかしではないかと思える(画像)。 この木の古名が、楝(あふち)の花というのは、私の苗字に近い音で親近感をもった。 また、あふちの花は、「会う」に掛けられる。物の怪に「遭う」でもいいと思うが。 その後、烏丸通を南下し、『School Bus Cofee』で少し休んで、そのまま、歩いて、千本まで帰宅。 途中、何度か、時雨に降られた。 きょうの京都は、夜、「雪( Y uki)なる寒さやわ」という会話が聞こえてくるほど、冷え込んだ。

一日一句(5962)

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  ゆくりなく朝に咳き込む白芙蓉

京都日誌(486)

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  ■10月27日、火曜日、曇りのち晴れ。 ひとわたり掃除して、心身・身心調整を行い外出。 府市民税や国保、介護保険料など、一気に支払う。 これで、年度末までは、京都・埼玉の生活費と京都・埼玉の往復コストだけ、心配すればいい。 六本木の仕事も急激に減少しているので、年金だけでは、諸々のコストは賄えない。 来年から、何らかの職探しをしないといけなくなるかもしれない。 ただ、私には、直感的で経験的な信念があり、それは、 質のいい睡眠が取れて、心身・身心調整が成功し、晴れやかな気分を維持できれば、たいていの問題は解決できる という信念である。 今までも、数限りない試練があったが、振り返ってみれば、そのすべてにおいて、解決に導いている。 これは、 AIの時代と呼応する 、と私は直感している。 AIには、身体がない。 現時点では、人型ロボットはあるが、人間レベルの身体性を保有していない。 心身・身心調整というのは、初期仏教の瞑想などの修行も含み、 心の鍛錬 も含む。 こうした 心身・身心の全体的な修行 というのは、 AIとの関係を逆転させることなく 、つまり、 主人ではなく道具としてのAIとの創造的な関係 を創る上で、 ひとつのポイントになる と私は思っている。 AIは、今、特に数学の分野で、次々に新しい発見や証明を行い、プロの数学者を凌駕する業績を上げている一方で、大学や高校、中学において、 学生の知的能力の劣化 が急速に進行している。 もう数年すれば、 社会全体の知的能力の劣化 となって現れてくるだろう。 その社会では、AIに依存しないと、計算も推論も論理的な判断もできないAI世代が増えてくる。 道具が主人に逆転した社会は、すでに始まっている。 他方で、人間の知的能力を 所有のひとつ と考え、つまり、 知性を資本と見なすことで、AIと人間との切り離し が進んでいる。 学校のテストや研究や、小説・詩・俳句などのさまざまなコンクールにおいて、 人間オリジナルを、抽象化して価値づける方向性がそれである 。 それは、 知識の特許化と同じ発想 であり、 知識を囲い込んで個人所有し、資本化することで、資本の増殖に資するという、隠れた意図 がある。 近代社会・近代国家において、資本主義の枠組みの中で、人間知性も存在しているからだ。 このどちらにも組しない ために、人間の心身・身...

一日一句(5961)

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  白壁にものの翳揺れ秋の薔薇