往還日誌(371)
『ジャコバン』のポッドキャスト番組『The Dig』のために、アメリカの左派ジャーナリスト/ポッドキャスターで、現代資本主義・帝国主義・都市政治・社会運動をマルクス主義的視点から分析する論客、ダニエル・デンバーが、ライターでありオーガナイザーのスーマヤ・アワド、ニューヨーク州テナント・ブロック(New York State Tenant Bloc)のマネージング・ディレクターであるスーマシー・クマール、そして財政政策研究所(Fiscal Policy Institute)のエグゼクティブ・ディレクターであるネイサン・ガスドルフにインタビューを行った。
ニューヨーク州テナント・ブロック(New York State Tenant Bloc)のマネージング・ディレクターというのは、テナント(賃借人)運動を担う非営利・政治組織の中枢を担うプロのオーガナイザー/運営責任者のこと。
ニューヨーク州、とくにNYCでは、人口の約6割が賃借人で、住宅費高騰・家賃値上げ・立ち退きが構造問題化している。テナントは「多数派」だが、政治的には長く分断・非組織化されてきた。
テナント・ブロックは、労働者階級の一部としての賃借人を「個別の被害者」ではなく、集団的な政治主体として組織する試みで、具体的には、家賃規制(Rent Stabilization)、立ち退き防止、公営住宅・社会住宅の拡充、デベロッパー規制といった要求を、選挙・立法・街頭運動を通じて貫徹する。
ブロックと呼ぶのは、単なる利益団体ではなく、投票・動員・正統性をまとめて提供する力を意味する。要するに、「この要求を無視すれば、選挙で落とす」という、可視的な政治コストを与える存在である。
アメリカ左派(DSA=民主社会主義者アメリカ系・社会主義左派)にとって、テナント・ブロックは、労働組合が弱体化した社会での新しい階級組織化の軸、職場ではなく、生活領域(再生産領域)からの政治という位置づけになる。
テナント・ブロックは、かなり面白い運動体だが、テナントは流動的(引っ越す)で、所有関係がないため長期組織化が難しい、州政府・不動産資本・金融との力の非対称性といった問題がある。
テナント・ブロックは「完成形」ではなく、不断の組織化過程だと捉えられている。
このポッドキャストの議論のテーマは、グローバル資本の本拠地であるニューヨーク市を、マムダニ政権が統治することの意味である。
内容は、かなり興味深く、インタビューは長いので、何回かに分けて掲載したい。
日本の左翼に参考になることが多いはずである。
ダニエル・デンバー「まず、組織化された社会主義者とゾーラン政権との関係を、どのように概念化すべきかから話を始めたいと思います。
ここで私たちがやろうとしているのは、正統性が全面的に危機に陥る中で台頭する権威主義的ファシズムに直面しながら、既成民主党勢力に対抗しつつ――しかし時には不可避的に彼らと協働しながら――覇権的な社会主義プロジェクト(※)を前進させることだ、という点を改めて確認しておく価値があると思います。
いま本当に多くのことが同時に起きています。だからといって批判が許されないわけではありません。むしろ批判は必要です。ただし、それはこのより大きなプロジェクトに奉仕する形で提示されるべきです。スーマヤ、マムダニ政権とニューヨーク市民主社会主義者(NYC-DSA)との関係を考えるうえで、どのようなモデル、あるいは概念枠組みが適切だと思いますか」
スーマヤ・アワド(ライターでオーガナイザー)「左派では、これは昔からそうなのですが、私たちはしばしば『見たい現実』と『実際の現実』とを混同してしまいます。いま起きているのも、まさにその一例だと思います。ゾーランは市長当選者であり、まもなく市長になります。
そして彼は社会主義者です。彼は私たちの運動の出身であり、ニューヨーク市DSAの一員です。彼は、さまざまな組織に属する十万人以上のボランティア、そして多くの未組織の人々によって選出されました。
しかし、それは彼が何でも自由にできる力を持っているということを意味しません。実際には、彼が足を踏み入れる政治空間そのもの、そして既成勢力の多くが彼に積極的に敵対し、彼を他都市や左派全体への『見せしめ』にしようとしているという事実のために、彼の権力はかなり制限されています。
だからこそ、私たちは単に『どうやって彼をアカウンタブルにするか』という枠組みとは異なる視点で、この状況に臨む必要があるのだと思います。
むしろ、彼に投票した100万人以上の人々、そしていま彼が代表し、闘うと約束している800万人の市民のことを考えなければなりません。
彼を当選させるのを助けた私たち自身が、その人々――彼に投票した100万人以上の有権者に対して――責任を負っているのです。なぜなら彼は、『家賃凍結を実現する』『バスを速く、無料にする』『すべての人に保育を提供する』と訴える綱領で立候補し、私たちはそのプラットフォームを掲げて戸別訪問をしてきたからです。そして、それを実現する責任が私たちにはあります。
このように捉えるなら、実際には、私たちがドアを叩いた人々に対する責任であり、すべてのニューヨーカーに対する責任として、この『生活費対策アジェンダ』を実現しなければならないということになります。そして、ゾーランが掲げた『一貫性の政治』を示す必要があります。つまり、これを共同統治と呼ぼうが、協働統治と呼ぼうが、実際に達成できることを証明することです。
正直なところ、用語自体はそれほど重要ではありません。重要なのは、これからの時期、特に政権発足初期において、有権者に約束したこと、ニューヨーカーに約束したことを、いかにして実現し、『私たちはやれる』ということを示せるかどうかです。私はそれが可能だと思っています。ただし、それには本当に圧力をかけていく力が必要です。
私たちはしばしば、ゾーラン本人に圧力をかけることばかり考えがちですが、実際に重要なのは、既成勢力――キャシー・ホークルやその他のエスタブリッシュメントに対して圧力をかけ、ゾーランと新政権が、私たち全員で約束したことを実行できる条件を整えさせることなのです」
(※)ダニエル・デンバーが述べている「覇権的な社会主義プロジェクト」(a hegemonic socialist project )というのは、社会主義を「一部の急進的少数派の主張」ではなく、社会全体の〈常識〉や〈当たり前〉として確立し、国家・経済・文化・日常生活の運営原理として定着させていく長期的政治戦略のこと。
スーマシー・クマール(NY州テナント・ブロックマネージング・ディレクター)「私も強く同意します。この局面は、私たちの運動において、選挙で選ばれた公職者とどう関わるのかについて、新しい方向づけを必要としています。
私たちは一般に、二つの陣営のどちらかに陥りがちです。一つは、いわば恒常的反対派です。誰かが公職に就いた途端、その人物の足元に火をつけ、『説明責任だ』『アカウンタビリティだ』と迫る。彼らはターゲットであり、敵だ、という構えです。
もう一方では、「共同統治(コ・ガヴァナンス)」という言葉が使われますが、これはしばしば、非営利団体の事務局長たちが選挙で選ばれた政治家と同じ部屋に集まって話している、という感じになりがちです。その関係の基盤は、実際には権力ではなく、個人的なつながりであることが多い。
しかし、成功する政権をつくるためには、それでは不十分です。マムダニ市長は800万人の人々を代表しなければなりません。運動の中の少数のリーダーとの個人的な関係だけでは、まったく足りないのです。私たちはそこを乗り越えなければなりません。
だから私は、これを考える際に、もっと「大衆的ガバナンス(mass governance)」という枠組みを使うべきだと思います。つまり、この政権の成功もつまずきも、何十万人もの人々が共有する、ということです。10万人がドアを叩き、『これは自分たちの勝利だ』と感じながらこの選挙を勝ち取ったのと同じように。
それは、これからの4年、そして8年にわたって継続される必要があります。何千人もの人々が、市長と並んでアジェンダを実現しているのだと感じること――バスを速く、無料にし、家賃を凍結し、普遍的な保育を実現しているのだと感じること。それこそが、右派からの攻撃、連邦政府からの圧力、中道民主党からの抵抗に耐え抜く力になります。何千人もの人が『自分はその一部だ』と感じていれば、私たちは耐えられるのです。
これは、ニューヨーク市DSAの中で『公職にある社会主義者委員会(Socialists in Office, SIO)』を通じて、私たちがすでにやってきたことでもあります。
私たちは、立法府においても、議員がニューヨーク市DSAのメンバーと協力して共通の目標を達成するプロジェクトを始めています。しかしそれは、DSAのリーダーだけが公職者と一緒に意思決定をする、という話ではありません。共有されたアジェンダを実現するために、誰もが役割を持ち、参加する、ということです。
新しく参加したメンバーが近所を回って、『ねえ、あなたの選挙区の議員に電話して。富裕層に課税しろって伝えて』と呼びかけることもあれば、州上院議員が同僚議員に『この法案に乗るべきだ』と説得することもある。全員が同じプロジェクトの一部なのです。いま必要なのは、この立法府でのプロジェクトを、行政府にも適用できるものへと拡張し、830万人の人々のために機能する形にすることです。
そのために私たちがやるべきことは、大衆的キャンペーンを引き続き展開していくことです。同時に、市長職や市政という新しい立場だからこそ活用できる機会も数多くあります。それらを生かして、人々が『これから起こる成功の一部なのだ』と実感できるようにする――それが重要なのです」
ネイサン・ガスドルフ(財政政策研究所のエグゼクティブ・ディレクター)「ごく基本的な考え方として、社会主義政党は、統治機能そのものを担える存在でなければならない、という点があります。つまり、そのための能力を備えていなければなりません。今回、マムダニ政権が市政府を引き継ぎ、日常的な意思決定を行い、コミッショナーを任命し、政策アジェンダを遂行していくことになる――このことは、立法府の政策アジェンダとはまったく異なる、『行政府の統治』および『行政府の政策アジェンダ』という問題を鋭く突きつけています。
立法府の選挙であれば、特定の争点を選び、法案を起草することができますし、その法案がうまく機能するかどうかは分からなくても、しばしば審議の過程で修正されていきます。しかし、市政府を運営する場合には、はるかに広範で包括的な政策アジェンダが必要になるだけでなく、同時に膨大な運営上の責任も負うことになります。
ですから、共同統治や『内と外(inside–outside)』という概念を考える以前に、理論的には、政治組織が一定の能力と専門性を持ち、行政の内部に踏み込み、自らの目標を行政が実際に遂行可能な形へとどう翻訳するのかを考えられることが重要だと思います。それは、ビジョン的で大局的なレベルの話だけでなく、普段は政治的にあまり意識されないような、きわめて日常的・細部的なレベルの政治をも含みます。
マムダニ市長は800万人の人々を代表しなければなりません。運動内部の少数のリーダーとの個人的なつながりだけでは、まったく足りないのです。
ニューヨーク市には、200を超える委員会や審議会、理事会が存在します。私はこの分野で専門的に働いてきましたが、それでもそのうち3つを挙げられるかどうか、というレベルです。都市統治というのはそれほどまでに複雑ですし、これらの多くの論点は、抽象的に見れば、グローバルな左派にとってそれほど関心を引かない、ごく小さな問題に見えるかもしれません。しかし、民主社会主義者がニューヨーク市のトップに立った瞬間、それらの問題の政治的重要性は一気に高まります。
そうなると、政治的な能力や資源、人材を、こうした諸問題の管理にどのように投入するのかを考えること自体が、はるかに重要に見えてきます。それらは、全体としての統治の成果を形づくる中核的要素になっていくのです。
したがって、私が考えるアカウンタビリティとは、常に権力の外部から声を張り上げて批判する、というだけのものではありません。むしろ、国家装置――ここでは都市行政という国家装置――を運営・管理することに伴う、きわめて精緻で細部にわたる政治のあり方を、本気で考えることなのです」