■3月20日、金曜日、春分の日。 空全体に、薄く雲がかかり、その向こうに青空がのぞく。 この数週間、多忙で、仕事と家事以外には、ほとんどなにもできない。 市民税が還付になるので、ようやく、ファイロファックスが新調できそうである。 私は、最近、友人たちに、「105歳まで生きる」と宣言して回っているのだが、 そのとき、必ず、「なんや、その5っていうんは?」と聞かれる。 この「5」には、深い訳がある。 この「5」は、 反・区切りの思想 なのである。 100は、最近の社会が与える、切りのいい100歳時代の100である。 しかし、105は、私が、 余白・遊びとして、5年をさらに与えた区切り なのである。 私は、所与を嫌う。あるいは、所与を疑う。 もちろん、念仏のように、ただ、105を唱えているわけではなく、毎日、このために、心身調整を行っているのである。 ★ 数学者の広中平祐さんが、3月18日に亡くなった。享年94。 この広中さんが、2017年に京都大学で行った「数学者の素願から終活まで」という、とても面白い 講演 がある。 広中さん、85歳のときの講演である。 たとえば、出だしは、こんな感じである。 「僕は 85 歳になって、もうすぐ 86 歳になりますけど、皆もその年齢になった時には分ると思いますけど、つまらないことをやりたくないのですよ(笑い)。 ご存 知のように『生命ある者は必ず死す』と、死ぬことは決まっているのです。だから、死を予定した上で、あと 5 年か、だけど 2 年か、3 年か、ひょっとしたら 10 年かも知れないけど、死ぬことは決まっている訳です。 それをですね、人を喜ばすためにね、あるいは人から感心してもらうようなことをやりたくはないのです。考えてもみなさい、まあ、そんなこと若い頃は苦労して、早く助教授から教授になりたいと思ったこともある。 今は、そんなことないじゃないですか。85 歳以上の 人手を挙げてみて(笑い)。今でもそういうの欲しいですか、それで苦労したいですか。余程の変人でないとしないです(笑い)」。 「つまらないことをやりたくない」という感覚、あるいは思想は、よくわかる。ただし、これが実現できる老人は、その社会的・経済的・生物学的条件が揃っている、ということでもある。 私も、60歳を過ぎたあたりから、こういう感覚が強くなってきた。...