往還日誌(334)

 








■9月27日、土曜日。晴れ。


午後、メガネシティへメガネの調整に。

1944年生まれのKさんに靖国への参拝はするかどうか聞いてみたところ、まったくしないという。あの戦争を肯定するところだからだと。

それはそうだろうね。

うちの妻も、「あそこはゴリゴリの右翼だからね」と言ってゐる。

それもそうだろうね。

私も、長く行く気がしなかったところの一つである。

今の時点で、靖国をどう考えているか、今朝、考えをまとめてみた。

私は、靖国の機能とは、「英霊」を祀ることではなく、――それは手段であって、その本当の目的は、皇室を保護することにあると考えてゐる。

なぜ、そう考えるのかは、靖国が「神社」という社会的空間の形式を備えている点にある。靖国は、本殿、拝殿を備え、鳥居は一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居に、靖国通り側からの鳥居と4つ備えている。そして、二の鳥居の右手に能楽堂を備えている。

京都の北野天満宮は、菅原道真公が「怨霊」として都を祟ったとされたことで、その霊を鎮めるために、天満宮を創建して神として祀った。

靖国が、ことさら、戊辰戦争の戦死者が「村の守護神」として埋葬された点を強調して、「国家の守護神」、「護国の英霊」を神に祀るのは、古今の日本人の信仰によると主張しているけれども、幕府方の戦死者も祀っている(※ここは、事実誤認があり、合祀には排除と選別があったというのが事実)。

これは、敵味方なく、英霊とする日本人の美徳、と言われることが多い。そういう面はあるかもしれない。しかし、菅原道真公に見られるように、その本質は、「怨霊」になって、「皇室」を祟ってもらっては困るのである。

「怨霊」を「神」へ変換する社会的空間が神社である。神社には、熊野神社のように、あるいは、太古の出雲連合王国の土地に今も散在する巨岩信仰の大和朝廷より古い神社のように、そうとは言えないケースもあるが、この「怨霊」を「神」に変換する機能の系譜には、将門関連の諸神社や北野天満宮など、確実に存在する(あるいは起源はわからないが、被征服先住民族の怨念を鎮めるための神社は、他にも存在するはずである)。

靖国が、日本人の信仰の古さを持ち出すのは、あながち見当違いではなく、むしろ、この伝統を指していると見た方がいいように思う。そのことを明確化すれば、天皇の戦争責任を認めることになるので、国家の守護神だとか、護国の英霊だとか、そうして神に祀る信仰が古今の信仰だと言っているのであろう。

だから、靖国が、その事例として持ち出しているのは、せいぜい古くて、安政の大獄までとなる。

先の大戦で亡くなった英霊の数は、近代初期の内戦で亡くなった死者の数とは規模が違う。靖国だけで、246万6000余柱も存在する。

『英霊の言乃葉』を読めばわかるが、自分の運命に対する複雑な思いや、若い身空で残していく幼子への言葉が随所に見られる。これらは、「無念」となっているはずである。

祖国のため、国家を守るため、天皇陛下万歳というだけで、10代、20代、30代の若い子たちが、死に切れるはずはないのである。

こうした「英霊」たちの無念の思いは、当然、皇室はわかっており、これらが、巨大な怨霊となることをもっとも恐れたはずである。

だからこそ、社会体制全体を使って、強烈な洗脳を施したうえで、「予め」、靖国という神社を用意していたのである。

大宮の氷川神社もそうだが、大きな神社には、「能楽堂」がある。能はよく知られているように、「怨霊」を成仏させる演劇装置である。

靖国の塀は、そのデザインも菊の紋章も、色も、京都御所に瓜二つである。靖国は、皇室の一部、ということを内外に示している。

自分の人生への無念の思いや、皇室への恨みを持つ「怨霊」達を、「神」に変換することで、「皇室」が「難を免れる」。

これが靖国の本質だろう。

靖国は、「日本人」の信仰と言っているが、これは、むしろ、統治に伴う犠牲者の怨念に対する皇室の恐怖が、社会化された、という面が大きい。「皇室の恐怖」に過ぎないものを「日本人」の信仰へと変換しているのである。

怨霊が「実在する」かどうかは、二次的なことである。それよりも、心に負い目を持ち、疚しさを感じているがゆえに、身内の不幸や国の不幸を、それと結びつける「そのような解釈コード」が生成されるのである。

道真公の場合も、そういうことだった。

つまり、靖国と皇室の関係は、近現代日本の存立構造を読み解く鍵の一つである。

千鳥ヶ淵の戦没者墓苑というのは、この「宗教性」がない。だから、皇室系――自民党、日本会議などの保守層――は反対なのである。

それでは、「怨霊」は「神」に変換されず、祟りは消えないからである。

逆に言えば、靖国を閉鎖すれば、皇室は「自壊する」だろう。

文字通り、「自壊」である。

靖国は、「古代の近代的な反復」と見ていいように私は思っている。

ここまでは、実際に行ってみての、いわば「帰納的な推論」であり、問題は、時空間理論である、TB-LB Theoryによって、これだけではない、新しい地平が開かれるかどうかが問題であり、それができないと、理論の意味はない。

もちろん、現実からのフィードバックを受け入れることは前提になる。

引き続き思索を重ねてみたい。

事実誤認がありました。靖国は幕府方の戦死者も祀っているは、間違いで、靖国の創建当初には、「死者の排除と選別」があったというのが定説です。具体的な中身については現在精査中。

第二次大戦の死者は、この「排除と選別」がないように見えますが、社会システムの<境界>という概念を導入すると、靖国の創建当初は、新政府軍の死者までが、社会システムの<境界>であり、第二次大戦は、その境界が、皇軍(朝鮮人・台湾人の軍人含む)まで拡大された結果、そう見えるだけで、社会システムの<外部>の死者は祀られていないと言えるのでしょう。

ただ、私が、当初考えた靖国は、「英霊」を祀るのは、手段であって、皇室がそれによって、難を免れることが目的だという論点は、変わりません。

では、社会システムの<外部>は、怨霊にならないのか? たぶん、ならないのでしょう。なぜなら、怨霊になるには、その存在が「人間」であったことが必要だからです。



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