京都日誌(401)
■3月30日、月曜日、天空に薄い光ある曇り。写真は、下流(したる)の朝6時過ぎの春の海。
27日の金曜日、28日の土曜日と、一泊で南伊豆へ出かけた。
目的は、公開講座『ルカーチの存在論』の友人が、1月31日に73歳で逝去して、葬儀に出られなかったため、公開講座の仲間3人と実家の墓に参拝するためだった。
伊豆半島最南端の石廊崎灯台へ行き、午後の春の海を見て、その後、下流に宿泊して、朝、下流の春の海を見て、さらに、バスで北上して、弓ヶ浜の春の海に触れて、その後、友人の墓所へ参拝。
友人のお母さん、96歳と、従妹さんとも会うことができた。
今回の旅は、たいへん、充実した佳いものだった。
この時期の春の海は、岩に波が砕けるとき、波の下の海はエメラルドグリーン、波の上部は乳白色の泡になる。
28日の朝、散歩している時、ウツボを捕獲するプラスチックの筒11本が、防波堤に立てかけてあった。これは、最初、伊勢海老漁の道具だと思ったが、地元の方に聞くと、ウツボ漁に使用するという。ウツボは、ここではかなり捕れるらしく、下流と同じ賀茂郡の松崎町で加工販売されている。
伊勢海老は、海底の岩場に生息して、月のない晩に、砂地で餌を捕獲するのだという。このため、漁は舟で月のない晩に出てゆき、敷網を用いて捕獲する。
伊勢海老の環世界には、光の要素(目はあるので、光が強い・弱いの検知はできる)はあまり重要ではなく、触覚・化学感覚(匂い・味)中心で餌を探査する。
月夜は、動体視力のいい、自然の捕獲者である魚類に、見つかる可能性が高いため、月夜を外して伊勢海老は、餌を捕獲する。
伊勢海老の環世界では、触角(長いヒゲ)で水流・振動・障害物の検知(空間認識)し、小触角(アンテナ)で、化学物質の検知(餌の匂い)し、脚の先端に、味覚に近い機能があり、接触したものを「食べられるか」判断している。
伊勢海老の環世界では、触角(長いヒゲ)で水流・振動・障害物の検知(空間認識)し、小触角(アンテナ)で、化学物質の検知(餌の匂い)し、脚の先端に、味覚に近い機能があり、接触したものを「食べられるか」判断している。
つまり、伊勢海老は、「見る」のではなく「感じて探る」ことで、その世界を構成している。それ以外に、彼の世界は存在しない。
ここでは、その環境から、生命の側で主体的に選択して環世界を構成している。伊勢海老にとっては、この環世界が全てであり、我々の言葉で言う、絶対的な客観世界は存在しない。
我々が、素朴に考えている絶対客観も、それを含む上位の客観が存在することが、ちょうど、伊勢海老の環世界と人間の環世界の関係のように、論理的にはありえる。
また、下流のパス亭に初めて降りて、目の前の海を見た時、赤くなっていたので、驚いた。始め、赤潮でも発生したのかと思ったが、翌朝、散歩に来ていたご老人に聞くと、これは、赤草という海藻だと教えてくれた。色は、天草に似ているが、食べられないという。海が荒いと、岸辺に打ち寄せられると言っていた。
今回の旅では、ほとんど、理想的な春の海を心身に入れることが出来て、たいへん満足できた。金目鯛──これは、下田よりやや北の稲取漁港で水揚げされる──やカマス、刺身、海老などの、海産物ももちろん、美味しい。