京都日誌(404)

 






■4月12日、日曜日。青空が広がる曇り。

日曜日が仕事なので、どうも調子が狂う。

ニコが、『Culture and Civilization Revised』という、たいへん興味深い論文を送ってくれたので、きのうの午後一杯かかって、返事を書く。

シュペングラーの『西洋の没落』(1918)に、アドルノは、啓蒙の弁証法の萌芽を見ていたという言及もあり、とても面白い。

いつか考えてみたいのは、エマニュエル・トッドの『西欧の敗北』(2024)と、シュペングラーの『西洋の没落』を比較検討してみるということなのだが、時間がなかなか取れない...。この2著の間に、106年経っている。

今朝は、ヘーゲル『精神現象学』を読む会。

その後、六本木の仕事に入る。

夜、燃えるゴミ2袋、前の電柱のところに出す。


2014年の『カウンター・パンチ』が、興味深い記事を配信している。

著者は、アリソン・ウェアという米国の作家・アクティビストで、自著である『Against Our Better Judgment』の部分引用となっている。

米国を動かしているのは、米国大統領ではなく、イスラエル・ロビーとイスラエルであることが、今度のイラン戦争で、誰の目にも明らかになった。

このイスラエル・ロビーの起源についての記事なのである。(第1回)

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米国におけるイスラエル・ロビーの起源(注は割愛)

今日の親イスラエル・ロビーの直接的な前身は、1939年に、リトアニア出身のラビアバ・ヒレル・シルバーの指導のもとに始まった。彼はアメリカ・シオニスト緊急評議会(AZEC)を創設し、1943年までに、パン一斤が5セントで買えた時代に50万ドルの予算を獲得していた。

この資金に加えて、シオニストたちは、1939年に合同ユダヤ人募金(United Jewish Appeal)という資金調達の統括組織の創設において影響力を持つようになり、同組織の巨大な財源にアクセスできるようになった。

すなわち、1941年には1400万ドル、1948年までには1億5000万ドルに達した。これはアメリカ人が赤十字に寄付した額の4倍であり、現在の価値では約15億ドルに相当する。

この莫大な資金をもって、AZECはアメリカ社会のあらゆる部門を標的とするキャンペーンに乗り出し、全国のすべてのユダヤ人コミュニティに地方委員会を設置するよう命じた(数十年にわたり、ユダヤ系アメリカ人の多数派は非シオニスト、あるいは反シオニストであった)

AZECの組織者サイ・ケネンの言葉によれば、それは「議員、聖職者、編集者、教授、企業、労働界の支持を獲得するための政治的・広報的攻勢」であった。

AZECは活動家に対し、「地元の下院議員または上院議員に直接接触せよ」と指示し、労働組合員、兵士の妻や親、ユダヤ人の退役軍人にも働きかけるよう求めた。さらに、活動家が使用するための定型書簡や、反シオニストの講演ツアーに対抗し妨害するためのスケジュールを提供した。

その力の一端は、1945年にシルバーがシオニストに不利となる英国の動きを嫌った際に示された。AZECはマディソン・スクエア・ガーデンを予約し、広告を出し、25万通の告知を発送した――初日だけで。2日目には30都市でのデモ、手紙キャンペーンを組織し、27人の米国上院議員に演説を行わせることに成功した。

草の根のシオニスト行動グループは、76の州および地域支部の下に400以上の地方委員会を擁して組織された。AZECは書籍、論文、学術研究に資金を提供し、数百万のパンフレットが配布された。大規模な請願および手紙キャンペーンが行われた。

また、大学の学長や学部長を標的とし、150人以上に一つの請願書への署名をさせることに成功した。

1940年代から50年代にかけてシオニズムに反対したアメリカ・ユダヤ教評議会の事務局長であったラビ、エルマー・バーガーは、その回想録の中で、「この国のほぼあらゆる政治的レバレッジの地点に到達する、遍在的なプロパガンダ・キャンペーン」があったと記している。

シオニスト組織であるアメリカ・シオニスト機構(ZOA)は、その第48回年次報告書において、「我々の活動の巨大さと多様性」を誇示し、「我々はアメリカ生活のあらゆる部門に浸透している……」と述べている。

バーガーや他の反シオニストのユダヤ系アメリカ人は、「シオニスト機構が用いた欺瞞と冷笑主義」に対抗しようとしたが、同程度の資金を得ることはできなかった。さらに、反対者になろうとする者たちは、反シオニストが受けた「個人攻撃の激しさ」を恐れていた。

バーガーは、自身と同僚が議会でシオニスト決議に反対した際、ニューヨーク選出民主党議員約50年間議会に在職することになるエマニュエル・セラーが、「お前たちのような連中は引きずり出して撃ち殺されるべきだ」と語ったと記している。

また、ハリー・トルーマン大統領がシオニズムを支持するか不透明だった際、セラーとシオニストの委員会は、デューイ(政治家のトマス・E・デューイ)にシオニスト政策支持を取り付けたと伝え、トルーマンにも同様の立場を取るよう要求した。セラーはトルーマンの机を叩き、「そうしなければ、我々はあなたをこの町から追い出す」と言ったと報告されている。

もう一人の著名な上院議員である共和党のジェイコブ・ジャヴィッツは、あるシオニスト女性団体に対し、「我々は最後まで戦い抜き、パレスチナにユダヤ国家を樹立する。それが我々の最後の行為になろうともだ」と語った。

『American Zionism and U.S. Foreign Policy, 1942-1947』の著者リチャード・スティーヴンスは、シオニストがシオニストの主張を十分に促進していないと見なしたいくつかのユダヤ人学校の理事会に浸透したと報告している。それがうまくいかない場合には、彼らは自ら親シオニストの学校を設立したとスティーヴンスは書いている。

またスティーヴンスによれば、1943年から44年にかけて、ZOAは100万部以上のビラやパンフレットを公共図書館、従軍聖職者、コミュニティセンター、教育者、牧師、作家、そして「シオニストの大義を促進しうる他の人々」に配布した。

国務省に勤務し、1943年から45年にかけて中東で米軍に従軍し、その後、アメリカ・ユダヤ教評議会の反シオニストとなったアルフレッド・リリエンタールは、1944年から45年にかけて、シオニスト系書籍の月間販売数が3000〜4000部に達していたと報告している。

さらにリチャード・スティーヴンスは、シオニストがシオニストの政策を支持する非ユダヤ人著者の書籍に補助金を出していたと報告している。彼らはその後、商業出版社と共同でこれらの書籍を宣伝し、そのいくつかはベストセラーとなった。

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恐ろしいばかりのシオニストによる、社会操作が見られる。

1939年から、イスラエル・ロビーは、このキャンペーンを開始しているが、このイスラエル・ロビーを見るとき、もうひとつのシオニスト団体である、米国の福音派の動向も見る必要がある。

米国社会におけるイスラエルの社会操作は、このイスラエル・ロビーによる直接的なものと、福音派を通じて行ってきた間接的なものの2種類あり、これが両輪をなしている。

福音派の教義は、「現代のイスラエルを支持することは聖書に基づく義務であり、神からの交渉の余地のない神的命令である」という信念に支えられており、こうした教義体系は、ディスペンセーション主義と言われている。

これを、ゼロから体系化したのは、英国の国教会司祭のジョン・ネルソン・ダービー(1800-1882)であり、この教義を『参考聖書』(『スコフィールド聖書』として、今もアマゾンで売られている)として、オックスフォード大学出版局から出版(1909年刊、1917年改訂版)して、全米に普及させたのが、米国人牧師のサイラス・スコフィールド(1843-1921)である。

米国において、この異常とも言えるような、イスラエル・ロビーによる社会操作始まる30年前から、この異様な教義が、すでに全米社会に浸透していたのである。

福音派の信徒たちも、このシオニスト団体の初期からの資金源だったことは間違いなく、イスラエル・ロビーの最初期から、募金の集まりがいいのは、ユダヤ系だけでなく、福音派信徒のマネーも入っていたからだろう。

現在の米国の福音派は、2025年時点で、約7800万人(米国成人の23%)である。

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