藤田武の歌(8)

 







越えんとするおもいはふかく桃の木の
はなびらのなかきらめく恥は





■藤田には、桃の歌が多い。櫻でも梅でもなく桃。

春の花の中で、桃の花は、梅と櫻の時期の中間にあたり、ともすれば、これらの個性的な花々の中で、紛れてしまう。また、寒紅梅なのか、緋桃なのか、分からないことも多い。


この歌は、一読したときの分かりやすさと裏腹に、よく分からない。一読、分からないが惹かれる。

それは、「越えんとするおもいはふかく」という措辞と、「はなびらのなかきらめく恥」の意表を突く取り合わせにある。

俳句なら、ここに、切れがあると見なすところだが、これは切れていない。

なぜなら、終わり方が、「恥は」だからである。

倒置法なのだ。

つまり、桃の花が「恥」を持っており、その桃の花に、「越えんとするおもい」があるということになる。

これは、己の想いを、作者の思い入れのある桃の花に託したものだろう。

花びらの中に、この恥はあると歌っている。

最も美しく最も儚く最も繊細なものの中にこそ、恥はあるという、この感性に私は惹かれた。

その恥は、「越えんとするおもい」とともにあるのだが、同時に、「きらめく恥」という措辞によって、この恥が否定されるだけのものではないことを、物語っている。






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