投稿

一日一句(5785)

イメージ
  みんみんの聲にかの世の静寂あり

一日一句(5784)

イメージ
  秋簾町家の時の翳りかな

一日一句(5783)

イメージ
  秋風やここは地獄と見定めて

一日一句(5782)

イメージ
  白木槿一日一日のひかりあり

一日一句(5781)

イメージ
  佳き夢のめざめはしづか法師蟬

往還日誌(324)

イメージ
  ■8月30日、土曜日、晴れ。 京都へ戻る途中に、途中下車して、豊田市美術館へ行ってきた。 モネ展を観るのが目的だった。 たいへんいい展覧会で、いい気分転換になった。 モネは73歳で白内障の診断を受けて、83歳で右目の手術を受けている。 亡くなったのが86歳である。 今なら、白内障の手術は日帰りでできる確度の高い手術だが、モネが10年も手術をしなかったのは、手術によって失明を恐れたからだった。 83歳のときの手術は成功したが、晩年の10年以上も、色彩の正確な識別ができない状態だった。 この身体条件やそれに伴う心理状態が絵に現れている。 それは、かたちの秩序を生成の混沌へ戻すような、始原と終焉をつないだような感じを受けた。 モネ晩年の作品を、抽象画の源流と見る見方もあるのは、わかる気がする。 モネが睡蓮の池を造成するのは、53歳のときで、このとき、セーヌの支流から、その池に水を引こうとして、地元の住民に反対に遭っている。 この住民の反対は先鋭的なものにはならずに、時間ともに、認められていく。 これも、面白いと思った。なんとなく、認められてしまうのである。 その裏の事情もあったに違いないが、それは詳しく語られていない。 モネが買い取って、睡蓮の池などを造成した土地の図面も展示されていたが、これは、画家の、たんなるアトリエ付きの邸宅を完全に越えている。 今でいう、公園造成工事のようなもので、敷地自体が広大で花壇や植物も豊富に植えられている。 今、このノルマンディーのジヴェルニーのモネの邸宅は、 修復工事を経て、1980年以降、一般公開されている。 モネで興味深いと思ったのは、国家との一体感情である。 1918年11月12日、第一次大戦休戦の翌日、友人で当時の首相だったクレマンソーに手紙を出して、国家に装飾画を寄贈したいと申し出ている。 1920年に、12点の睡蓮の装飾パネルをフランス国家に寄贈することに合意して、専用の展示館の建設に着手するが、資金不足て頓挫して、現在のオランジェリー美術館での展示に変更となる。 モネの、この睡蓮の装飾画の寄贈は、これで、国家の戦争に貢献するつもりだった、ということなのである。 モネの息子は、第一次大戦で戦死している。ほかにも、多くの知り合いが命をかけて、フランス国家のために戦っている時に、自分は絵などを描いていて、いいのだろうか...

一日一句(5780)

イメージ
  丹田に力を入るる炎暑かな