藤田武の歌(9)
桃の木に縛りえしものなにもなし
蒼き空映ゆ空の極みよ
桃の木に、かつてなにかを縛ろうと試みたが、そのすべてが失敗したということになる。
寓話的な響きも感じられる。
7・7は、「蒼き空映ゆ空の極みよ」となり、桃の木を下から見あげている。
その縛ろうとした主体は、作者個人というよりも、もっと一般的な、人類といったものではないかと思う。
このとき、視線は蒼い空の果てに向かっているが、その果てへと、この桃の木もまた向かっている。
桃の木と空の極みは一体化している。
空の極みで桃の花は咲いており、桃の咲くところが空の果てなのである。
この歌で、桃は人間の手の届かないところに存在する。
この桃のような、身近にありながらも実は、人間の手に届かない存在は、たくさんある。
我々は、当たり前に存在しているがゆえに、そのことに普段、気が付かない。
詩歌は、このように歌うことで、逆説的に、桃の何か(桃の空とも言えるか)に触れているのではないだろうか。