往還日誌(360)

 


北野天満宮東門の冬木(欅)







■12月8日、月曜日、晴れ。

深夜2時近くまで、『IDEE』180号のためのルカーチの翻訳原稿作成。

今朝、訳注の解説に不備があったので、さらに加筆・修正して送る。

これは第23回目になるが、これまでで一番難航した。

しかし、それなりの収穫はあった。

ルカーチが引用したアリストテレスの『形而上学』の難解な概念の解説を、ただ行っただけでなく、アリストテレスの最重要概念の1つ、「デュミナス」=可能態の持つ、言語依存的な性格、つまり、二値的な性格を根本的に批判したうえで、これを、確率分布と確率密度によって、現代的に再解釈することで、デュミナス概念の再生可能性を示唆した。

これによって、ルカーチが、高く評価したアリストテレスの「デュナミス概念」における「様相問題のパラドクス」は、解消する。

このアリストテレスの批判と再解釈は、3つ目の仕事、存在論的科学基礎論のベースの一つになるかもしれない。



土曜日は、京都から、CoELPへ直行。

東大の中澤栄輔教授(医療倫理)の講演を聴く。

倫理的な問題は、日常生活の具体的な場面で、いつも判断を迫られる身近な問題であるのに、これまでほとんど、何も考えてこなかった。

今回の講演では、個人が倫理的判断をすべて背負う必要はなく、社会の関与がどう行われるべきかという、民主主義に関わる問題が、倫理にはあることが、重要な論点のひとつだと思った。

この講演において、津久井やまゆり園の植松被告の「意思疎通ができない存在は安楽死させて良い」という主張について、T-N-S Theoryを用いて、反論を試みた。

中澤教授は、「なるほど」と聞いていた。

それは凡そ、次のような議論である。

それは、重度障害者で他者と意思疎通ができなくても、世界とは意志疎通できているという議論で、――つまり、光を感じたり、風を感じたり、温度や音を感じることができる――それは、世界から「主体的に」音や匂いや温度や風を、選択している、ということなのである(なぜなら、世界は森羅万象であるから)。

言い換えれば、重度障害者は、岩やコンクリートとは違って、「主体性をもった存在」だと断言できる。主体性をもった存在には、「固有の世界」がある。そういう固有の世界を持つ存在の命を奪うことはゆるされない、というロジックである。

T-N-S Theoryが、倫理学においても、有効に機能しそうだという感触を得た。

しかし、帰宅してから、以下の反論がありえることに思い至った。

光と温度を「主体的」に選択する、「固有の世界」を持った生命体である植物も、その命を奪うことができないのか? 林業はどうする?

産業、特に第一次産業を、主体と固有の世界をもった存在、N1の命の問題から見ると、命の購いとしての「宗教性」という問題につながってくる。アイヌの熊を送る儀式、 イオマンテや宮沢賢治が一連の童話で提起している問題系となる。

重度障害者は、他者と意思疎通はできなくとも、世界との交通はあるので、尊重すべき存在だと言ったとき、問われているのは、社会的時間存在SとSの物質代謝の対象となる自然的時間存在、N1との関係性だということになる。

表面的には、重度障害者Sは、主体と固有の世界を持った動植物のN1と同列になるが、本質的に、Sのまま留まる。それは、物質代謝の関係性総体の中でしか、重度障害者も存在できないからだ。

したがって、SとN1との関係性をどう考えるか、ということが、植松の主張への応答の核になるように思える。

このときのSとN1の「関係性」は多様であるだけでなく、「同時に」SとSとの関係を生む(再帰的な物質代謝)。つまり、重度障害者は、この二重の多様な関係性の中にある。

植松の行為は、重度障害者の、植松には見えていなかった――彼は介護というひとつの関係性の中で重度障害者に接し、そのように重度障害者を作り、そのように植松自身を作ったが――彼には不可視だった関係性を破壊するという暴力を行ったと言える。

彼に不可視だった関係性とは、重度障害者と世界との交通であり、個別の、たとえば家族との、あるいは、かつての愛情の関係性である。それは、重度障害者の生きる意思の破壊になる。

植松が代弁する社会のロジックとは、「資本の論理」に他ならない。

「暴力の論理」は、そもそも、SとN1との関係性に、人類史の初めから、「内在」するものである。これが、「資本の論理」に翻訳されていく中で、いっそう、大規模に、かつ巧妙になった。

そして、それはSとSとの関係性にも反照し、この関係性の中の暴力を加速している。

法的規制や教育などによる暴力の統制は、当然、必要だが、本質的には、SとN1との関係性を、どう見直すか、という問題に帰着するように思う。

この関係性から、暴力を排除することは原理的にできないことを踏まえた上で。

ルカーチが終わったので、あとは、1月5日と18日という2つの締め切りがある、一般社会操作論(GTSM)と、ニコの、遅れに遅れている仕事に全力をあげていくことになる。

それにしても、妙義山が今朝から燃えているという報道には驚いた。私は、今まで妙義が燃えたという話は、聞いたことがない。


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