往還日誌(297)

 






■5月7日、水曜日、晴れ。

3日前に若宮に戻り、あっという間に、水曜日である。

今朝、中学校のときのひとつ後輩の女の子が夢に出てきた。

美人というわけではなかったが、頭のいいしっかりした子で、バスケット部だった。

彼女も還暦を越えている。孫がゐてもおかしくない。

歳月茫々。

ふと、この夢のように、私が誰かの夢に見られていることは、これまでもあったし、今もあるだろうと思うと、たいへん不思議な気がした。

妻や娘が夢に出てくることはあるが、逆に、彼女らの夢に私が現れることも当然あるだろうが、その夢は、日常の延長のような、想像がつかないものではない。

時間も空間も現在に近いだろう。

しかし、たとえば、今朝の夢のように、中学時代以降、会っていない人の夢に私が現れたとしたら、それは、中学生の私だろう。

あるいは、編集が加わっているかもしれないが、それでも、現在の私とは、大きく異なっているはずである。

その私を見てみたいと思った。


きのう、六本木へ出社して、用事があり三田へ行き、帰りは六本木まで歩いた。

なかなか、面白かった。

麻布の首都高沿いに、在日韓国人歴史資料館があった。

事務所で、同僚のHさんに、定家全歌集が、ちくま学芸文庫で上下巻で出ていることを教えてもらった。

藤田武などの前衛短歌と定家などの伝統和歌を並行して読み検討できれば面白いだろう。






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