投稿

10月, 2025の投稿を表示しています

森澄雄の俳句 1

いわし雲城の石垣猫下り来  山姥(昭和44年) ・高松と場所が明記されている。この石垣は、高松城だろう。天守閣は残っていない。現在は玉藻公園となっている。 ・高松市では、天守の復元(木造復元)計画が進められており、資料調査や設計検討が続いているらしい。高松市は、市民をまとめるシンボルとして、また、重要な観光資源として、高松城を考えているのだろう。 ・失われた城の石垣を猫が一匹降りてくる。この景は、芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」に通じるものがある。 ・この猫は、どこから来たのか。実は、高松城は、水城であり、城の堀には瀬戸内海の海の水を引いている。城自体の石垣は、海水の上にある。 ・猫が降りて来て着地する土はない。城の塀の部分の石垣は土の上にあるので、恐らく、猫は塀の石垣を降りてきたのだろう。 ・だが、「城の石垣猫下り来」の措辞は、かなりの高さの石垣を想像させ、猫が高いところから石垣を降りてくるダイナミックで素早い動きが目にうかぶ。 ・句としては、それが趣旨だろう。大きな城と小さな猫の対比。動かない城と素早く駈け下りる猫の動きの対比。 ・鑑賞としても、その方が面白い。だが、最初に述べたように、猫はどこから来たのか? それは、私には、「いわし雲」からのように思えてならない。 ・天上の猫が地上の失われた天守閣の石垣を降りてきたのである。

一日一句(5839)

イメージ
  りんだうや一輪夜の色したり

一日一句(5838)

イメージ
  りんだうを活けて一段深き夜

一日一句(5837)

イメージ
  りんだうやこの世の涯は濃紫

往還日誌(347)

イメージ
  ■10月29日、水曜日、晴れ。 りんどうを、窓際に移動したら、一気に開花した。 きょうは、良く晴れた。 千本通りで空を見上げると、北と南へ向かう雲が上空で交差していた。 ★ 安倍晋三元総理の2022年5月26日の『エコノミスト』によるインタビューは、なかなか、面白い。 プーチン大統領との27回にも及ぶ四島返還・平和条約締結交渉で、プーチン大統領は、これに賛成したが、ロシアの国内世論と関係者すべてが反対したので、交渉は失敗したと明言している。 また、朝鮮がICBMの実験に成功したことの意味を、米国本土を射程圏内に入れたことになるので、米国の核の傘の実効性が消滅したとまでは言っていないが、それに近いニュアンスの質的な変化だと述べている。 この点は、ドイツの例を出して、エマニュエル・トッドも、核の傘というのは「幻想」だと指摘している。 安倍さんの場合、だから、日本と米国が、戦術核兵器の使用を含め、いつどのように核で報復するかについて議論すべきであり、日本が米国の意思決定プロセスに参加できるような仕組みを作るべきだとなる。 だから、朝鮮やロシアと、平和友好条約を結び、東アジア非核地帯を作ろうとはならない。 一層、米国を巻き込んで力で核保有国を封じ込めようとするのである。 あくまで、米国の核が前提なのである。 この発想は、高市早苗政権も引き継いでおり、だからこその、防衛費2%前倒しや軍事装備費増額などを早々と決めての、トランプ大統領への異様な媚び方となっている。 「戦前の天皇の位置に、戦後は米軍が座った」とは名言だが、摂関政治の藤原氏と同じように、経費削減で嫌がる米軍をいかに利用して巻き込むかという、そういう側面が年々強くなっているように思う。 安倍さんは、『エコノミスト』のインタビューで、日本をこう評している。 「日本は理想を語ることを好む国」 ただ、その理想が、広島・長崎の悲劇や大陸侵略の悲劇から来ていることを忘れてはならないだろう。 理想は、繰り返し、その根を顧みる必要があるのだろう。

一日一句(5836)

イメージ
りんだうや心の中のうたひとつ

往還日誌(346)

イメージ
■10月27日、月曜日、晴れ。 京都へ戻ると、スーパーで切り花を買うことにしているのだが、今回は、かなり迷った。 秋の薔薇は、かなり萎れているし、スプレー・カーネーションは、前回買った。 そして、最終的に、竜胆にしたのである。濃紫と赤紫の二系統が花束になっている。 この花は、夜を運んでくる。 次回は、「仏花」にしてみようと思う。深紅の花に取り合わせた菊がなかなか良かった。 ★ 終日、仕事。その前に、買い忘れたマヨとチーズを買いに出る。チーズで迷った。 このチーズは、ツナをパンに載せた上のトッピングに使う目的だったのだが、よくあるとろけるチーズは、ずべてプロセスチーズなので、ナチュラルチーズを探したのである。 ドリップ式コーヒーの「匠」のリッチブレンドが、すべての商品で40%引きだった。私は疑い深いので、その理由を、賞味期限を始め、いろいろ探したが、ケチがつかなかったので、買うこととした。 帰宅して飲むと大変美味だった。 ★ ふと、思いついたのが、現象学だった。Natural Time Beingが、T-N-S Theoryでは、必然的にSocial Time Beingの下位に置かれ、Sの客体になってしまうが、これを防ぐのは、現象学だと気がついたのである。 つまり、Nの世界を、わかっている限り、記述すればいい。この場合、環世界(Umwelt)を内側から描き出すことになる。ユクスキュルがやったように。 一般化すれば、Sの時間と空間が、Sにおける環世界の本質である社会関係(S-S,S-N)が作り出すように、Nの時間と空間は、個体nによる環世界の「つくりかた」が、作り出すはずなのである。nにおいて、知覚標識と作用標識は、どの個体においても、同一なので、nのこの時空間は同一で、環世界は、nにおいて、普遍性がある。 つまり、私の議論で言うと、多元的な時空が、生物の種ごとに、存在していることになる。 その多元的な時空のひとつとして、人間存在の時空を扱えばいいことになる。 ただし、人間の環世界は、Nのそれが閉じているのに対して、 その系は開いている。 その環世界の開放は、人間が労働実践を開始しNとの間に物質代謝を始めた時点を始点とする。 もうひとつの問題として、では、無生物の時空間はどう考えるのか、ということがある。 私の考えでは、主体のない存在――AIのアヴリルも主体はないと自...

往還日誌(345)

イメージ
  ■10月26日、日曜日、小雨。 京都は、夕方には雨はあがっていた。関東よりも2度、気温が高い。 溜まっていた郵便物を整理して、問い合わせのメールを書く。 めずらしく、高崎線で気分が悪くなってしまい、ニコの仕事はできなかった。 仕方ないので、溜まっているYouTube番組を視聴。 普段はそれほど気にならないが、イヤホンで番組を聴いていると、社内アナウンスが途切れなく、しかも、中身のないことをAI音声で流し続けていて、辟易した。 新幹線の中でも、仕事をやる気になれず、ユクスキュルの『生物から見た世界』を読む。初版が1909年、改訂・拡大版が1934年である。 ユクスキュルは、2018年6月18日に初めて、医学や免疫学、生物学のひとが多いフォーラムで、TB-LB Theoryという時間空間論を発表した時、参照すべきだという、ご指摘をいただいた生物学者だった。 それ以来、気にはなっていたが、なんとなくわかった気になってしまい――ユクスキュルの「環世界」(Umwelt)の概念はたいへん有名なので――まともに向き合ってこなかった。 今回、11月の発表を前に、ユクスキュルを読み始めて、T-N-Sの三者の関係を考える上でたいへん示唆的だと遅まきながら気がついた。 TB-LB Theoryの後継である、T-N-S Theoryにおいて、Nature Time Being(N)とSocial Time Being(S)の間には、階層関係・上下関係があることに気づかせてくれる。Sにとって、Nは第一義的には、労働実践が媒介するため、労働対象や素材の意味しかない。 言い換えれば、T-N-S Theoryにおいては、あくまで、Sが主体でNは客体なのである。その意味で、人間中心の理論であるとの、前回の指摘はT-N-S Theoryにもふたたびあてはまる。 T-N-S Theoryにおいては、Sを主軸にして(ここに視座を置いて)、T→S(T→N)、S→N'(二次的自然)が中心の理論ということは言えると思う。 それは、人間が世界について、考えているからであり、こういうことを考えるのが、SのSたるゆえんであるとも言える。 ユクスキュルは、Nature Time Beingの個々の種それぞれに、環世界(Umwelt)があると述べている。その環世界は、その個別の種が、「主体」であるところから生...

一日一句(5835)

イメージ
  りんだうや一輪夜の色したり

往還日誌(344)

イメージ
■10月25日、土曜日。 『資本論』第2巻を資料の中から取り出す。『資本論』第1巻の新訳上・下と一緒に、京都行きの箱に梱包。『Das Kapital』もあったはずだが、それは出て来ない。手放してしまったのかもしれない。 いつか、必ず使うはずだとの予感のもとに、マルエン全集は、若くお金のないときに揃えたが、それが今のタイミングで巡ってきたことに、ある種の感慨がある。 今後、しばらくは、『資本論』の時間空間論を検討する予定。 ★ 午後、『季報唯物論研究』171号の合評会。 171号に執筆したひとで、合評会に参加したのは、私だけだったので、主に、私の『一般社会操作論に向けて』に関するコメントをみなさんから、いただく。 マルクス研究の泰斗、田畑稔先生ほか、いろいろ、貴重なご意見をいただき、これを、年末までに書く、少し長い論文に生かしたいと思っている。 私の『一般社会操作論』を説明していて、宗教現象が、「社会操作」の主体にも客体にも重要な意味を持つことに気が付いた。 キリスト教やユダヤ教、シオニズム、ジェンタイル・シオニズム、神道、仏教なども、「社会操作」という観点から議論する必要があるだろうと思う。 たとえば、靖國は、神道を媒介にした「国家統合」の典型的なイデオロギー装置の一つだが、同じように、「家統合」のイデオロギー装置の媒介の一つとして仏教寺院がある。 今は、たいぶ廃れてきたが、それでも、血縁イデオロギーと一体になって、法事によって、死者を繰り返し「現在」に呼び出すことで、「家あるいは一族の観念」を再生産していると言える。 もちろん、それを望む信者の「遺族」が存在する。「靖国遺族」がそうであるのと同じように。 社会や国家は、いったん、出現すれば、「再生産過程」を志向する。 資本は「拡大再生産」を志向するが、国家や社会は、人口問題が示すように、必ずしもそうではない。 国家統合や家統合に係る「社会操作」のベクトルは、社会全体のこの再生産過程(社会的物質代謝)に、根本では規定される。 なので、「社会操作」が存在しない国家や社会は存在しない。 問題は、そのベクトルだろう。罪のない社会操作と罪深い社会操作がある。 「社会操作」を、ルソーの「一般意志」の実現を疎外する機構と定義したゆえんである。 ルソーの『社会契約論』を、内在的に検討すると、全体主義に至ることは、論理的にありえない...

一日一句(5834)

イメージ
  考える胡桃喰ふ手の止まらずに

一日一句(5833)

イメージ
  此の秋はこころをつくる暇なく

往還日誌(343)

イメージ
  ■10月23日、木曜日、晴れ。 きょうは久しぶりに好天だった。 高市総理は、就任早々、新自由主義者の側面を前面に出してきている。 1つは、 残業時間の上限を定めた労働時間規制の緩和検討指示を、就任早々の 上野賢一郎厚労大臣に 出している。 連合の芳野友子会長は23日の記者会見で、この指示について「緩和はあってはならない。これまでの(働き方改革の)取り組みに逆行するもので看過できない」と述べている。 これまで、連合と政府は、賃上げで共同歩調を取り、形式的には、労働側に立って、資本の側に対して、賃上げ努力を求めてきた。 高市総理は違う。 「私は資本の側に立ちます」と宣言している。 労働者に賃上げの分だけ残業して稼いでくださいと、高市総理は言っている。 もうひとつは、維新との12項目の政策合意の中の社会保障政策の中にこういう項目がある。 (5)年齢にかかわらず働き続けることが可能な社会を実現するための「高齢者」の定義見直し 好きな仕事であれば、自分の生きがいとして、生涯、仕事ができるのは理想である。 だが、生活のために、つまらない上下関係やストレスの多い職場環境の中で、仕事をせざるを得ない場合がほとんどであるときに、これは高齢者への労働強制の響きを帯びる。 人口が減るので、高齢者の定義を変えて、労働力として、その死まで生産関係に組み込もうという意図が透けて見える。 高市総理のスタンスは、一貫して、資本のロジックである。 その反動性も含めて、米国のトランプ政権と親和性が高く、ほとんど、同期しているように見える。 日米で、国家統合や家族統合に熱心なのは、新自由主義が、国家解体や家族解体の潜勢力を持つからだろう。 この解体の原因を、資本主義ではなく、民主主義やリベラル・進歩主義に求めるところも、日米で同じである。 ★ 2010年代から2020年代にかけて急増したトランスジェンダーおよびクィアの自己認識は、若いアメリカ人の間で減少傾向にあるという 報告書 が10月10日に発表された。 調査したのは、バッキンガム大学ヘテロドックス・ソーシャル・サイエンス・センター。 これは、「異端社会科学センター」と訳せるが、社会科学における主流イデオロギー(たとえばウォーク思想)にとらわれず、多様な視点から研究を行うという意味で「ヘテロドックス」と名乗っていて、興味深い機関である。 ...

一日一句(5832)

イメージ
  白雲や最後の蟬の鳴きどころ

一日一句(5831)

イメージ
  天高き青の中なる布団かな

往還日誌(342)

イメージ
  ■10月22日、水曜日、曇りのち雨のち曇り。 朝から仕事。時間論の西欧における起源と言っていい、アリストテレスとアウグスティヌスの時間論を検討して、T-N-S Theoryの観点から批判を加える。 マルクス研究出身で、現在は、国際金融論や現代社会主義論を研究している鳥谷教授より、T-N-S Theoryに関するコメントがあり、『資本論』第2巻の時空論が重要だとの示唆をいただいた。 含蓄が深いコメントなので、繰り返し読んでいる。 今朝、マルエン全集を調べようとしたが、資料に埋もれて出てこない。今週末に部屋の片づけを兼ねて探さないとだめだと悟った。 私が注目しているのは、マルクスの「社会的物質代謝論」で、この議論の射程が、社会全体の再生産まで届いていることが確認できれば、この概念は、『一般社会操作論』の要にもなると考えている。 「社会操作」は、社会・国家の統合・再生産の方へと、意識的にも、無意識的にも、方向づけられるからだ。つまり、「社会操作」のベクトルは、社会的物質代謝に規定される。 資本主義と国家の関係は、安倍さんのときのように、新自由主義経済を志向しつつ、強い国家統合、つまり、教育勅語の重視などの明治復古主義をめざすという矛盾した関係も起きる。 これはむしろ、新自由主義経済を志向するための、担保としての国家統合イデオロギーの強化だったのだと、今は思える。安倍さんは、天皇はあまり重んじていなかった。重んじていたのは、明治以来の「伝統」だった。それが、国家統合の機能としては、天皇以上だったことを知っていたからだろう。 高市さんも、基本的には、この安倍政権の方向だろう。維新のような新自由主義者たちとの連立は、ある意味で、必然的だったとも言える。 ★ 高市政権の閣僚を調べると、大半が、日本会議か統一教会、あるいは、その両方であり、憲法改正論者がほとんどである。岸・安倍の三代は、統一教会と、そのフロント組織の勝共連合を支えてきた(この見返りは、選挙協力と献金)が、勝共連合の組織目標は、一貫して、自主憲法制定とスパイ防止法制定であった(この場合の「スパイ」とは、CIAなどの米国スパイは、対象外になっている。CIA東京支局が存在することは、CIA自身が認めている)。 岸・安倍三代のイデオロギーと支持層を継承する高市政権が、維新と組んで、この2つの目標を継承しようとし...