往還日誌(319)
■8月4日、月曜日、晴れ。殺人的暑さが続く。
きのう、夕方に帰洛して、いろいろ、郵便物などを整理。
その足で、丸太町の中央図書館へ、本の返却。
途中、千本通りで初めて入る中華の店「十二籃(らん)」へ。
十二の竹の籃という意味だが、この十二という数字が気になって、中国系らしい店の人に聞くと、マタイ福音書から取ったと言って、壁の張り紙を指さして説明してくれた。
そこには、こんなことが書かれていた。
イエスが5000人の群衆をたった五つのパンと二匹の魚で満腹にさせ、余ったパンくずを集めると「十二の籃」になった。
十二という数字は、イエスの12人の弟子やイスラエルの12部族とも関連づけられ、聖書的に象徴的な意味を持っているのだろう。
中国人ファミリーの経営する中華料理店と聖書の結びつきに、最初、とまどったが、調べてみると、中国のキリスト教徒は、急増しているらしいことがわかった。
在米の中国人人権活動家や在日本の中国人ジャーナリストなどの知識人が把握している直近の状況では、当局の監督下にある国家公認教会と非公認教会の合計が、人口の10%を超える段階に達しており、中国のキリスト教徒は、1億3000万人を超えているという。
日本のキリスト教徒の数が、126万人(2023年12月31日時点)であるから、その100倍を超えている。
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朝、京都大学数理解析研究所の数学入門講座を一つだけ視聴した。
講演「数え上げ幾何学と導来代数幾何学」において、「点p1とp2が与えられている時、この2点を通る直線は何本あるか」という問題で、「点p1とp2が与えられている時」という命題の条件は、すでに、p1とp2が別個の存在として前提されている。
このとき、p1=p2という場合分けは、前提と「論理的に」矛盾する。
なぜ、それを場合分けとして設定できるのか、その根拠を問うた。
答えは、「(場合分けは)できると思います」だった。
気になるようだったら、p1とp2は別の点とは限らない、という条件をつけるといいという技術的な回答だった。
論理学上の問題を問うているのに、そこはスルーして、数学上、都合のいいように、「操作」しているように見える。
言い換えると、数学には、数学特有の「思考文法」があり、それを自明とすることで、数学を展開しているように見えるのである。
数学が自明としているものは、果たして本当に自明なのかを問う数学があってもいいような気がする。
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困ったことが起きている。
10年かけて翻訳した知識社会学の本の出版を約束していた出版社の経営者が代わり、市場調査の結果、出版できなくなったのである。
他の出版社も数社打診しているが、市場性とボリュームの大きさで断られてしまう。
新著の翻訳もやる気になれず、困ったものである。