往還日誌(328)

 






■9月13日、土曜日、曇り。

きょうは、比較的涼しかった。

詩誌『東国』170号が送られてきた。これで終刊号という。56年続いた雑誌だった。ご苦労様でした。

季報『唯物論研究』172号が送られてきた。「再読されるヘーゲル」という特集で、たいへん興味深い。

この2冊、明日の新幹線で読みたい。




夕方、数ヶ月ぶりに、ロミーとZoom Meetingを行う。

互いの詩に加えて、パウル・ツェランの詩も選んで、検討した。

私の詩は、私の「金閣寺経験」を詩にしたもので、スイス人にはわからないかもしれないと危惧していたが、よくわかったと言う。

左脳に働きかけるロジカルな部分と、右脳に働きかける直感的な部分のタペストリーになっていると言うので、驚いた。

以下は、ロミーが書いた詩に、私が日本語訳をつけたものである。

なかなかいい詩である。




im niemandsland

klopft

 

das herz

aller dinge

 

schau das rosenlicht

auf blauem schnee

 

zauber

der schwingung

 

wunder der sonne

zieren

 

die wolfsnächte

 

von geheimnisvoller

zahl zwölf

 

だれもゐない土地で


森羅万象の心臓が

脈打っている

 

見よ 薔薇の光

青い雪に射すのを

 

鼓動の

魔術

 

太陽の奇跡が

狼の夜を彩る

 

神秘の数

12


※ドイツ語圏や北欧の民間伝承では、冬至から公現祭(16日)までの12夜を、「狼の夜(Wolfsnächte)」と言うようである。

この期間は、霊や獣がさまよう「境界の時間」であり、狼の遠吠えが冬の闇を象徴し、魔術や予兆に満ちた時間とされた。

この詩は、この民間伝承をベースにしている。

たいへん興味深い民間伝承だと思う。欧州の合理性の裏側にある、民衆の霊的な感受性が垣間見える。

私のささやかな発見は、12という数字の中に狼が複数隠れている、ということだった。

Zwölfは、Wölfeを含んでいる。



もうひとつの詩は、こういう詩である。


es ist


ein feuerkuss

auf meine stirn

 

bin ich nackt

genug

 

mit

leeren händen

 

unheilbar

der kuss doch

 

blind

 

erblicke ich

nun die welt

 

それは


額への

火の口づけ

十分に

裸だろうか

 

両手には

何も持たずに

 

だがその口づけには

救いがない

 

盲て

 

今、私は

世界を

見出す


※これは凄い詩で、衝撃的である。私は、ガザで空爆に遭い負傷した子供達を思った。




パウル・ツェランの詩も、ロミーが選択した作品は、読んだことのないものだった。

簡潔で引き締まった文体で書かれていて、宗教的色彩が強くあり、最後に置かれた2行は、とても怖い。

ホロコーストを経験した「私」があなたの中に立っている。

その「私」がいつの間にか、イエスに変わっている、そんな幻想を見た。

Es stand

 

Der Feigensplitter auf deiner Lippe,

 

es stand

Jersalem um uns,

 

es stand

der Hellkiefernduft

ueber Daeneschiff, dem wir dankten,

 

ich stand

in dir.

 

立っていた

いちじくの木片が

あなたの唇に

 

立っていた

エルサレムが

私たちを囲んで

 

立っていた

松の芳香が

デンマークの船の上に

その船に私達は感謝した

 

私は立っていた

あなたの内に


※今、ユダヤ人のツェランが生きていたら、イスラエルをどう見たろうか?





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