往還日誌(377)

 







■1月12日、月曜日、快晴。

京都へ戻ると、年賀状が数枚届いていた。

2019年以来、年賀状は個人的にやめたので、こちらからは出していないが、年上の方々から戴くと、返礼をしないわけにはいかない。

コンビニも、9日で年賀状の取り扱いは停止してしまう。

致し方がないので、葉書で寒中御見舞いを出した。


明日、奈良で、韓国の李在明大統領との首脳会談を開催する予定の高市総理が、解散を表明すると言われている。

高市総理自身の政治資金問題や、高市総理・長島昭久議員の統一教会問題、さらに維新議員の国保逃れ問題などが、予算委員会において、高市政権への怒りとして、社会的テーマとなる直前のタイミングで、支持率の高いうちに、無理やり解散する意向のようである。

高市総理の支持率の上げ方は、国際政治においても経済政策においても、有権者のナショナリズムを刺激する(この結果、国内においては、排他的風潮を生み出す)という特徴があり、これは、安倍政権の方法をそのまま継承している。


NHKのオンデマンドで、「偉人の年収 How much?」という面白いシリーズがある。南方熊楠牧野富太郎を続けて観て、ある種の感銘を受けた。

金金金を第一に考える人間が、ほとんどの中で、2人は、まず、自分の好きなものに情熱を傾ける。金がないことを気にしない。実家の財力や理解ある奥さんなど、めぐまれた環境に2人はあったとも言えるが、そういうひとは、他にもゐただろう。

この純粋な情熱に感銘を受ける。


ゾーラン・マブダニNY新市長をめぐるインタビューの第5回

ダニエル・デンバー(左派ジャーナリスト/ポッドキャスター)「とても重要な点ですが、ネイサン、あなたも何度も触れているように、ゾーラン、そしてマムダニ政権がきちんとやらなければならないのは、基本的なテクノクラティックな意味で『行政をちゃんと回す』ことです。

大きな変革的提案も、もしゴミ収集がきちんと行われていなければ機能しません。都市の清掃のような基礎的な行政サービスは、悪化しないどころか、むしろ多少は改善される必要があります。

では、それはどうやって実現するのでしょうか。ニューヨーク市には約30万人の公務員がおり、そのうちの一部は市長の裁量で任命される政治任用職です。これをどう考えればいいのか。2026年のニューヨークにおける『社会主義的な公共行政』とは、どのようなものなのでしょうか。

ネイサン・ガスドルフ(財政政策研究所のエグゼクティブ・ディレクター)これは本当に良い質問です。時宜にかなっているだけでなく、市を運営することがどれほど困難かは、いくら強調しても足りないからです。確かに、市の職員は30万人います。行政機関はおよそ50あります。

しかしそれらは、警察や清掃局のような非常に大規模で現場運営型の機関から、人々がほとんど名前も聞いたことのないような小さな機関まで、幅広い。さらに、何百もの委員会や審議会も存在します。

これを管理することは、人事を埋めるというレベルだけでも大仕事ですし、それらを実際に機能させるとなると、また別次元の困難があります。マムダニ市長にとっての問題の一つ――そしてそれは就任したすべての市長に共通する問題ですが――は、大型政策を打ち出す以前に、すでに組み込まれている予算上の課題が存在することです。

その一部は、毎年繰り返される予算編成をめぐる攻防、つまり市議会議員それぞれの優先事項や支出増への圧力、支援すべき支持層への配慮の仕方に関係しています。たとえば、教師に良い労働契約を保障することなどです。賃金上昇は当然コストがかかりますし、同時に他にも実現したい政策があるでしょう。

また、最初の予算案では、彼自身のアジェンダとは直接関係のない政策課題も浮上します。たとえば、エリック・アダムズ政権下で抑え込まれてきた学級規模縮小義務の段階的導入や、ホームレス向け住宅バウチャー(低所得者が民間の賃貸住宅を借りる際に、家賃の一部を公的資金で補助する制度)の財源確保などです。

つまり、彼の政策とは無関係な、既存の大きな問題をめぐる深刻な対立が避けられません。それらを、自身の価値観に忠実でありつつ、都市の現実的な制約の中でどう管理するかが問われます。

マムダニは、公共サービス拡充の財源として富裕層課税を掲げた唯一の候補でした。他の進歩派は皆、それを恐れて避けましたが、彼はそれを掲げ、そして勝利しました。ただし、彼の税制案も、こうした既存の予算問題とはある意味で別物です。保育、住宅、その他さまざまな分野のために増税を行い、既存の財政問題を一気に解消する、という展開は現実的ではないでしょう。

こうした統治と財政の問題をどう乗り切るか――それこそが、どの市長政権でも時間とエネルギーのほぼすべてを消費する仕事です。では、それを『社会主義的である』、あるいは少なくとも社会主義と整合的な形でどう行うのか、という問いが出てきます。ニューヨークのような都市を運営するには、巨大な予算が不可欠です。100万人の子どもを公立学校で教育し、公共交通を維持し、充実した社会福祉制度を運営するには、それだけの規模が必要なのです。

同時に、その資金をどう賢く使うかにも非常に敏感でなければなりません。場合によっては、長期的な効率化のために、追加の能力や人員への投資が必要だと認めることも重要です。

こうした話は、またしても『普通のテクノクラート的な言葉』に聞こえるかもしれません。ただし、テクノクラート的でありながら、実際には緊縮政策や公共部門の抑制を目指す場合もあります。それとは別に、本当に公共部門を信じ、公共サービスの提供を重視しつつ、予算制約と現実の運営上の困難を正面から認識する、というあり方もあります」

ここで、ネイサン・ガスドルフが言及している問題こそが、資本主義の真っただ中で行われた革命後の社会をどうするのか、という問題に他ならない。それは、統治と財政の問題であり、同時に、前政権の創った枠組みから生じる予算の問題等の諸問題を、社会主義的な価値と方法をベースにして解決に導くという、もっとも困難な問題だろう。


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