京都日誌(418)
曰く、天道虫には、益虫と害虫がいる。日本の民間伝承にも登場し、「天の使い」「福の使者」として吉兆の象徴とされる云々。
その識別に天道虫は、植物が出す化学物質を利用している。
植物はアブラムシに吸汁されると、テルペン類、グリーンリーフボラタイルなどの揮発性物質を放出する。
天道虫は、これを臭覚で感知して、「ここに餌場がある」という、サインとして行動し、その植物へ飛ぶ。さらに、葉の上を歩きながら触角や足で、この化学情報を読み、アブラムシを発見する。
天道虫は昆虫なので、左右に複眼がある。複眼は多数の個眼から構成されているが、個眼数は数百程度で、蜻蛉の数万個には遠く及ばない。
この天道虫の複眼は、動くものは認識できる、明暗はわかる、色もある程度識別できるが、細かな形状の識別は難しく、遠方の対象を鮮明に見ることはできない。
天道虫は、我々の三次元空間とは、異なった環世界を生きている。
天道虫が実際に生きている環世界は、三次元幾何学だけでは記述できない『意味によって組織された空間』になる。
具体的言えば、天道虫の空間は、アブラムシの匂いが強くなる方向や葉の表面の傾き、光の方向、温度勾配、他個体の化学痕跡などで、組織された意味勾配ある空間となる。
我々人間も、純粋な三次元空間を生きているわけではなく、物理空間の上に、感情や記憶、社会関係などの意味の次元を重ねている。
さらには、意味の次元ばかりか、個人の心身の時々の変化も、空間に重なる。
さらにその上に、言語・制度・権力による空間形成があり、空間自体が社会的に生成されるという側面がある。
人間の空間は、哺乳類特有の三半規管に規定されるのは確かだが、それは、抽象的な骨格にすぎない。
このとき、注目されるのは、空間の組織づけにおける、エピソード記憶(思い出)の役割である。
エピソード記憶は、「いつ・どこで」という文脈情報を伴う記憶で、知識の記憶である意味記憶とペアになっている。
たとえば、9×9=81は、意味記憶であるが、「九九の練習は、小学校2年の夏休みに、父に、生活で必須だから真剣に記憶するように言われて覚えた」は、エピソード記憶になる。
このエピソード記憶は、加齢とともに、顕著に低下することがわかっているが、意外なことに、知識の記憶=意味記憶は、加齢による変化をほとんど受けないことがわかっている(増本康平著『老いと記憶』)。
つまり、いつくになっても、語学や数学など、新しいなにかを学ぶことは有効であり、それは知識ネットワークの一端を形成し知恵へと昇華していく。
この人間の記憶のあり方が、時間とともに、どのように、空間形成に影響するのか。この点、思索を重ねたい。
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