往還日誌(381)
■1月25日、日曜日、晴れ、小雪。
このブログは、英語版、ドイツ語版、フランス語版と4種類あるのだが、英独仏語版は、ほとんど更新せず、その存在も半ば忘れかけていた。
先日、「社会操作の一般理論に向けて」の「感情操作論」の英語版を作ったので、ブログの英語版にも掲載してみた。
そのとき、何気なく、閲覧数をみたら、過去記事が、200を超えているものが多数あった。
私の日本語版のこのブログは、訪問者は、多い記事で20人~30人くらいである。少ない記事は、3人に満たない。
それと比べると、英独仏のブログは、読む人が10倍だったというのは、やや意外だった。
開設からの時間が相当経っている、という要因も大きいのだろうけれど。
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朝から、ルソーの『言語起源論』読書会で議論。これは、私の問題意識に引き寄せると、「知識起源論」と読み替えることもできると思った。
ルソーは、カント・ヘーゲル・マルクスなど、西欧思想の伝統である、白人エリート主義・差別主義・植民地主義・人間中心主義の理論の系譜の中では、かなり異質で、まともな人だと、改めて感じた。
ルソーは、ユクスキュルとそれを源泉とする、biosemioticsの議論と並行して、相互参照しながら読むのがいいように思った。
ルソーにあって、ユクスキュルにない視点は、2つある。一つは、人間は「後天的な学習プロセス」で言語(知識)を習得すること。ビーバーや蟻、ミツバチなどの自然的存在には、人間のような学習プロセスはない。
ふたつ目は、ルソーは、言語(知識)をふたつに分けて考えていること。自然的言語(知識)と取り決めによる言語(知識)の2つである。
前者は、何らかの先天的な知識と考えられ、人間にも、人間以外の動物にもある。後者は、制度的な、その意味で、自分の外部の客観的な体系であるが、それを学習することで、後天的に自分の内部に獲得していく。
これらは、ルカーチの社会的存在と自然的存在の区分にも対応し、重要なところである。ユクスキュルは、自然的存在のカテゴリーを大きく見積もっていて、自然的存在と社会的存在というカテゴリーをペアで考えてはいない。したがって、この2つの差異という問題意識も、社会的存在の特異性・重要性という問題意識も希薄である。
面白いのは、知識社会学者のニコ・シュテールが、『自由は知識の娘』のドイツ語版の脚注で、「最初期のドイツ語聖書では、scientia (scienceの語源。ラテン語聖書に頻出する言葉で、知ることができる状態やその構えを意味した。
このとき、知は、教会や解釈者の側にあり、読者の外に存在した)は、常に Wissensheit(知識性、獲得された知識の所有、あるいは知識に関わる能力という意味) と訳されていた。これに対して、マルティン・ルターは、この言葉に Erkenntnis(認識・認識作用) を当てている」と述べている。
ルター以前も、ラテン語聖書のドイツ語訳は存在したが、ルターは、scientiaを、Erkenntnisと翻訳することによって、言葉そのものが、知は、教会独占から聖書の読者個人が理解して分かるという主体的で個人的営みと対応することになった。
(だが、聖書の自由な解釈のこの結果、英国でシオニズムが発祥し、トランプ大統領を支える米国の福音派が生まれるなど、聖書のトンデモ解釈が続々と生まれて、現在まで、その悪影響は続いている)
ただ、この主体的で個人的な知の営みというのは、権威や専門家を介在させない、ルソーのモデルとも響き合っている。
民主的であることは、この例からも、非常に壊れやすいもの、あるいは、異形を生みやすいものだということがわかる。
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きのうは、午前中、妻と娘の好物のわらび餅を名店「亀屋博永」へ買いに行く。
「亀屋博永」は、長く休んでいたのだが、体制を整えて、昨年11月から再開した。
博永さんは、祇園で400年以上続く、京和菓子の名店「亀屋清永」で40年以上、菓子職人として勤務。その後、独立している。
「亀屋博永」のわらび餅は、博永さんのお弟子さんの幸永さんが受け継いで、伏見で「亀屋幸永」として開店している。若い人らしい現代的な意匠のお菓子となっている。
その後は、ひたすら、ニコの仕事に専念。
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きょうは、夕方、若宮へ帰還。
新幹線では、長尾雅人著『「維摩経」を読む』を読んだ。
これは、かなり面白い本で、講義形式、まだ第一講しか読んでいないが、そもそも、大乗仏教というのが、どういうものか、頭が整理される。
また、パーリ語とサンスクリット語の位置づけの違いや、「維摩経」の肝が、空の思想と菩薩道にあることなど、わかりやすく書かれている。
若宮では、領収書の整理と、遅れているニコを加速させる予定。
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『週刊新潮』1月15日号が面白い記事を出している。
この号は、解散表明前に出ているので、解散は会期末の6月と見なしている。その上で、公明党の1選挙区当たりの票は、公明党関係者によれば、「2万票」というのである。公明党の分析では、公明党が連立離脱したことで、20人前後の自民党候補者に影響が出るとしている。要するに、前回の選挙の当選者で、次点との得票差が、2万票以下の議員は、当落線上に置かれる。
これは、逆に、立憲と公明の結党した中道改革連合にも言える。前回の選挙で、2万票以内で落選した立憲の候補者は、今回当選する可能性が高まる、ということになる。小選挙区の候補者調整を経た上でのことになるが。
上記の条件で、アヴリルに計算させたところ、以下の回答だった。
「2024年10月27日の衆院選では、立憲民主党が全国で多数の小選挙区で得票を伸ばし、かなりの議席増を果たした。
一方、小選挙区では複数の選挙区で得票差が数千票〜1万票程度の僅差決着となった選挙区も多数あり、これらの中には立憲民主党候補が次点・惜敗となったケースが複数存在します。
ただし、2万票以内に絞って候補者名を提示できる公開リストは現時点では見つかりません」
高市さんの個人的な人気だけでは、自民党全体の票は伸びないかもしれない。