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5月, 2025の投稿を表示しています

一日一句(5707)

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  一天のひかりの中へ夏の枝

往還日誌(306)

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  ■5月31日、土曜日、雨、かなり肌寒い一日だった。 朝、詩「門」variation3と4を推敲して、『東国』へ送る。 その後、「金閣」をほぼ完成させる。3連からなる散文詩となった。 毎日、発声練習をしているので、喉が痛くなってきた。 きょうは休み。 声はよく出るようになった。 午後、昼寝。 夕方、ミロの図録を読む。 画家の言葉は、ミロにしても、モネにしても、セザンヌにしても、参考になることが多い。 夜、家族に、肉野菜多めの太麺焼きそばと味噌汁をつくる。

一日一句(5706)

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  垂直の翳ふる松や聖五月

往還日誌(305)

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  ■5月30日、雨のち曇り、かなり肌寒い一日だった。 朝食後、妻と夕食のレシピを調整してから、掃除。 午後、上野の東京都美術館へジュアン・ミロ展へ。 雨で、さほど混んでなく、じっくり鑑賞できた。 ミロは、1966年と69年の2回、来日している。 日本の書家の仕事にずいぶん影響を受けたようで、「花火」というシリーズは、前衛書道の趣がある。 日本の禅の思想から来る「無」や「空虚」などもテーマ化していたことを知る。 彼の面白さは、道ばたの小石やなんでもない木々の葉の揺れなどに、価値を見出す感性がもともとあることで、これは、日本の「俳句」そのもの。 ミロは俳句を知らなかったと思うが、その心は、日本へ来る前から俳句的だった。 そうしたところから、世界の民芸品を収集する行動が出てくる。 ミロの書棚には、柳宗悦の本もあったという。 民芸品のような集団的無意識の現れた日常使いの作品には、謙虚さと匿名性があるとミロは、述べている。 ミロは、「匿名性を宿したあらゆる芸術表現」に興味を持っていた。 この観点は、とても面白いと思う。 詩であっても、きわめて前衛的で、同時に、匿名的な詩がありえると思う。 それは集団的無意識を宿した詩だろう。 ★ ピーマンとセロリを買って帰宅。 きょうは、妻が2品、私が1品、夕食を作った。

一日一句(5705)

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  金雀枝やあとはきれいにしぬばかり

往還日誌(304)

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  ■5月29日、木曜日、曇り。 午前中、ゴーヤのプランターの土の入れ替え。 毎年、この時季恒例となった。 仕事で頭が凝る。 このため、横振動モーションブラシ を導入してみた。 今のところ、かなり、調子がいい。 この数日、寝る前に、クロード・モネの「睡蓮」の連作シリーズを検討している。 2018年に横浜美術館で観た『モネ それからの100年』の図録を使用。 午後から夜まで六本木の仕事。 その後、夕食まで、オンデマンドで、横溝正史短編集シリーズを観る。 6月、7月から、新しく3つ読書会を企画。 さて、時間をどうする?

一日一句(5704)

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  己が身は新茶の湯気の行方かな

一日一句(5703)

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  釈迦堂の弓にしづまる若葉かな

往還日誌(303)

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  ■5月27日、火曜日、曇り。 向かいの中学校が運動会で、朝から賑やか。 日曜日に若宮へ帰還。 今回の滞在は、状況が流動的なので、いつまでになるか未定。 午前中、Kさんに老眼鏡の残金を払いに行く。 帰りに、珈琲館で、ホットケーキを食べながら、冨原真弓さんの『シモーヌ・ヴェイユ』を熟読。 ヴェイユの、1933年、1934年の革命と戦争をめぐる一連のテクストは、非常にアクチュアルであることを痛感。 『季報唯物論研究』の原稿の最終稿の校正。 最新詩集『二〇の物と五つの場の言葉』のPRも掲載してもらい、ありがたし。 ルカーチの翻訳原稿の第21回送信。 今回は、難航して、6ヶ所に訳注を入れた。ルカーチ晩年の著作なので、端折って凝縮して書いてあるので、そのまま訳しただけではわかりにくい。 午後から夜にかけて六本木の仕事。

一日一句(5702)

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  葉櫻は夜深ければ聲を出す

一日一句(5701)

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  葉櫻や矢の飛んでくる風の音

一日一句(5700)

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  薔薇一輪思ふともなく思ひけり

一日一句(5699)

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  日に月にしだれ葉櫻まみれけり

往還日誌(302)

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■5月23日、金曜日、曇り。 掃除して、白湯を飲み、俳句を作る。 12月で、父の亡くなった年齢に並ぶ、 父が亡くなって、30年以上経って、初めて教えのようなものが浮かび上がってきたように思う。 物を大事にせよ、乱暴に扱うな、とか、細部からだらしなくなるから気を付けろとか、人には親切にしろとか。 父の場合、それは人間だけではなかった。飼っていた犬や野良猫や植物にも親切だった。 こういうことは、子供の頃から言われてきたが、必ずしも守れなかった。 この頃、こうした教えが、言葉や画像として一層明瞭になってきたように感じる。 歳をとったということかもしれない。 ★ きょうは、銀行や床屋、洗濯や買い物など、溜まっていた仕事を片付けた。 乾燥機を回している間、千本釈迦堂へふたたび行った。 菩提樹が一本、境内にあるのに気が付いた。 葉は美しい新緑となっている。 枝の先に花芽がついている。 弓道場を観察。 ここは、平日の午前中しか開いていないらしい。 ★ 今年の確定申告は、4月下旬に出せたので、私としては、ここ数年で記録的な速さだった。 電子申告になり、かなり楽になった。 領収書を年内に整理できれば、来年は2月中には、送信できそうな気はする。 還付金は、ちょうど1か月後に振り込まれた。 非常に高い社会保険料と、高いと言われている京都市の市民税が、今後かかるので、還付金はすべてもっていかれ、それでも、足りないだろう。 年々、生活しにくくなっている。 ★ 床屋の帰りに、ひさしぶりに、しずかに寄る。 ここは、珈琲が売りなので、アイスミルクティーを頼むと、確認される。 冨原眞弓さんの『シモーヌ・ヴェイユ』を読む。 シモーヌ・ヴェイユは、党派性を好まない心性や、歴史的被害存在に定位した、抜群の政治的洞察力など、惹かれる点が多い。 ★ 夜、ルカーチの翻訳を行う。

往還日誌(301)

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■5月22日、木曜日、曇りのち晴れ 週4日、六本木の仕事。週3日は、ライフワークという形が徐々に定まってきた。 発聲練習を若宮にゐるときから行っており、きょうは、「わ行」まで行った。 8月の京都合宿の手配。 お盆で、合宿所のカフェが休みになる。 昨年と同様、ルカーチの『歴史と階級意識』を読む。 6月から、ロミーとZoomでパウル・ツェランの詩の共同研究を行うことに。 この成果を、今、行き詰っている「門」のvariation9と「アンチ金閣」第3番に活かしたい。 今回の京都滞在は、家の事情で1週間となったので、金・土となかなか忙しい。

一日一句(5698)

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  しんとして枝垂葉櫻この世かな

一日一句(5697)

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  なかなかに父といふもの若葉風

一日一句(5696)

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  風なくて枝垂れ葉櫻地に疎し

一日一句(5695)

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  えごの花雨に光はありにけり

往還日誌(300)

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  ■きのうの夕方、京都へ帰還。 土曜日は、公開講座『ルカーチの存在論』33周年第1回「自称と承認 -『日本』国号をめぐって」。 残念ながら、仕事のため、欠席。 出席したら、述べるつもりだった論点を、参考文献と一緒に、公開講座のFBページにアップする。 夕方、仕事の合間を縫って、初めて、大阪哲学学校のZOOM講演会「日本近代文学における笑いと笑いの喪失」に、1時間半遅刻して参加。 講演自体は聞くことができなかったが、その後の、皆さんの討論に参加し、笑いが社会において衰退している現状に対して、「距離」の契機が笑いにはあるという田畑稔先生の指摘を踏まえ、ナチス研究で、バウマンが指摘したように、近代社会の官僚制やテクノロジーなどの「距離」が、暴力を生んだというテーゼをヒントにして、 この現代社会におけるこの「距離」の契機が、笑いに行かずに、暴力に世界的な規模で集中的に現れているからではないかという、仮説を述べる。 後ほど、司会の平等文博先生より講演のYouTubeを送っていただく。 高崎線では、南さんの詩集『ソノヒトカヘラズ』を読む。 なかなか、読み応えのある詩集で、少し前から読んでいるが、まだ読了できない。 新幹線では、ニコの仕事を行う。 今朝は、ゆうパックを受け取って、近くの千本釈迦堂へ散歩。 かなり枝垂れ葉櫻のみどりが濃くなってきた。 ここで、弓道の体験ができることを知った。 終日、仕事。