藤田武の歌(6)

 







きららなる魔ももつゆえに閉ざさるる睡りのゆめの野に母呼べり






■夢は閉ざされている。


言われてみればそうなのだが、言われてはっとする。

それは、夢が「きららなる魔」を持つからだという。

夢が開かれてゐたら、現実世界の秩序は成立しない。


だが、他方で、夢世界と現実世界は、交通している。

空想や想像、構想の世界は、無意識の夢の世界へと通じているし、夢の世界は、かなりの程度まで、現実世界の出来事を反映している。


夢の領域と現実の領域は、互いに、侵食しあって、それぞれの領域を変化させている面がある。


たとえば、この歌の「母呼べり」が、「妻呼べり」だったらどうか。このとき、作者は子どもから、いきなり大人になってしまう。


それは、過去の時間から現在の時間になってしまうことである。藤田は、「母」を呼ぶことで、歌の世界を夢の時間に閉じ込めたとも言える。


それは、現実が神話になっていくプロセスに極めて近い。







このブログの人気の投稿

往還日誌(316)

往還日誌(310)

一般社会操作論に向けて