往還日誌(320)
8月9日、土曜日、長崎忌日。曇り
きょうは、曇りで涼しい。28℃。
別件で調べものをしていて、大学院のときの先輩だった女性社会学者のYさんが亡くなって20年以上経っていたことを知って驚いた。
権力関係に敏感で、鋭い分析と表現のできる人だった。
慌てて、論文や書籍を調べ、古本で発注したり、論文は収集した。私の今の関心とも近く、また、トランプや参政党、高市議員などが、幅を利かせている現今、彼女の仕事――ジェンダーと権力構造など――は、見直されるべきだろうと思う。
私のことを不思議な人と言っていたことが懐かしく思い出される。社会学者に不思議がられるのは、名誉なことである。つまり、説明がつかない、ということだから。
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虚子編の『新歳時記』増訂版(2007年増訂71刷)を愛用しているのだが、驚いたことに、長崎忌が登録されていない。広島忌もない。原爆忌もない。このアクチュアリティへの鈍さに唖然とした。
寒紅梅馥郁として招魂社
情報統制や洗脳、朝鮮半島や大陸に対する巨大な「差別の再生産装置」が社会全体にあったことは確かだが、私が思うに、詩人や俳人という存在は、「にも関わらず直感的に事態の本質を洞察できる」能力があってしかるべきではないか、ということである。
そのために、日々、感受性を磨いているのではないのかと思う。もちろん、全体主義社会では、自分や家族の命がかかわるから、その表出の仕方やタイミングは、十分に計算される必要があるだろうけれども、南京大虐殺のさなか、これは、ないだろうなとは思う。
1937年12月11日 女を見て連れの男を見て師走
12月24日 冬麗ら花は無けれど枝垂梅
12月25日 行年や歴史の中に今我あり
こうした鈍さが、この虚子編の『新歳時記』増訂版(2007年増訂71刷)にも出ているように思われてならない。
もちろん、虚子の俳句を全面否定する気はない。優れたものも多い。
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日本人ファーストや、帰化人の問題、スパイ防止法などをめぐって、参政党や日本保守党、国民民主党などの主張が、一定程度、有権者に刺さっている。
その今、10年前に出された『僕たちのヒーローはみんな在日だった』(朴一著、講談社アルファ文庫、2016年)は、いろいろなことを考えさせてくれる。
きのう、京都中央図書館で借りて、半日で2/3読んだ。著者の朴さんは、尼崎生まれの在日コリアン3世。同志社商学部の博士課程出身、大阪市立大学経済学部教授。
在日コリアンの有名人は、力道山や、金田投手、張本選手、松田優作など、私も知っている人も多数言及されているが、松坂慶子や都はるみ、美空ひばり(この人の場合、確証はない)など、え、と驚く人も多かった。こうしたテレビなどで身近な人から、在日の問題に入って行く方法は、とても有効だと思う。
私がこの本で教えられたのは、出自(被差別部落など)と国籍(特に朝鮮半島出身)で差別する日本社会全体の問題が、参政党を出現させている、ということだった。
彼らが、「特殊な悪」なのではない。いわば、「一般的かつ構造的な悪」が具体的なわかりやすい形で、政党として現れたものが参政党である。
この本は、日本人に対して、とても、微妙で、難しい問題も示唆している。
たとえば、朝鮮(共和国)においては、国家自体が階級を設定している。3階層、51成分に社会が分断されている。韓国との戦争を想定したとき、信頼できる人民を「核心階層」、敵味方の区別がつかない層を「動揺階層」、敵になる可能性が高い階層を「敵対階層」と、3階層に区分している。
さらに、驚いたことに、1964年4月から1967年3月まで、住民再登録事業が行われ、個人の家系を三代前まで遡って、素性の徹底的な点検が行われ、国民を51成分に分類しているのである。
もっとも、成分が良いのは(最上層階級)は、金日成とともに、抗日パルチザンとして戦った部下であり、2番目が共産主義運動に関わった者、3番目が労働者、4番名が貧農の小作人となっていく。24番目が帰国事業で朝鮮に帰国した在日コリアンである。この他の46の成分についても興味はあるが、不明である。
参政党の戸籍を調べる、という「純粋」主義に、方向性は似ている。
問題は、日本人である私が、こういうことを書くことの社会的効果なのである。
これを読んだ多くの人は、これでは、日本よりひどい国内差別ではないか、国名にある民主主義とは言えないなどと、と感じるのではないかと思う。
つまり、これだけを書くと、<北朝鮮=悪党>といった「社会操作」が発生するのである。
問題は、しかし、これが、東西冷戦と日本の植民地支配という枠組みの中で行われた階級設定だということである。
つまり、<北朝鮮=悪党>と言って、他人ごとでは済まないということなのである。この朝鮮の階級構造には、日本の関与がある。もっと言えば、日米の関与がある。歴史的な経緯と文脈の中で、これを書かないと、この社会操作は解体しないのである。
もう一つ、思ったのは、帰化人議員を明らかにせよ、といった参政党などを中心として出ている言説は、国籍取得後の「血の問題」として、朝鮮メディアなどで語られている点を、本書は指摘している。
つまり、国籍は日本人だが、感情的なつながりは半島にあるといったことは現実に起きる。また、それは自然な感情だろう。逆の立場を想像すれば、容易に想像はつく。
その代表例が、力道山だった。
力道山は、この「血のつながり」を、朝鮮にも、日本にも、政治利用された。
だから、半島と感情的なつながり持った帰化人がスパイ行為を働いているとはならないし、帰化人対象のスパイ防止法が必要だともならない。
さらに、こういう議論をしているときの、自らの「地平」も対象化する必要がある。それは、無意識に、「日本国家利権村」の一員としての地平に立っているのである。
その枠組みは、日本(日本だけではないが)の保守政党に典型的なように、「国境や民族を超えたひととしての個人の痛み」よりも「国家統合」を重んじるスタンスなのである。期せずして、多くの人が、「国家利権村の社会操作」に乗ってしまっているのだ。
国家とは、国家利権村のことであり、それであるがゆえに、「社会操作」なしで国家統合は図れないからである。
この本は、今読むと、日本人の私に、参政党などの言葉よりも刺さるものを多く持っている。
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きのうは、午前中、弓の第3回。
一ヶ月空けたので、まったく忘れていた。
自分の癖の矯正のために、矢の離れを安定化させる練習を教わる。
午後、京都中央図書館へ。
夜、借りてきた本を読む。
きょうは、夕方から、堀川まで歩いて、お菓子を親戚2軒に送り、大垣書店で、雑誌を受け取り、隣接の喫茶店で少し読む。
そのまま、千本通りの喫茶マリヤを探すが、閉業となっていた。
帰りは、相生で食事して買い物して帰る。
明日は、大雨だという。